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子育てペンギン☆徒然なるままに

“出すぎた”杭は打たれない!をモットーに子育て・平和・みんなが主役をテーマにワーキングママは今日も走ります♪

春爛漫

2011-04-16 | 季節・風景
花粉症には辛いけど
いきなりの春の到来に
周囲の景色が変わりました

写真は
国道246号線近くの
緑道の雪柳

あまり、鮮明ではないけど
大和の春が、みなさんに届きますように・・・

出すぎて曲がった杭は打たれないぞ!

2011-04-16 | つながり
今日は、いつもと様子が変わり(?!)
たくさんの女性たちが事務所にいらっしゃいました♪

子育て真っ只中の人
求職中の人
仕事と子育てを両立している人
シングルで頑張っている人
わが道を威風堂々と歩く人
…女も10人集まれば、十色、
いろんな生き方を選択した女性たちのパワフルなこと☆

私も
子育て、仕事、介護…そして平和・環境運動に
ただひたすら走り続けました(…もちろん、今も!)
悩みながら、でも先輩たちにアドバイスをもらったり
同じ悩みを抱えた仲間と語り合ったり
そして、何よりも家族に支えられながら
乗り越えた数々の壁

出すぎた杭は打たれるけど
出すぎてしまえば打たれない…でも、抜かれるかも。
それなら…出すぎて曲がってしまえば
打たれないし、抜かれない!
そんな人生訓のもと、これからもがんばろー

「女・こども」と揶揄された時代もありましたが
どんな時代でも(戦後の廃墟の中など)
最初に立ち上がったのは「女たち」であり
生きている喜びを与えてくれたのは「子どもたちの笑い声」
であったはず。
そのたくましさが“いのち”を引き継いで、今に至り
未来へつながるんですよね

もちろん、忘れてはならないのは
長時間労働と闘いながら、子育てにも積極的な「イクメン」たちの活躍です
女子会、ブラボー!
がんばれ! イクメン

歴史上にない人災-ほっておかれた“いのち”

2011-04-16 | いきる
《原子力関連会社いた友人の現地報告3-続き》

飯館村役場には移動式のガンマー線測定器が置かれていた。
現在の放射線値とその日の最高値が見ることができた。
11時58分の値は5.84μGy/h
その日のこれまでの最高値は5.86μGy/h。
 ※μGy/hはマイクログレイパーアワー、1時間当たりの吸収線量と言われ、
  被曝量のシーベルトを計算する元の単位だ。
  ガンマー線の場合は1シーベルトが1グレイなので、
  この値はそのまま5.84μSv/hと理解して差し支えない。
多分新聞に掲載されているのもこの数値なのだろう。
ここに8日いれば1.1ミリシーベルト年間の被曝の基準を超えてしまう。
でもこの飯館村は30キロ圏外で、屋内退避もないのだ。
この役場での我々の測定結果は次の通りだ。
飯館村村境、地面から1m362カウント。
地表632。
飯館村役場地面から1m386。
芝生の上994。
コンクリート上893。
側溝733。
このデータを見ると大気中から受ける放射線と地面に蓄積された放射線の
受ける割合が、2対1ということになる。
(地表の測定は空気中の放射線もカウントされるので地表からの放射線は測定値から空気中のカウント数を引く)
今後、放射能がまったく原発から放出されなくても3分の1は残る。
土壌汚染が進んでいると言うことが深刻だ。

飯館村から次の目的地南相馬市に。
南相馬市との境で車内で測定すると196カウント。
南相馬市に近づくにつれて原発には近づいているのにカウント数は急に減っていく。
市の中心街では車内で41。
支援物資の拠点になっている道の駅でも62カウント。
地表も72カウントだ。福島市内よりはるかに少ない。
人通りは全くない。
20キロ圏内の人は避難したし、20キロから30キロの人は屋内待機だからか。
昼食は南相馬でと思っていたがどこも開いていない。
空腹に耐えていた時、「空いてる。」との発見の声!
Uターンして店まで行ってみると美容院だった。
コンビニ以外営業している店を探すのは難しい。

20キロ圏内に入ることを試みた。
きっちり20キロのところで進入禁止とされていた。
迂回して道を探し、20キロ圏内に入って海岸線に出た。
テレビで見るあの津波の惨状を見た。
仙台でも見たが、そこで見たのはまだ人が入れない地域の被災地だ。
くずれた家屋に人が眠っているかもしれない。
被災地を走っているといろいろな車とすれ違う。
水の上を走れる水上車も見た。
海に流された遺体を捜索するものだと想像できる。
1万人以上の行方不明者のその一人が自分のそばにいるかもしれないのだ。
海岸線の道は崩壊亀裂があちこちにあり、ここにはJAFも来ないに違いないと、
規制地域の外に帰ろうとうろうろしていたら、
白い防護服の人たちが作業をしている。
あたらめて、放射能危険区域にいるんだと思ったが、
ここは私たちの検出器によれば、福島市内より放射能の被曝は少ないのだ。

その日、福島の地方紙を見た。私が見た防護服の人たちは警察の人たちだった。
記事には4月7日に初めて捜索が開始されたとあった。

仙台との違い、それは1カ月近くここはほっておかれた。
原発の放射能汚染があるからだ。
そして、今も帰れない人が何万人もいる。
もしかしたら永久に帰れないかもしれない。
「想定外」なんていう言葉を発することが腹立たしい。
これは人災のなかの歴史上ない人災だ。
そして、その電力を使っていた私たちにも責任はあると思うのだ。


《完》