東京は坂のまち

2010-08-19 23:01:54 | Weblog
 おまけ。大久保通りから見た、角にある病院。右手にある「市ヶ谷柳町」の信号に向かって、ゆるやかな下り坂。


   


 そのまま西に向かって歩いて、新大久保から電車に乗った。その途中、ふと右手を見て景色がなくなっているのにびっくりして撮った一枚。
 すごい坂だ。一度下りたらもう上ってくるのがいやになりそう。。。


   

試衛館跡地に行ってみた

2010-08-19 22:46:41 | Weblog
 神楽坂に出かけることになり、ふと思いついて地図を見ると、やっぱり、試衛館跡地に近い。
 それで、用が済んだ後、行ってみることにした。
 いつものようにふらふら、ぽてぽて歩く。今日は小雨の予報だったのに、曇り空が晴れて日が射している。私は今日持っているのは折り畳み傘だが、日傘が必要だったのか? まったく、役に立たない話である。
 ぽてぽて歩いていくと、やがて、下り坂にさしかかり、「市ヶ谷柳町」の信号が見えてきた。ここだ! ドキドキが最高潮(笑)。
 わざと左折してから遠回りするようにして右に曲がり、市ヶ谷甲良町に入る。
 車通りの多い表通りから一転、道が細くて家が建て込んでいて、ふつうに生活している人の往来がある古い街の景色。下った坂を上がるようにして、二つ目の角を曲がり、少し行くと左手にコインパーキングが見えてきて、そこに跡地の標識が立っている。ここだ。ここにあったんだ。

              


 ふと見ると左に下りて行く道があって、奥に古ぼけた稲荷神社がある。これは350年前からあるらしい。手入れもされておらず、といってさびれているともまた違う、忘れられてひっそりとそこにあるという感じ。道ばたのカンナが、やけに元気がいい。
 歩き疲れた(こんなに晴れるなんて思わなかった。。。)のもあって、30分くらいそこに佇んでいた。空がどんどん晴れて行って、雲がわいてくる。大河ドラマのオープニングみたいになってきて笑えた。


             


 この稲荷神社は敷地内にあったわけではないようだから、この辺りから表通りに向けて、南に玄関があるかたちで建っていたんだろうか。江戸時代も家が建て込んでいたいたのかなー。どんな感じだったんだろう、といくら想像しても、手がかりになるものが何もないので全然浮かばない。好き勝手に想像するのみ。
 しかも、駐車場の北側にある古い建物は表通りにある病院付属の老人ホームになるらしい看板が立っていた。いつできるかちゃんと見なかったけど、今度行く時にはもう真新しい施設の塀に囲まれているんだろうかな。
 歴史っていうのはどんどん上書きされていくものなのだ、と思って少し悲しくなった。(そんなことを言ったら、今私が住んでいるところだって誰かが暮らしていたわけで、しかたないのだけど。)
 はー、しかし、とうとう来てしまった。「江戸 試衛館」というのが、新選組について一番最初に知ったことかもしれない、というくらい強く刷り込まれた地名。ネットを使うようになって、その場所を知り、やがて現在地が絞り込まれ、でもわざわざ行くことはない。行く機会を窺っているのが私の生き方(笑)。そのかわりチャンスがあればめざとく活かすのも私のやりかた(笑)。それで、今日、まあ「縁があって」行くことができたわけだ。
 今年は壬生にも行ったし、小島資料館も行ったし(まだ入っていないけど)、土方歳三資料館には入ってしまったし、どんどん夢とあこがれが叶っているなあ。呼ばれとるわ(笑)。