遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

沖縄慰霊の日

2021-06-24 16:02:27 | 日記

令和3年6月24日(木)

沖縄忌 : 沖縄慰霊の日

第二次世界大戦で昭和20年(1945年)の夏、沖縄では

日米最後の地上戦が行われた。大戦史上最も大規模で県民の

1/4が亡くなった壮絶な戦闘の終結をしたのが、沖縄軍総司

令官の自決した6月23日。この日を「慰霊の日」と決め、

犠牲になった人々を慰める日としている。

糸満市に在る平和祈念公園では、6月22日に前夜祭が営ま

れ、コロナ禍の中、関係者のみに規模を縮小して行われた。

祈念の灯火を行い、代表者による献花が行われた。

 

6月23日、生憎の雨天の中で「沖縄全戦没者追悼式」が

平和祈念公園で執り行われ、コロナ感染予防のため昨年より

更に規模を縮小し、関係者50名が参列して営まれた。

代表者の献花の後、全員で黙祷がなされた。

 

玉木デニー沖縄県知事の「平和宣言」が在った。

「太平洋戦争から76年、6月23日を迎えました。私達は

恒久平和の実現を求め、復興と発展への道を歩んできました。

戦没者の遺骨を前にすると、戦争の傷は未だに癒えることは

有りません。 国土面積の僅か0.6%の沖縄に在日米軍の

基地は70%が沖縄に集中し、事故・事件は後を絶たない。

沖縄県は来年、本土復帰50年を迎える。新たな在沖縄米軍

の整理・縮小を、、、、、、

世界では地域紛争は絶えず、貧困・飢餓・差別・人権侵害が

存在する。 新型コロナ感染症禍の中、、、私達は沖縄から

世界へ平和の輪が繋がることを目指して、核兵器廃絶・戦争

放棄・恒久平和の確立のたね不断の努力を続ける。」

次に、沖縄県宮古市立西辺中学2年、上原美春さんの「平和

の詩」の朗読が在った。

「みるく世の謳(うた)」

12歳、初めて命の芽吹きを見た。生まれたばかりの姪は、

小さな胸を上下させ、手足を一生懸命に動かし、瞳に湖を閉じ

込めて「おなかが空いた」「オムツを替えて」と力一杯、声の

限りに訴える。、、、、、、、、

吹き抜けるこの風は覚えている。うちなーぐちを取り上げられ

れた沖縄県自らに混じった鉄の匂いを、踏みしめるこの土は覚

えている。まだ幼さの残る手に銃を握らされた少年がいた事を、

私は知っている、礎を撫でる皴の手が何度も拭ってきた涙、

あなたは知っている、あれは現実だったこと。煌びやかなサン

ゴ礁の底に深く沈められつつある悲しみが存在する事を、、、、

忘れるな本当にあったのだ。暗くしめった壕の中で憎しみで満た

された日が本当に在ったのだ、、、、、、、、、、 血色の海、

いくつもの生きるべき命の大きな鼓動が、岩を打つ波にかき消さ

れ、万歳と投げ打たれた日が本当にあったのだと、、、、、、

忘れないで誰もが平和を祈っていたことを、どうか忘れないで、

生きる事の喜び、あなたは生かされているのよと、、、、、、

今日生きている喜びを震える声に感じて、決意の声高らかに、

みるく世ぬなうらば世や直れ、 平和な世界は私達が作るのだ。

共に立つあなたに感じて欲しい、溢る血潮に流れる先人の思い、

共に立つあなたと歌いたい、、、平和な未来に届く魂の歌、、

私達は忘れない、あの日の出来事を伝え続ける事、繰り返さない

事、命の限り生きることを、、、、、、暗黒の過去を溶かす事

なく、あの過ちに再び身を投じることなく、繋ぎ続けたい。

みるく世を創るのはここに居る私達だ。」

「みるく世ぬなうらば世や直れ」は、宮古民謡の「豊年の歌」

一節で、上原さんによると「平和な世がやってきて、みんな

の暮らしが良くなります様に」という意味だそうです。

菅総理は、モニターで挨拶、

 

沖縄慰霊の日のこの日は、役所や学校は休みとなる。

一方で、沖縄タイムズとヤフ―の「共同アンケート」によると

2000人のうち、「沖縄慰霊の日」を知らなかったと答えた

人は1500人以上(全国で)あったとの事。(約75%)

沖縄県民は親、教師等から直接聞いたり、体験したりしている。

日本全国では沖縄戦の話を学校等から学んでいないのが現状の

様である。沖縄基地の問題等、「関係ない」と知らんふりする

人の多さに驚くと同時に、誠に悲しい事である。

 

今日の1句

同胞の忘れられざる沖縄忌   ヤギ爺



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