朝からなんだかちょう落ち込んでいて、起きるのも辛かった。(軽いうつが入ってきているかも。。。そりゃあ病んでもくるわなあ)
こういう時はゴスペルをがんがんかけて、余計なことは考えないようにする。ただ、自分の中の声だけを聞きわけるとともに、祈る。
いつもの朝の支度をしてパソコンを立ち上げ、朝イチで情報をチェックしていたら、冬の箱根を紹介するサイトに行き当たった。澄みきった、本当に切れるような青空と空気の中、悠々とそびえ立つ富士山を見ていたら、少し清々しくなった。山頂の見晴らしのいい、しかも冬のクリアな感じが、いいパンチになったらしい。
なんで富士山て、見るだけでほっとするんだろうな。
それに冬は寒いけれど、この澄みきった眺めを地上からでも見られるので、大好きだ。冬に氷山の映像を見てもあまり涼しくならないと思ったけれど、この山の空気は一気に引き込まれる。冬の清々しさを思い出す。きっと身をもって知っていることだからだろう。
さて、ちょっと落ち着いて考えて、毒を吐く。
夕べおきた一つのもっていかれ感が、一つの取っ掛かりになっている。(ちょっとやっぱりいろいろ再考かな。)世の中にはいろんな人がいて、有形無形のやりとりをしながら暮らしているわけだが、中には持っていくだけ(もう少し怖いのになると吸い取るだけという人もいるそうだ)の人がいる。
やりとりというとギブアンドテイクというと少し突き放した印象を受けるが、もっと日本的な(笑)気のやりとりとか目に見えないものも含まれていると思う。
いろいろな事情や状況があるので一概には言えないにせよ、持っていきっぱなしの人というのは失礼だなあと思うし、そういう人には大切なものは伝えない。男性にもいるのかはわからないけれど、私が見聞きしたのは圧倒的に女性に多くて、自分がそういうことをしても平気な人(気づいていない)っていうのは慎みのない、恥じらいのないと公言しているようなもので、それが年齢的な区分として使われる本来的な意味ではない「オバさん」化しているということなのだな。
慎みとか恥じらいとかもはや死語らしいが、日本人として最後まで大事にしていこうと個人的には思う。(生きづらくなりそうだけど)