でねこん

前職の業界をこよなく愛する聖者。
あせ・あし・あたま・あいきょう
で営業マンの基本とか。ホンマか!?

合掌

2009年12月16日 21時50分37秒 | 家族系
手と手を合わせると手のひらに空気だまりが出来る。
この空間に優しさを感じる。

手と手を合わせる事が日常でどれだけあるか??
私はご飯を頂くときにたまに手を合わせる。

感謝の念だろうか。


月曜日にオジサンが他界した。
オカンの姉の旦那さん。

おじいちゃんやおばちゃんが生きているときはお正月など
みんな集まった。
おかんの兄弟そしてその子供である従兄たち。

ただじいちゃんとばあちゃんが死んでからなんとなく疎遠に
なったかな!?

伯父さんと会ったのも何年前か??
色々と回想してみた。



神戸市の消防局に務めていた伯父さん。

16年前に親父が死んだときに当時26歳だった俺に
優しくかつ厳しい表情で 
『これからお母さんと妹を支えるように』
と心いっぱいの言葉をくれたのが一番に思いだされた。

また神戸の震災の時に伯父さんの家も被害にあいバイクで
救援物資を気持ち積んで行ったときに伯父さんに会った。
その時の厳しい表情が今も忘れられない。

不眠不休で救助に駆けずりまわっていたのだと思う。
無精ひげが伸び疲れた表情で。
けど人命救助にかける熱き眼差しは今も忘れない。


数多く会話したわけではないかもしれない。
けど当時のゼネコン時代の業務の事で話をしたのは
身内では、この伯父さんだけだ。
神戸の案件で市の消防からあれこれと無理を言われた。
その時に伯父さんに愚痴ったら、
『よっしゃ!俺が言うたるわ』
と力強い言葉を戴いたのも印象深い。


棺桶に横たわる伯父さんは十年ぶりくらいに会ったので
ちょいと耳の上らへんの髪は白かった。
けど昔のまんまだ。

男は口で語らず背中で語れ
と言ったタイプの男かもしれない。


倒れてすぐ他界して2日後には焼かれて骨と灰になっちまった。
伯母さんも子供である俺と同い年のいとこ、妹と同じ年のいとこもそりゃ
ショックだろう。


人間は人生において自分の意志ではどうにも出来ない時が二回ある。
それは、生まれてくるとき。そして死ぬ時。
それ以外は自分の責任においてどうにでも転がる事が出来る。

そんなことをふと思った。


葬式が終わり、斎場に行き焼き場の扉が閉まったときにやりきれない
気持ちになった。
そして焼き終わった後に骨を見たときにもやりきれない気持ちになった。

けど骨は非常にしっかりしていた。
あんな綺麗な喉仏は見たことがない。
伯父さんは背中で語るだけでなく骨になっても語っていた。

骨をひらい終え葬儀場に戻るとき遺族を乗せたマイクロバスの
対面を消防車が走って行った。
サイレンの音が消防の仕事一筋の伯父さんに対するレクイエムに
聞こえたのは気のせいか。


どうぞ安らかにお休みください。
そして伯母さんをいつまでも見守ってください。

お疲れ様でした。合掌