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遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

名古屋港の桜2

2022-03-29 16:57:09 | 日記

令和4年3月29日(火)

名古屋湖の桜

昨日、カミさんが久方ぶりに「ばあば工房」へ出かけた。

コロナ過で暫くの間自粛中、半年ぶり(今年初めて)の集

まりとなった。

久しぶりに仲間と出会い、様々な情報が飛び交ったようで

ある。「誰それがコロナに感染し、家庭内隔離で大変、、」

「自粛が長くて夫婦喧嘩が絶えず、顔を7見るのも、、」

等々、、、 ま、我が家も大げさに言えば似たり寄ったり。

四六時中同じ顔を合わせるので多少の波風は当たり前か?

私自身も、本日カミさんがイソイソ出かける姿にホットし

て(然し、我が家の場合カミさんのお出かけは多かった)

 

帰宅後も元気溌溂、笑顔で仰る、、、

「お父さん、 大通りの地下鉄の名古屋港駅付近の桜は

満開でしたよ、」

「えッ、」(そうか、此処2、3日気温が高かった、)

早速、午前中の用事を済ませ(それほど用の在る訳も無)

そそくさと出かける。

ご近所の庭や、小学校前の桜は咲き盛っている。

大通りに出るとやはり地下鉄名古屋港駅前辺りは、既に

満開に近いようである。

「やあ、驚きました、満開ですねー」「ホントですね」

見ず知らずの人から声がかかり、こちらも即答する。

桜は、人を和ませ誰にも親しみを持たせるようである。

先日訪れた名古屋港の無料休憩所前に付くと園児等が、

あちらこちらと、走り廻っている。

保育士さん達も忙しく動き廻っていた。

「写真撮るよー、、」何とか集まり、、、、パチリ、

何だか、こちらも楽しくなって来た。

(我家の孫達も、あんな頃があったなー、、、、、)

無料休憩所からポートビル迄の間の桜は7,8部咲き

か、、週末辺り見頃(満開)を迎えるようだ。

 

今日の1句

花万朶ただ徒然に眺めをり   ヤギ爺


弥 生

2022-03-27 16:26:18 | 日記

令和4年3月27日(日)

弥 生 : 春の惜しみ月

陰暦の三月の異称。3月下旬から5月上旬頃にあたる。

陽暦とは、凡そ1ヵ月のズレがある。

弥生の「弥」は「いや」とよみ、いよいよとか益々という

意味がある。更には一面に覆う、みなぎる、満ちるの意も

ある。

「生」は「よい」で生まれる、草木が芽吹く事を意味する。

従って弥生は、草木が芽吹き、みどりが覆うような時期を

さしている。 春たけなわの季節をいう。

陰暦(現代)では4月頃にあたり、1ヵ月程のズレがある。

「弥生尽」は春の終りを告げる日となる。

弥生は語感がやわらかで、いかにも陽春にふさわしい言葉

である。

真っ先に浮かんで来る弥生の句に、

濃(こま)やかに弥生の雲の流れけり  夏目 漱石

弥生の雲という平凡な語に、より穏やかな景が浮かんでくる。

(俳人、藤松遊子さんの句評による)

 

弥生の副題に、「春惜しみ月」「花惜月」などがある。

木曾川堤の桜(昨年)

 

弥生は春の終わりで花が散る季節であり、散る花を惜しむ、

春を惜しむ頃といわれている。

実際には、桜の満開もこれから(3月の末日頃)で、

従い春本番もこれからで、やはり陽暦とは1カ月程の時候

のズレがあるようだ、、、、、、。

久しぶりに、お茶を一服、、、、、、

 

今日の1句(俳人の名句)

けふはまだ誰にも逢はず弥生尽   久保田万太郎


しらす干し

2022-03-24 16:33:08 | 日記

令和4年3月24日(木)

白子干 : ちりめんじゃこ

鰯の稚魚を食塩水の釜の中で茹で揚げて、干したもの

箱根から西の方では「ちりめんじゃこ」という。

じゃこは雑魚(ざこ)のこと。

ごく小さな魚を平らに広げて乾す様子が、細かなしわ

を持つ絹織物の「ちりめん」(縮綿)を広げたように

見えることから、この名がついた。

油分の少ないカタクチイワシの仔魚が用いられる。

一般的に体長3cm未満のものを指し、それより大きい

ものは「カエリ」と呼ばれる。

当日中に天日干しをするため、漁の当日が雨天の場合は

漁は中止する。漁に出ると、水揚げ後直ちに帰港をし、

釜茹でしなければならず、出漁から帰港迄の所要時間は

1~数時間である。

直ちに大釜の塩水で茹で上げ、釜から取り出したものを

「釜揚げシラス」とよび、瞬時に冷凍出荷する。

観光地や土産物店用となる。

他は日当たり、風通しの良い場所に細かい網の上に茹で

上がったシラスを広げる。

京都では「ややとと」と呼ばれているようである。

東京の人は、生乾きの白子を好むといわれる様だが、

近年、我々の住む中部圏や関西方面でも「生しらす」

「釜揚げしらす」が好まれる様になった。

高速道路の普及(第二東名)で産地(駿河湾)沿いの

サービスエリアに在る専門店で、釜揚げ白子等を食べ

させてくれる。

大変な人気で、シーズンには長蛇の列が出来る。

それでも並んで食べたい。(並んでるからつい列に)

私(ヤギ爺)も旅行などで東名を利用すれば、必ず

家族揃って列に続いている、、、、、、。

生シラス丼、釜揚げ丼、桜エビと釜揚げシラス丼等と

人気メニューが次々に、、、、、、、。

シラスは、其のまま御飯に乗せたり、じゃこおろし、

炊き込みご飯、煮物、炒め物、ほうれん草等和え物

などなどで食され、佃煮等の加工品にも使用される。

白子は牛乳と共にカルシウムが多く、其の代名詞の

様にもなっている。

以前、白子干しを買うと、タコ、カニ、エビ等の小魚

が混じって居り、子供の頃、これを見つけて喜んで居

たが、最近は食品アレルギー(エビ、カニ等)の表示

が義務付けられ、取り除かれる様になった。

中にB級品として安価な物には在るようだが、、、。

 

今日の1句

白子丼ひたすら列に並びをり   ヤギ爺


片栗の花

2022-03-23 17:02:14 | 日記

令和4年3月23日(水)

片栗の花 : かたかごの花

山林の半日陰、湿地、斜面に群生するユリ科の植物。

地下の鱗茎から葉と花茎を伸ばし、薄紫色の六弁の花

を下向きに開く。

豊田市足助町の香嵐渓(紅葉の名所)にある飯盛山で、

早春の妖精といわれるカタクリの花が見頃を迎えた。

カタクリは種蒔きから花が咲くまでに7年程がかかる

そうである。

飯盛山ではカタクリの自生地を増やそうと、1986年

から地元の有志等が毎年種を植え続け、現在ではおよそ

5000平方メートルの斜面に群生するようになった。

カタクリは、早春に一対の葉を広げて花茎の先端に淡い

紫色で、花弁の付け根に濃紫色の斑点のある花をうつむ

き加減に付ける。

万葉集では、「堅香子」とよぶ。 呼名はかたかご。

カタクリの若葉は「お浸し」などで食されるが、鱗茎

からは澱粉が採取される。片栗粉と呼ばれる。

近年では、片栗粉に代り市販の多くはじゃが芋の澱粉

になり、唐揚げなどの衣や料理のとろみ付けに用いる。

 

今日の1句

小暗がり片栗の花群るる山   ヤギ爺


菜の花

2022-03-22 16:39:27 | 日記

令和4年3月22日(火)

菜の花 : 花 菜

アブラナ科の越年草の油菜の花

古くから日本で栽培されていたのは油菜で、現在ではその殆どが

西洋油菜といわれる。

もともと菜は副食物を総称する菜(な)と、主食用とする魚(な)

も同じ語源からきた言葉である。

食用にされる菜には色々あり、芥子菜・高菜・白菜・蕪菜・油菜

などがある。

 

「本朝食鑑」(元禄10年)では、「菜はあおな」の俗名として

いる」。

これらの菜の花には多少の遅早はあるが、春に黄色の十字状の四

弁花が茎の先に群がって咲く。

菜の花は油菜のことで、その種から菜種油を採るので薬種という。

菜種油は、中世に摂津国遠里小野村(現、大阪府・堺市)で初め

て精製された。(それ迄は胡麻油が圧倒的であった。)

菜の花を「大和本草」(宝永6年)では、「満地金の如し」とか、

「農業全書」(元禄10年)では、「黄なる絹をしけるが如し」

と述べている。

 

俳人の与謝蕪村が安永3年(1774年)に詠んだ、

菜の花や月は東に日は西に 

見渡す限り菜の花の黄一色の世界。日輪は西の空に傾いているが、

東の空にはもう淡淡と大きな月が上っているという広大な風景で

ある。 とうてい画布には収まり切れない構図を、画家であった

蕪村は見事に十七文字に凝縮して描きあげたのである。

この句に接するたびに、自然の懐に抱かれて土と共にあった先人 

達の大らかな気息と、噎せるような菜の花の色と匂いが蘇って来

る。 子供達のうたう小学唱歌と共に、長く日本人の心にのこる

馴染み深い句である。

(俳人山口いさを、句評 新日本大歳時記より引用した。)

白川公園の、菜の花が見頃を迎えた。

平針農業センターに在る、菜の花畠もそろそろ見頃を

迎える頃だ、、、、

 

今日の1句(俳人の名句)

菜の花という平凡を愛しけり   富安 風声