今日の社内連絡(ブログver)

sundayとかオリジナルテンポとかの作・演出家ウォーリー木下のつれづれなるままのもろもろ。

コシチェその2(不定期連載)

2013-09-02 | Weblog
結局、2日目も3日目も4日目も雨は降り続いた。時折、晴れ間が覗き、夏のような暑さになったかと思うと、急に山風が吹いて雪でも降ってくるんじゃないだろうかと思うくらい冷え込む時もある。雨はしとしと、時にスコール、雲の流れを見ながら、太陽が顔を出した隙を見てリハーサルをする。野外の大変なところは、ひとえに天候との帳尻あわせだ。
朝昼晩と決まったレストランがある。フェスティバルに参加してる人たちはそこで食べる。ここがなかなかクオリティが高く、特に毎回スープには驚かされた。スープのあとにもう一皿でる。それらもスロバキア料理を、おそらく、外人でも食べやすいように調理されている。ジャガイモが美味しい。
というわけでコシチェは食事と睡眠に関しては充実した日々だった。そのおかげで風邪はゆっくりと快方に向かったかというと、そういうわけではもなく、こじれたまま日は進んだ。雨に打たれ、美味しいものを食べ、十分寝る。この繰り返し。何かできの良い家畜を育てる秘訣のようにも聞こえる。
そういえば、タランティーノが来たというカフェに連れて行かれた。そこにはタランティーノ映画のポスターが所狭しと飾られていた。いま思えばタランティーノがきたのか、ただ単にタランティーノ好きのマスターなのかわからない。そういう小さいけれど、確実な間違いというのが英語会話では存在する。今の僕の英語はそういうレベルだ。タランティーノが来たのか来てないのか。どっちでもいいのだけど。

本番前夜は、EUジャパンフェスタ主催の食事会に出席。僕の前に座ったのは目の青い盆栽夫婦で、この期間に盆栽展も開かれていた、僕はスロバキア人に英語で盆栽の魅力と世界の盆栽事情について教えてもらうことになる。隣はベルギーのメディアアート系のカンパニーの人。ブランカとも再会。ブランカとクリスチャンの両名と大阪で出会ったのが昨年の6月。スロベニアの共同製作から戻ってきてすぐに出会ったので、スロベニアとスロバキアをよく混同していた。
そもそもコシチェという街も知らなかった。知ってました?僕は知らなかった。到着するまで、コシチェというのが実体を伴ってはいなかった。架空の街。地図の上の知らないどこか。
しかし実際にコシチェに着いてそこで息を吸って買い物をして、人と言葉を交わすと、コシチェが実体をもって眼前にせまってくる。ぼんやりしていた靄が晴れ、そこに活気あふれる街が現れた。コシチェはコシチェとして、それこそローマ時代からそこにあった。いくつかの戦争の舞台にもなった。実体を伴って人々が生活を繰り返している街なのだ。コシチェと呟いてみると、それは来る前と後では全然ニュアンスが僕の中で変わる。
街の名前というのはつまりそういう風にできている。僕は小さい頃から地図を見るのが好きだった。意味もなく世界地図を眺め、適当に指をあてた場所の地名をぶつぶつと声に出して、その呪文のような名前(たとえばヴォルゴレチェンスクだとか、アディスアディバとか)に答えのない軽い憧憬を覚えたものだった。いったいそこには何があるのだろう?どんな人々が暮らしてるのだろう?と。
僕がはじめて海外に行ったのは19歳の時で、ひとりっきりだった。地図を見ながら適当に指をさしていた街に「実際に」行ってみて、そのときに自分の中に芽生えたことは「実際に行くことではじめて実体になる」という至極当たり前のことだった。物語の、ファンタジーといっても良い、中の世界が実はそこにあった。それも脈々と。そのことは旅にでる目的の1つだと思う。

コシチェのオリジナルテンポに話を戻そう。今回はひとり旅ではない。公演をしにきている。心配なのは雨だ。
本番当日は朝から快晴である。でも油断はできない。何度も繰り返し、この風景は見ている。突然変わるのだ。たとえ空が晴れていても雨が降ってくるときもある。一体どういう仕組みなんだ? 雨は定期的に運ばれて僕の上に落とされる。
日本では考えられないことだけど、その日の朝まで、もしも雨天時にどうするか実行委員側では決定されていなかった。これは前回の韓国の時もそうだった。クロアチアでも。「明日は降らないよ」と言う。根拠はないことはないのだろうけど、どこまで信じていいのかはわからない。リスクヘッジというものに対して、ゆるいのか?それとも日本システムは発達しすぎてるのかもしれない。ここでその長短を言ってても仕方ない。
ともかく、雨の時は公演中止にするのか?しないのか?代替案は?いくつか検討された。別の屋内候補地も見に行った。
本番の8時間前。判断しないといけない。僕が判断する。ここでやりましょう。この場所のために今まで内容を考えて作ってきたんだし、それが屋内になるのならやらないほうがましだ。
あまり説得力はないけど、後ろ押しにはなったようで、急速に本番準備が進む。
空は晴れている。大きな雲が遠くの方に浮かんでる。気にしないようにする。

本番2時間前に突然の大雨。公演中止がみんなの頭によぎる。

結果から言えば、本番5分前に雨は止んで、観客が並んでる前で準備をして、20分押しで開演。内容は、うーん、もちろん大変だったけど、奇跡のような盛り上がり方だった。僕はコシチェでの本番がとても好きだし、忘れられないし、なんていうか、僕にとっての演劇というものの答えの1つだし、そもそもこんな活動をしている理由はこういうことだ。つまり「ライブがしたいのだ」。失敗も成功も呑み込んで進むような「ライブがしたい」のだ。

公演も終わり、ホテルに戻り、武吉と竹下と一階のバーで飲もうとするがもう閉まっていた。仕方ないのでソファに座って少しだけ喋る。エアーのグラスで乾杯。
翌日の朝は10時に車がやってくる。やはり雨が降っている。ブダペストに向かう道のりも行きと一緒で延々とミニマムなテクノが流れていた。単調な風景を相まって心地よい。そう言われればヨーロッパのハイウェイというのはBPM90の打ち込み音楽に似ているかもしれない。少し眠る。

(ブダペスト編へ続く)