遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

広島 原爆の日

2020-08-07 16:40:14 | 日記

令和2年8月7日(土)

広島 原爆の日

 

 

7月6日、被爆から75年の節目を迎へ、広島市の

平和記念公園で「原爆死亡者慰霊式・平和祈念式典」

が営まれた。

 

新型コロナウイルスの影響で出席者を限定、世界83カ国

・EUの駐日大使や、田上長崎市長等785人が参列した。

(例年なら1万2千人の参列者がある)

 

 

国連のグテーレス事務総長からの「核不拡散、軍縮強化」を

訴えるビデオメッセージがある。

午前8時過ぎ、慰霊碑の石室へ、今年新たに亡くなられた

4,943名の原爆死亡者名簿が収納され、総数は、324、

129名となった。生存される全国被爆者は136,682

人で、平均年齢は83.3歳と高齢化が進む。

この後、松井広島市長、安倍首相、遺族代表等の献花がある。

午前8時15分、平和の鐘を合図に1分間の黙祷が行われた。

その後、松井一義広島市長の「平和宣言」があった。

 

「原爆投下の翌日、当時13歳の男性が、母と弟を探すため

爆心地に向かい被爆した。水を求める被爆者が「自分の事、

自分の国の事ばかり考えるから争いになる」の声を耳に、、

昨年11月、広島平和祈念館を訪れたローマ教皇は「思い出し

、伴に歩む、守る、この三つは倫理的命令です」との力強い

メッセージを残された。 亦、元国連難民高等弁務官の緒方

貞子氏は「大切なのは苦しむ人々の命を救う事。自国だけの

平和は在り得ない」と実体験からのメッセージ、、、、

平和祈念館を訪れた海外の方々は「自分達の事としての悲劇

について学んだ。人類の未来のための教訓だ」との声が、、、

これからの広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和

の実現に向け、連帯する責務がある。

50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と3年前に成

立した「核兵器禁止条約」は、核兵器廃絶の不可欠な条約、、

確実に次世代に継続すべきものにも拘わらず不透明、、、、、

世界の指導者は、今こそ決意をすべき時、、、日本政府は、

核保有国と非核保有国の橋渡しを確り果たし、「核禁止条約」を

署名・批准をし、同条約の締約国となり、唯一の戦争被爆国と

して、世界中の人々が被爆地広島と連帯する様にして戴きたい。

亦、平均年齢が83,3歳となられる被爆者に寄り添い、支援策

を充実させて頂きたい、、」

この後、小学生代表の「平和への誓い」があった。

「15年前、草木も生えぬと言われた広島の町、、、町は人々の

活気に溢れ、緑豊かな町となりました。家族で笑い、友達と学校

へ行き、公園で遊ぶ。 当たり前の日常が、今年はウイルスの脅威

に依って奪われた。 75年前、人間が人間の姿を失い、無残に

死んでいく、、、無残な光景の広島を原子爆弾が作ったのです。

あのような事は、二度と起きてはならない、、、

人間の手に依って作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私達

人間の意思です、、私たちは優しい心を持ち、相手の思いに寄り

添ひ、笑顔で暮らせる平和な未来を築きます」

安倍首相の「挨拶」

「原子爆弾の犠牲となった数多くの御霊に謹んで哀悼の誠を

捧げます、、、唯一の戦争被爆国として、核兵器の無い世界

への実現に向け、国際社会の努力を前に進める事は我国の

変わらぬ使命です。 非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる

国々の橋渡しに努めて、核兵器の無い世界の実現に向け、国際

社会の取り組みをリードしていきます。

安倍首相は、核兵器禁止条約への書名と批准については言及を

避けた。 何時もの通り、内閣参謀の書いた「原稿の棒読み」

をするばかりで、何の感情も示さない冷静(冷酷)な方、、、

(写真はNHKTV、平和祈念式典より引用した)

今日の1句

原爆忌水の旨さを確かめる     ヤギ爺



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