2004年
・3月19日 肥薩おれんじ鉄道 達成駅川内
3月13日に移管・開業した肥薩おれんじ鉄道。『週刊東洋経済』2010年4月3日号の推計輸送密度を見ると、2007年で僅かに903人、営業係数は122.9である。これは同じ並行在来線であったしなの鉄道の10分の1程度であり、輸送密度が比較的近似している第三セクター路線を見ると松浦鉄道911人・101.6阿武隈急行1082人、118.1、会津鉄道897人、148.9、平成筑豊鉄道961人、127.9等の水準である。
松浦鉄道のように比較的収支が均衡している路線もあるが、輸送密度900人前後の場合、営業係数は120前後となるケースが多いようだ。
しかしながら同じ九州の松浦鉄道と異なり、沿線に核となる大都市(佐世保)が存在せず、小都市乱立で吸引力が小さいため、今後の輸送人員も沿線人口と共に増加する要素に乏しいのが実情である。
また、特定地方交通線とは異なり、転換交付金、運営費の国庫補助等も無く、早くも2008年度以降積立金の取り崩しが始まっている。
当面の対策として、特定地方交通線水準の路線らしからぬ過剰設備の整理すなわち一部複線区間の単線化、信号場廃止、交換駅の整理等、また、高齢者、交通弱者が利用しやすい環境作り、具体的には跨線橋を撤去し構内踏切の復活、等が考えられよう。
2009年7月、出水にて撮影。
・3月19日 九州旅客鉄道 達成駅新八代
その帰路は九州新幹線を利用。殆どがトンネルであり、あっという間の1時間弱であった。
2009年5月23日、鹿児島中央にて。
・3月24日 高松琴平電気鉄道 達成駅おそらく長尾
この頃は僅かに旧型車の定期運用が残存していた。1994年、まだ再開発前の瓦町駅で次々とやってくる旧型車をコンパクト・カメラで撮影したあの日が鮮明に思い浮かぶ。
私が琴電で一番好きな駅は片原町。4連の電車が行きかう複線区間はふた昔前の大手私鉄の風景を感じさせる。全列車車掌乗務というのも地方では珍しい存在になりつつある。
近年も相変わらず都市型輸送は維持しており、日中の高松都心付近では交通弱者以外の乗客も多々見られ、当面は安泰であろう。
2008年10月、片原町にて。
・3月19日 肥薩おれんじ鉄道 達成駅川内
3月13日に移管・開業した肥薩おれんじ鉄道。『週刊東洋経済』2010年4月3日号の推計輸送密度を見ると、2007年で僅かに903人、営業係数は122.9である。これは同じ並行在来線であったしなの鉄道の10分の1程度であり、輸送密度が比較的近似している第三セクター路線を見ると松浦鉄道911人・101.6阿武隈急行1082人、118.1、会津鉄道897人、148.9、平成筑豊鉄道961人、127.9等の水準である。
松浦鉄道のように比較的収支が均衡している路線もあるが、輸送密度900人前後の場合、営業係数は120前後となるケースが多いようだ。
しかしながら同じ九州の松浦鉄道と異なり、沿線に核となる大都市(佐世保)が存在せず、小都市乱立で吸引力が小さいため、今後の輸送人員も沿線人口と共に増加する要素に乏しいのが実情である。
また、特定地方交通線とは異なり、転換交付金、運営費の国庫補助等も無く、早くも2008年度以降積立金の取り崩しが始まっている。
当面の対策として、特定地方交通線水準の路線らしからぬ過剰設備の整理すなわち一部複線区間の単線化、信号場廃止、交換駅の整理等、また、高齢者、交通弱者が利用しやすい環境作り、具体的には跨線橋を撤去し構内踏切の復活、等が考えられよう。
2009年7月、出水にて撮影。
・3月19日 九州旅客鉄道 達成駅新八代
その帰路は九州新幹線を利用。殆どがトンネルであり、あっという間の1時間弱であった。
2009年5月23日、鹿児島中央にて。
・3月24日 高松琴平電気鉄道 達成駅おそらく長尾
この頃は僅かに旧型車の定期運用が残存していた。1994年、まだ再開発前の瓦町駅で次々とやってくる旧型車をコンパクト・カメラで撮影したあの日が鮮明に思い浮かぶ。
私が琴電で一番好きな駅は片原町。4連の電車が行きかう複線区間はふた昔前の大手私鉄の風景を感じさせる。全列車車掌乗務というのも地方では珍しい存在になりつつある。
近年も相変わらず都市型輸送は維持しており、日中の高松都心付近では交通弱者以外の乗客も多々見られ、当面は安泰であろう。
2008年10月、片原町にて。