コロナ禍ですが奄美大島へ行くことになりました。
とゆうのも長女が奄美大島の人と結婚することになり先日自宅に本人が挨拶に来られ、今度は私が相手方のご両親へご挨拶と長女の新居の生活準備のためです。
もちろん観光を兼ねてですが、台風が近づいているようで心配です。
コロナ禍のため結婚式はしないとの事ですが・・・ 親としては娘の花嫁姿を見てみたいのですが複雑な思いです。
関西国際空港からの直行便に乗って出発です
奄美空港近くでレンタカーを借り、まずは昼食。
豆腐料理で有名な島豆腐店「高野」へ直行しました。
美味しかった。
その後、相手ご両親へのご挨拶を済ませて奄美大島の名瀬にある宿泊先のホテルにチェックイン。
明日からは娘の新居の清掃と生活用品一式の購入や家電類の搬入設置で忙しくなります。
とは言え観光も忘れずに
翌朝から長女の住む家の方へ、道路沿いには綺麗な花が咲いている。
生活できるよう様々な準備です。
夕食はパスタの美味しいお店へGO!
海の綺麗さに感動!
翌日、観光地へGO!
奄美パークへ、台風が近づいているが幸い雨に合うことがなかった。
パーク内の展望台
展望塔からの眺め、台風の影響で雲がどんよりとし白波が立っています。
奄美パーク内にある田中一村記念美術館
大島紬村へ
泥染めの様子
慣れた手つきで機織りをするのを観察できました。
奄美海洋展示館へ
天気が良ければマングローブ林へ行くことが出来たのだが・・残念
翌日はハートロックへ
強風でこんな荒波の中行けるのだろうか?心配・・
駐車場に車を置きハートロックに向かう道中、熱帯地方独特の植物の中を歩いて行く
抜けると綺麗な海と砂浜が見えた
この先がハートロック、数名来ているぞ
ハートロックに到着、白波が迫ってくる、大丈夫かな?
潮溜りがハート型になるのでハートロックと名付けられたようで、見れるのは干潮時の時間帯だけなので干潮の時間を見計らっていく必要がある。
あやまる岬観光公園です
奄美大島の最北端近くの場所
蒲生崎観光公園へ到着
ここから徒歩で展望台へ行く途中に雨が降り出し駆け足で展望台へ
蒲生崎観光展望台からの眺めは風雨のため良くなかった
放浪館と言う名の図書館のオブジェ。
台風が近づいている影響もあり奄美本来の海の綺麗さを体感できなかったが、幸いにもあまり雨に合わずに観光できました。
ただ、台風の影響で案の定飛行機が欠航となり2日間足止めになりホテルの予約は無かったので急遽長女の家に泊めてもらうことになりました。
でもこれからは長女に滅多に会うことが出来ないので2日間多く一緒に居れることができて良かったのかもしれない。
幸せに暮らしていけるように祈るばかりです。
奄美大島は、食事が美味しかったことと、私の住む所と植物が違って南国独特の素晴らしい大自然を体験でき、運が良ければ奄美にしか生息していない黒うさぎなどに出会える。
世界遺産に指定されるだけのことはあると思います。
今日は格安で手に入れた我が家の働き者を紹介します。
近所のモータースで見つけた軽トラックです。
25年セコで交渉の末10万円ポッキリで購入できました 笑
残された田畑の草刈りや実家の植木の剪定、遺品や不用品の整理をするため便利な方法がないかと思った末の決断で購入です。
4WDでこの価格はどこを探してもないでしょう?
当時の特別仕様車なのでミラーはメッキタイプでホイールはホワイト仕様でシートもお洒落な模様入りです。
走行距離は64800kmでしたが、クリーンセンター(ごみ処理場)通いでもう100km以上走ってしまいました。汗
40年ぶりのマニュアルミッションですが体が覚えていて難なく運転できた、クラッチに自然と足がいくのは自分でも不思議なほどです。
やっぱりマニュアル車は運転が楽しいですね!
4WDの切り替えはボタンを押すだけです。
子供が使わなくなったキティちゃんのハンドルカバーとミッションカバーを取り付けて可愛い感じになりました 笑
昔、家内のシャレードに付けていたアームレストもあったのでネジ止めして取付て小物を入れられるようになり少し便利になった。
シガレット端子からUSBも取付スマホを充電できるようにしました。
ミラーもキティちゃん仕様に 笑
これも以前子供が使っていた物です。
フロントガラスには取外しできるスモークのサンバイザーも取り付けました。
マフラーには極太のマフラーカッターも取付ました。
何もかも使わなくなり保管しておいた物が、役に立つとは思ってもいなかったので大満足しています。
やっぱり軽トラあれば何かと便利ですね。
調子も良いし良く働いてくれます。
最近は毎日の日課として実家の片付けをしている今日です。
と言うのも、昨年9月に母が、今年3月に毎日の看病の甲斐もなく父が他界し、様々な相続手続きを終え、遺品や不用品の整理をしなければならなくなってしまったためです。
コロナが蔓延している中、2人とも何事もなく見送れたことが何よりの慰めでした。
遺品を整理していると私が子供の頃一緒に連れて行ってもらった日本万国博覧会のガイドブックが出てきました。
あの日の思い出が走馬灯のように蘇り、懐かしさと両親を思い出い少しウルとしてしまいました。
それがこれです。
私が中学生の頃、51年前の物とは思えないくらい綺麗な状態で保管されていました。
入場券と迷い子ワッペンが冊子の中に挟まれていました。
大人800円・青年600円
迷い子ワッペンは弟が付けた物かな?
パビリオンは当時としては凄い出来栄えだったと思います、人気のパビリオンへは長蛇の列で入るのに一苦労だったのを思い出した。
日本館の概要が書かれている
アメリカ館では月の石が展示されていましたが、じっくりと見ることができなかったのを思い出した。
この頃はまだロシアではなくソビエトだったのですね
みどり館 人気でしたね
現在も残る岡本太郎作の「太陽の塔」の内部も紹介されていました。
会場の地図は後ろの方に有りました
後にネットで調べてみると
日本万国博覧会は1970年3月15日(日曜日)から9月13日(日曜日)まで「人類の進歩と調和」をテーマに183日間開催された。
公式なシンボルマークは、日本の国花である桜をかたどったもので
テーマソングは「世界の国からこんにちは」です。
三波春夫さんが歌っていたのを思い出します。
参加国は77カ国
入場者数 は6421万8770人で1日の最高入場者は83万6千人 ※9月5日(土)に記録。
平均入場者数は35万人
会場面積 330ha
入場料 大人(23歳以上):800円
青年(15~22歳):600円
小人(4~14歳):400円
※当時の平均月収は5万円
だったらしいですよ。
2025年の4月に大阪夢洲で開催される万博も楽しみですね。