ちょうど20年前の1992年10月24日(土)を以て西鉄北九州線の併用軌道区間である砂津-黒崎駅前間が廃止、以降2000年11月までは専用軌道区間の黒崎駅前-折尾間僅か5.1Kmの区間を細々と運行し、事実上路面電車では無くなってしまった。
この日は学校をサボって(当時高1)、原田から50系客車に乗って直方から筑豊電鉄に乗り換えて、黒崎駅前から初めて北九州線に乗車した。当日は北九州線内無料運行され、どの電車も大混雑であった。
魚町付近。周りを走る車も古めかしい。この日まで小倉都心部は一方通行であったが、翌日から対面通行となった。代替バス用に専用塗装の新型バスが一挙に50台以上が新製され、1番「特快」として運行を開始した。
室町付近。後ろの西鉄バスが懐かしい。この塗装の非冷房車はこの日が最後の運用となった。
黒崎駅前。現在も筑豊電鉄の基点として駅は存続しているが、再開発により様相は一変している。
西鉄の源流であった北九州線は消えてしまったが、黒崎駅前-熊西駅間と一部の車両は長崎や広島で現在も運行されている。特に長崎では元北九州線600形の台車等の機器類を流用して新製した車両が主力となっており、北九州線のDNAは生き続けている。
※全て1992.10.24撮影。
この日は学校をサボって(当時高1)、原田から50系客車に乗って直方から筑豊電鉄に乗り換えて、黒崎駅前から初めて北九州線に乗車した。当日は北九州線内無料運行され、どの電車も大混雑であった。
魚町付近。周りを走る車も古めかしい。この日まで小倉都心部は一方通行であったが、翌日から対面通行となった。代替バス用に専用塗装の新型バスが一挙に50台以上が新製され、1番「特快」として運行を開始した。
室町付近。後ろの西鉄バスが懐かしい。この塗装の非冷房車はこの日が最後の運用となった。
黒崎駅前。現在も筑豊電鉄の基点として駅は存続しているが、再開発により様相は一変している。
西鉄の源流であった北九州線は消えてしまったが、黒崎駅前-熊西駅間と一部の車両は長崎や広島で現在も運行されている。特に長崎では元北九州線600形の台車等の機器類を流用して新製した車両が主力となっており、北九州線のDNAは生き続けている。
※全て1992.10.24撮影。
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