私の思いと技術的覚え書き

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沼津駅北口SL天車台址

2024-02-12 | 沼津そして伊豆周辺
沼津駅北口SL天車台址
 今は沼津駅北にSL天車台の跡地は駅のロータリーとか駅前ビルで跡形も無くなったが、私が中学校まではSL天車台はあった。

 そのそも私の記憶によれは、小学生までは、電車に混じってSLもその有史を表せていた。
 そもそも丹那トンネル(昭和9年:1934)までは、今の御殿場線は東海道本線だった。それが、丹那トンネルより、熱海とか三島の駅(元々御殿場線の下土狩は本来の三島駅)は、御殿場線周りの1時間コースだった。

鉄道の街・沼津は「停車時間の長さ」で発展した
機関車交代の重要駅、漁村から工業都市へ 2019/06/11
https://toyokeizai.net/articles/-/285608

財政難を理由に鉄道建設は順調には進まなかったが、苦しい財政事情の中、1874年には大阪駅―神戸駅間が開業。西側からの建設スピードは凄まじく、東海道本線は大阪側から東へとどんどん伸びていった。

一方、東京側からの建設は遅れていた。政府は東海道本線の工事を進めるにあたり、沼津・清水・武豊の3港に建設資材を輸送。1888年、沼津港からの資材を運搬するための路線「蛇松線」を敷設した。

蛇松線の敷設は、いわば東海道本線建設の布石だった。建設資材は蛇松線で港から沼津駅へ運搬された。こうして、沼津駅は東海道本線を建設するベースとして要衝地化していく。沼津駅から東海道本線は西へ西へと伸びていくが、他方で東の国府津駅への線路建設も沼津側から進められた。

蛇松線によって東海道本線は順調に建設が進み、1889年には新橋駅―沼津駅が1本の線路でつながった。沼津駅も開業し、沼津の街に大きな変化が生じる。

沼津機関区のことなど 2018-08-16
https://blog.goo.ne.jp/wiseman410/e/38053561f44e32311240289f858e4073


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