写真は、映画版「砂の器」松本清張の原作を橋本忍 山田洋次の腕利が筆をとり野村芳太郎がメガホンを握った不朽の名作。今から40年前に製作された映画だ。私の好きな映画のひとだ。蒲田操車場で撲殺された初老の男が発見された。丹羽哲郎扮する今西刑事と森田健作扮する吉村刑事の懸命な捜査が始まる。紆余曲折を経て容疑者として加藤剛扮する作曲家の和賀英良が浮上する。手口、物証などは固まるが動機が分からない。映画はラスト30分、合同捜査会議、立ち上がりその動機を語り始める今西刑事、同時にオーケストラの指揮をとる和賀英良。今西の口上と共に回想シーンが始まる。重なる様に交響曲「宿命」の演奏が始まる。シナリオと音楽と映像が正に三位一体となって圧巻のラスト30分となる。
「この親子の運命を変えたのはハンセン病であります」今西刑事が語りだす。
村を追われた親子が遍路姿で放浪する。冬の海岸を、桜咲く野を、物乞いし糊口をしのぐ、偏見と差別が親子を追い詰めて行く。流転の末、親子は緒形拳扮する善良な警察官に出逢いそして救われる。父は施設に子は警察官の養子として生きていく。だが子はそんな生活から失踪してしまう。そして数十年を経てその子は和賀英良と名を変え作曲家として成功を収めていた。そんな和賀のもとに緒形拳扮する善良な警察官が現れ、父がまだ生きていることを告げ、直ぐに会えと迫る。己が出世と過去の発覚を恐れた和賀が元警察官を死に至らしめる。動機はそれなのか。
「今西さん、和賀はお父さんに逢いたかったんでしょうか」吉村刑事は語りかける。
「当たり前だよ君」語気を強める今西刑事。
「和賀いま音楽の中だけでしか逢えないだ」
鍵盤に向かう和賀。父に語りかけて入る様だ。演奏も映画もラスト迎える。
ピアノから立ち上がる和賀、オーケストラの指揮を執る。高々と掲げられた右の拳が握られると同時に低音を弾いた弦が静かにとじた。万雷の拍手の中、加藤剛扮する和賀のアップが映し出される。
動機はそんな単純じゃない。その顔が語っている。
和賀が断ち切ったものは「業」だったはずだ。
ハンセン病と言う、偏見と差別。自分が背負ってしまった「業」それを断ち切る為の殺人ではなかったのか。
エンドロールにハンセン病の来歴が語られる。遍路姿の親子とあいまって涙が止まらない。必見である。