山形県手をつなぐ育成会 日々徒然なること

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両親を亡くした知的障がい者の在宅支援

2012年11月24日 | 自立支援
 知的障害者の「意思決定支援」の考え方や課題について整理した、いい論文を見つけた。
 
 その論文は、柴田洋弥著「知的障害者等の意思決定支援について」(2012-07-16)である。
 その論稿を、分割してずっと紹介している。

 その第16回目。
 次は、両親を亡くした知的障がい者が在宅しながら、暮らせるようにさまざまな福祉サービスを提供した事例である。
 本人のニーズに即したきめ細かな支援がなされている。
 これはまさしく、意思決定支援と言って良い。
       
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【引用始め】

柴田洋弥著「知的障害者等の意思決定支援について」(2012-07-16) 
「発達障害研究」第34巻3号掲載予定http://homepage2.nifty.com/hiroya/isiketteisien.html より

Ⅲ.意思決定支援の考え方 

4.この町で暮らしたい…意思実現支援

 通所施設に通うC氏(男性、30歳代)は、
 母親を亡くした翌日に父親も亡くなり、
 単身となった。
 「僕は小学校の時からずっとここにいた。
 (他県の)おじさんの家にも行きたくない。
 遠くの(入所)施設にも入りたくない。
 家にずっと居たい」と職員に必死に訴えた。
 そこで施設と市は、そのまま公営アパートに一人で暮らせるよう、支援体制を整えた。
 朝夕は自炊だが、
 施設での料理学習が役立った。
 昼は施設の給食で栄養を補う。
 当時(1989年)は知的障害者ヘルパー派遣制度がなかったが、
 市と社会福祉協議会は身体障害者用と高齢者用のヘルパーを、
 室内整理や買い物のためそれぞれ週1日派遣した。
 生活保護が適用されたが、
 1ヶ月間の金銭自己管理ができないので、
 市は1週間毎に生活費を渡し、
 施設が使い方の助言をした。
 C氏は公民館の障害者青年学級に参加し、
 今も地域の中で充実した生活を続けている。
 今後、このような支援は相談支援事業が担うこととなろう。

【引用終わり】

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 以上の事例は、市の福祉担当職員、施設職員、社協、ヘルパー、公民館がうまく連携することができた。
 当然、市営アパートの人々による支援もあったはずである。
 本人も地域で暮らすための努力もしたからこそ、現在もこの暮らしを続けることができるのである。
 20年以上一人暮らしを実現してきた。
 地域にある福祉にかかわる最大限の資源をうまく活用した。
 本人にかかわる誰かがそんなこと無理といって、協力しなかったら、C氏本人は施設に入所せざるを得なかったに違いない。
 当時(1989年)としては奇跡に近い対応だった。
 今では、相談支援事業所をうまく使うことによって、本人中心の意思決定支援ができる。
 こうしてできあがったシステムを使いこなすことが求められる。
 (ケー)
 


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