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松屋「ラーメン専門店」に new
込められた狙い 連載 4
「客単価と回転率の両立」
しかし、「松太郎」の店内はカウンター
のみ。しかも一席ごとに仕切りが設けら
れている。ラーメン専門店としては珍し
い光景ではないが、ここから透けて見え
るのは「客単価と回転率の両立」を意識
した設計だ。

「ちょい飲み」需要も狙ってはいるもの
の、席の構成上、団体客やグループでの
利用は難しい。むしろ一人客が短時間で
食べて出ていくスタイルを前提にしてい
る。これは「松屋」と同様の効率性を追
求する姿勢であり、居酒屋的に「滞在時
間で稼ぐ」発想とは一線を画す。
(次回に続く)
松屋「ラーメン専門店」に new
込められた狙い 連載 3
680円で十分満足できるクオリティだ
そうした状況下で「680円」という価格
は、まさに逆張りともいえる戦略だ。「
松太郎」のラーメンは、「日高屋」の中
華そば(420円)、「幸楽苑」の中華そば
(490円)と比べれば少し高い。しかし、
1000円超えが当たり前になった今のラ
ーメン市場を俯瞰すれば、リーズナブ
ルで十分に美味しいという立ち位置を
確保しているともいえる。
醤油ラーメンは魚介がじんわり香る醤
油スープに北海道産小麦を使用した細
麺を合わせたクラシック系。ダシ感が
深く、安っぽさはない。680円で十分
満足できるクオリティだ。

(筆者撮影)
メニュー構成を見ると餃子や生ビール、
ハイボールなどもあり、「ちょい飲み」
需要も狙っているようだ。
(次回に続く)
松屋「ラーメン専門店」に new
込められた狙い 連載 2
「松屋」の新業態に込められた
意外な狙い
ところが、「日高屋」「幸楽苑」などの
リーズナブルなラーメンチェーン、「吉
野家」「すた丼」など他の外食チェーン
が提供するラーメンと比較してみると…
…見えてくるのは、「松屋」の新業態に
込められた意外な狙いであった。
近年のラーメン業界を語るうえで避け
て通れないのが、「1000円の壁」という
言葉だ。原材料の高騰、人件費や光熱
費の上昇により、従来700〜800円が相
場だったラーメンは、いまや1000円前
後が当たり前になりつつある。都心の
人気店では、トッピングを追加すれば
1500円に届くことも珍しくない。
(次回に続く)
松屋「ラーメン専門店」に new
込められた狙い 新連載 Ⅰ
逆張りの発想
新宿・小滝橋通り。20年以上の長きに
わたりラーメン激戦区として知られる
この地に、牛丼チェーンの「松屋フー
ズ」が新たに立ち上げたラーメン専門
業態「松太郎」がオープンした。
看板メニューは、奇をてらわないオー
ソドックスな醤油ラーメン。その価格
は680円だ。
この一杯をどう捉えるべきか。一般的
に新業態を立ち上げる場合、差別化の
ために何らかのとがった要素を入れる
もの。とくに、ラーメン業界はすでに
レッドオーシャン中のレッドオーシャ
ン。普通に考えれば「とがった一杯」
や昨今はやりの「体験型要素もある一
杯」を狙うはずだが、松屋の戦略はそ
の真逆。とことん“逆張り”なのである。
井出隊長 ライター
(今回新連載です)
流山はなぜ「人口急増の街に」 new
変貌したか 最終回 15
年を重ねた時 どうなるか注目
流山おおたかの森はきれいで新しい街
だが、「流山おおたかの森S・C」も周
りのマンション群も、いずれは劣化し
ていく。地域住民も一緒に歳を重ねて
いく。そのとき、街がどうなるか。「
流山おおたかの森S・C」がどうあるか。
流山おおたかの森に商業施設を開発し、
育て続ける東神開発のまちづくりに注
目したい。
(今回最終回です)
流山はなぜ「人口急増の街に」 new
変貌したか 連載 14
開発したあとの運営が街を左右
東神開発は共存共栄の精神を掲げ、自
社で築いた運営形式によって地域に根
付いた施設づくりを行ってきた。
だからこそ街から信頼され、流山おお
たかの森で広範囲の開発を成し遂げて
いる。そして、流山おおたかの森は多
数の人々を惹きつける街になった。
商業施設を開発したあとの運営がどれ
だけ街を左右するか、「流山おおたか
の森S・C」が物語っている。

(筆者撮影)
(次回最終回です)
流山はなぜ「人口急増の街に」 new
変貌したか 連載 13
東神開発、海外にまで事業拡大
東神開発の社名は、最初に開発した二子
玉川の地が東京と神奈川の県境にまたが
ることに由来するが、その後関西や九州、
そして海外にまで事業を拡大している。


ャードロードにある(筆者撮影)
(次回に続く)
流山はなぜ「人口急増の街に」 new
変貌したか 連載 12
毎月イベントチラシ発行
駅から家に帰る途中、大人も子ども
もちょっとしたお祭り気分を味わえ
て楽しそうだ。
さらに「おおたかの森スタイル」と
いうチラシが毎月発行されており、
こちらにもイベント情報がたくさん
載っている。

夏休みイベントが盛りだくさん(筆者撮影)
(次回に続く)
流山はなぜ「人口急増の街に」 new
変貌したか 連載 11
イベント盛んに行われる
ほかにも、定期的にさまざまなイベント
を実施している。筆者が「流山おおたか
の森S・C」を訪れた際は、「ほろ酔いテ
ラス」というイベントが実施されていた。


(次回に続く)
流山はなぜ「人口急増の街に」 new
変貌したか 連載 10
開発簿も街にかかわり続ける
日本にも、固定賃料で運営管理に重き
を置かないショッピングセンターも存
在する。しかし東神開発は開発から運
営までを一社で担い、テナントとの協
力体制のもと、開発後も街にかかわり
続けている。たとえば、2019年から「
Art Award おおたかの森」を開催して
いる。(2023年以前は、「流山おおたか
の森S・C グラフィックアワード」)ホ
ームページを見ると、「地域の生活基
盤を支えるショッピングセンターを媒
介とした、文化の息づくまちづくりを
目指す」と書かれている。
街には、2024年の受賞作品が展示され
ていた。
(次回に続く)
流山はなぜ「人口急増の街に」 new
変貌したか 連載 9
より多くのお客様に来店してもらう
デベロッパーは、より多くのお客様に
来店してもらうために、運営管理に注
力する。たとえば、ショッピングセン
ターで実施されるイベントの数々は、
歩合賃料の仕組みに基づいたものだ。
たくさんのお客様に来店してもらうた
めには、楽しんだり、くつろいだり、
学んだりできる内容でなければならな
い。だから、自然と街に住む人々のた
めの取り組みが行われる。
加えて、東神開発は地域との「共存共
栄」の理念を掲げている。
(次回に続く)
流山はなぜ「人口急増の街に」 new
変貌したか 連載 8
歩合賃料の導入
その中で重要なポイントが、歩合賃料
の導入である。ショッピングセンター
の賃料は、固定の場合と歩合(固定+
歩合)の場合が存在する。
固定賃料であれば、デベロッパーとし
ては、テナントが毎月決まった賃料を
払ってくれればいい。いわば、床貸し
ビジネスである。アメリカではこちら
が主流であった。
一方で、歩合賃料の場合は、売り上げ
×歩合率(テナントごとに契約で決め
られる)がデベロッパーの収入となる。
つまり、テナントの売り上げが上がる
ほどデベロッパーに入る賃料も高くな
る、Win-Winの関係性になるのだ。
(次回に続く)
流山はなぜ「人口急増の街に」 new
変貌したか 連載 7
「玉川高島屋ショッピングセンター」の
開発に伴って設立された会社
その理由は、東神開発の設立経緯をたど
ると見えてくる。
東神開発は、日本初の本格的な郊外型シ
ョッピングセンターといわれている「玉
川高島屋ショッピングセンター」の開発
に伴って設立された会社だ。

「玉川高島屋ショッピングセンター」の
際に、東神開発はショッピングセンター
の運営の礎を築いた。アメリカのショッ
ピングセンターを参考にしつつ、日本型
の運営形式をつくった。
(次回に続く)
流山はなぜ「人口急増の街に」 new
変貌したか 連載 6
一つの駅で一社で開発珍しい
2013年から2022年にかけて、「ハナミ
ズキテラス」、「ANNEX1」、「こもれび
テラス」、「こかげテラス」、「FLAPS」、
「アゼリアテラス」、「ANNEX2」、「GR
EEN PATH」を順にオープン。2023
年には「TXグランドアベニュー」を
リニューアルオープンした。
ひとつの駅に、ひとつのデベロッパー
が、何年もかけて開発を行っているの
は異例である。なぜ、東神開発は流山
おおたかの森の街でこのような面開発
を実現できたのか。
(次回に続く)
流山はなぜ「人口急増の街に」 new
変貌したか 連載 5
森のタウンセンターがコンセプト
流山市のビジョン「森の再生、緑のま
ちづくり」に賛同した東神開発は、「
森のタウンセンター」をコンセプトに
「流山おおたかの森S・C」の開発を始
めた。2007年3月12日に「流山おおた
かの森S・C」の本館が開業。当時、つ
くばエクスプレスを挟んで反対側には、
まだ緑が目立つような状態であった。
その後、東神開発は約15年をかけて、
商業施設やオフィス、医療、教育など
の機能を備えた施設を段階的に開発す
ることになる。
(次回に続く)
流山はなぜ「人口急増の街に」 new
変貌したか 連載 4
「市野谷の森」
「市野谷の森」は駅から徒歩10分少し。木
々が生い茂り、虫たちの鳴き声が響いてい
る。3エリアにわけて公園として整備中で、
一部はすでに通り道が完成している。

を見つけた(筆者撮影)

(筆者撮影)
そんな緑豊かな街に「流山おおたかの森
駅」が新設されることを見据え、商業施
設開発の事業者が公募で選定されること
になった。そこで事業提案を行い、行政
の街づくりパートナーとなったのが東神
開発である。
(次回に続く)
流山はなぜ「人口急増の街に」 new
変貌したか 連載 3
エクスプレスが開通と同時に、
「流山おおたかの森駅」が新設
その後、流山市を含めて千葉県は急激な
ベッドタウン化が進む。しかし、千葉県
から東京へ直結する鉄道がJR常磐線しか
なく、著しく混雑し事故も相次いでいた。
それを受け、1985年に常磐新線の検討が
始まった。「つくばエクスプレス」である。
2005年のつくばエクスプレスが開通と同
時に、「流山おおたかの森駅」が新設され
ることになった。流山市によると駅名の
由来は、「駅に隣接する『市野谷の森』
にオオタカが生息していることや、駅周
辺は緑が多い環境にあることから決定さ
れたもの」。
(次回に続く)
流山はなぜ「人口急増の街に」 new
変貌したか 連載 2
1967年千葉県で20番目の市として誕生
現在の流山市にあたる地域は、昭和30
年代半ばに住宅が開発され始めるまで、
大部分が田畑や山林であった。住民の
半数以上が農業を行っていた。
明治中期、江戸川や利根運河の水運に
よって流山の街はにぎわっていく。
やがて輸送手段が鉄道に移り、水運は
衰退する。1896(明治29)年には日本
鉄道土浦線(現・JR常磐線)が開通し
た。その後も、1911(明治44)年に県
営鉄道野田線(現・東武アーバンパー
クライン)、1916(大正5)年に流山軽
便鉄道(現・流鉄流山線)が開通。し
かし、現在の流山市にあたる地域には
駅ができなかった。
終戦後に町村の合併が進み、1951(昭
和26)年に流山町、八木村、新川村が
合併して「江戸川町」となる。翌年に
町名が「流山町」に変更された。
昭和30年代には大型の団地が建設され、
人口が急激に増加する。1967(昭和42
)年に市制が施行され、千葉県で20番
目の市として「流山市」が誕生した。
(次回に続く)
流山はなぜ「人口急増の街に」 new
変貌したか 新連載 Ⅰ
たかの森。一度訪れると、ファミリー
が引っ越しを決意するのもわかるほど、
魅力に溢れた街だ--。毎回、さまざ
まな街にある商業施設を、「どのよう
にして街を変えたか」という観点から
レポートする本連載。今回は「流山お
おたかの森」周辺を歩く。
「流山おおたかの森S・C」が長年にわ
たって拡大を続けてきたことを紹介し
た。「流山おおたかの森S・C」は、流
山市の人口が増加した一因になってい
る。なぜ、「流山おおたかの森S・C」
を手がける東神開発は、このような街
づくりができたのか。理由を探るべく、
流山の街の歴史から振り返っていこう。
坪川うた 諸ピンがセンター 偏愛家
(今回新連載です)
ヒューリック「銀座のこれ new
からと開発の要諦」 最終回 4
建築費が高騰する中で、銀座の開
発にどんな影響が出ていますか。
当社は2029年までに、震度7の地
震にも耐えられる耐震性能を全保
有物件に備えることを目標に掲げ
ており、その分だけ建設コストが
かさむ。収支が合わないことから
開発をやめたり、計画を見直した
りする事例もでてきた。
この状況はあと数年続くだろう。
高騰する建築費や地価、賃料の予
測をにらみながら、開発を進めて
いく。
(今回最終回です)
ヒューリック「銀座のこれ new
からと開発の要諦」 連載 3
銀座の景気はどうですか。
非常によい。コロナ禍のときでも、
銀座はテナントが動かず賃料を維
持できた。ハイブランドの銀座で
の出店意欲は高い。建築費が高騰
し、金利も上がる中で、ビルの開
発、建て替えは難しくなっている
が、採算が合う開発ができるエリ
アは銀座や青山くらいだ。
以前からの建設業の人手不足に加
え、国策で半導体工場の建設など
に人手がとられてしまい、開発に
当たってゼネコンやサブコンを確
保するのが難しくなっている。建
物を取り壊すにも「2年先でない
と難しい」とゼネコンから言われ
ることもある。個人的なコネクシ
ョンでサブコンを先に確保するな
どしながら、開発を進めていると
ころだ。
(次回に続く)