Kと云うトンデモ男の記憶
前回のブログ記事で、私の損保調査員時代に、同社同職で、性は控えるが名を勝次、勝治、勝二か今や記憶もあいまいだが、何れにせよカツジというトンデモ男が居たことを書き留めておきたい。以下、カツジはKと略称する。
以前、私が所属したある損保損害調査会社における「出世するアジャスター像を思う」として、労働組合委員とアジャスターマネージャとの関係のことを記しましたが、もっと酷いアジャスターがかつて存在したことを、昔物語として記してみたい。
そのKだが、大都市の整備工場の次男で、噂によれば長男との折り合いも悪く家業を追い出される形で、アジャスターになった様だ。Kがアジャスターになってからの行いを知る先輩で、誰一人としてKのことを誉めた人を私は知らない。
そんなKが、以前に記した労働組合でのスト決行の翌年、労働組合委員に立候補したのだった。この理由を当時の組合執行役員のある方は、あれは親会社の当時の査定部門の天皇と云われた軍団長の指揮により、行われたものであったとのことだ。
そんなKだが、若いものを引きつける人心掌握能力と金があったこともあったのだと想像されるが、組合委員を辞めて間もなく、マネージャー職となってしまったのだった。私は、当時東京本社勤務であったので、時々Kと話したり懇談することがありました(一切割り勘です)が、「なんでこんなモラルに欠けた奴がマネージャーなんだ」と非常に驚いたものだった。
この当時、私は長年の本社勤務から現場実態のことが知りたくて、Kと同行して数件の工場へ同行立会を行ったことがもあったが、その調査の不適当さには、正直驚きの連続だった。このKは、私を手なずけようととしたのだろうが、酒席への誘い等、接近して来たが、一切相手にしなかった。
そんな、私から見れば、その技量に到底高い評価はできないし、そもそも損保損害調査員に求められる倫理感が欠落している、言動、行動の連続を見続け、よくぞこういう人物を採用し、それをマネージャー職に昇進させた異常さを感じざるを得なかった。
しかし、そんなKも何時までもボロを隠すことは出来なかった。Kがマネージャー職になって数年後のことだったと思うが、Kが直接関与したある事案(整備工場を対象にした保険)で不正事件が発覚しKは懲戒解雇されたのでだった。
この発覚日のことを、今でも忘れられない。それは、Kをマネージャー職に押した方が、当時私の直属の上司だった訳だが、この方の落胆ぶりと、おっしゃられた「俺は人に甘いんだ」という言葉が昨日のことの様に思い出されるからなのだ。当時の私には、なんとも慰めの言葉を発することも出来ず、この方は辞職なさる決意だなと確信したのだった。しかし、周辺の慰留もあったのでしょう、その方は引き続き活動を続けられることとなった。
この上司は、私の人生にも一生を通じて心に響く良い教えを受けた方であると思っている。その方が。そもそもKをマネージャー職に押したこと自体が、私には信じられなかったが、Kの演技にすっかり騙されてしまったというのが真実のことなのだろう。
ところで、Kは先の上司からの教えもあり、熱心に部下たる者の仲人をしたり、自宅に部下を招いての接待をしていた様ですから、今もKに仲人を頼んで、後悔している方も結構いるのではないだろうか。
さらに、後日談となるが、Kが懲戒解雇後の数年経た頃だったと思う。Kはある交通事故で死亡するに至ったのであった。私に事故の詳細を知るところではありませんが、どうやら乗用車を運転していたKの右横にオートバイがまともに衝突した事故であった様だ。それとこれは噂だが、Kは飲酒状態であったとも聞く。
話は変わるが、組合活動とマネージャー職(管理職)の登用には、何らかの相関関係がある様に感じているのは私ばかりではないと思う。ここでは、私が独断として考える相関関係を解説してみたい。
まず、親会社の組合活動と出世の関係は、明かな正の相関関係を持っていると判断して良いと思う。一方、子会社である損害調査会社では、正と負のそれぞれの相関関係を持っていることが伺える。
正の相関関係を持った者は、前に記したQとか、今回のKなのだろうと思う。また、それ以外でも、組合活動を会社にとって大過なく過ごした者(つまり云うべきことを云わない者)の中から、最小年次のマネージャー職が登用されている訳だ。
負の相関関係を持った者というのは、会社にとってそれなりにダメージを与えた(つまり組合員の利益を向上させた)者となるが、これら方は定年までマネージャーに登用されなかったり、登用されたとしても、定年を数年前にしてやっと登用されているというのが実情なのだ。
私も損保調査員の職を離れ、10年余の月日が流れたが、世の世情は、何処の企業を見廻しても、労働組合はあれども形骸化し、ただあると云うのが実態ではなかろうか。希にストを行っている組合活動の報道で知るが、そういうマトモな組合は極めて少ない世情となってしまったが、このことは労働民主主義にとって、もっと云えば民主主義そのものにとっての危機だと私は感じているところだ。
その様な意味で、最近の本ブログで何度か記した関西生コン支部という組合が、司法(警察、検察、裁判所)ぐるみで弾圧されているのを知る時、この国は危険な領域に入ろうとしているとの危機感は高まるのだ。
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出世するアジャスター像を思う
2008-10-31 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
https://blog.goo.ne.jp/wiseman410/e/29ba69018d4584fb07769ed9689d9882
前回のブログ記事で、私の損保調査員時代に、同社同職で、性は控えるが名を勝次、勝治、勝二か今や記憶もあいまいだが、何れにせよカツジというトンデモ男が居たことを書き留めておきたい。以下、カツジはKと略称する。
以前、私が所属したある損保損害調査会社における「出世するアジャスター像を思う」として、労働組合委員とアジャスターマネージャとの関係のことを記しましたが、もっと酷いアジャスターがかつて存在したことを、昔物語として記してみたい。
そのKだが、大都市の整備工場の次男で、噂によれば長男との折り合いも悪く家業を追い出される形で、アジャスターになった様だ。Kがアジャスターになってからの行いを知る先輩で、誰一人としてKのことを誉めた人を私は知らない。
そんなKが、以前に記した労働組合でのスト決行の翌年、労働組合委員に立候補したのだった。この理由を当時の組合執行役員のある方は、あれは親会社の当時の査定部門の天皇と云われた軍団長の指揮により、行われたものであったとのことだ。
そんなKだが、若いものを引きつける人心掌握能力と金があったこともあったのだと想像されるが、組合委員を辞めて間もなく、マネージャー職となってしまったのだった。私は、当時東京本社勤務であったので、時々Kと話したり懇談することがありました(一切割り勘です)が、「なんでこんなモラルに欠けた奴がマネージャーなんだ」と非常に驚いたものだった。
この当時、私は長年の本社勤務から現場実態のことが知りたくて、Kと同行して数件の工場へ同行立会を行ったことがもあったが、その調査の不適当さには、正直驚きの連続だった。このKは、私を手なずけようととしたのだろうが、酒席への誘い等、接近して来たが、一切相手にしなかった。
そんな、私から見れば、その技量に到底高い評価はできないし、そもそも損保損害調査員に求められる倫理感が欠落している、言動、行動の連続を見続け、よくぞこういう人物を採用し、それをマネージャー職に昇進させた異常さを感じざるを得なかった。
しかし、そんなKも何時までもボロを隠すことは出来なかった。Kがマネージャー職になって数年後のことだったと思うが、Kが直接関与したある事案(整備工場を対象にした保険)で不正事件が発覚しKは懲戒解雇されたのでだった。
この発覚日のことを、今でも忘れられない。それは、Kをマネージャー職に押した方が、当時私の直属の上司だった訳だが、この方の落胆ぶりと、おっしゃられた「俺は人に甘いんだ」という言葉が昨日のことの様に思い出されるからなのだ。当時の私には、なんとも慰めの言葉を発することも出来ず、この方は辞職なさる決意だなと確信したのだった。しかし、周辺の慰留もあったのでしょう、その方は引き続き活動を続けられることとなった。
この上司は、私の人生にも一生を通じて心に響く良い教えを受けた方であると思っている。その方が。そもそもKをマネージャー職に押したこと自体が、私には信じられなかったが、Kの演技にすっかり騙されてしまったというのが真実のことなのだろう。
ところで、Kは先の上司からの教えもあり、熱心に部下たる者の仲人をしたり、自宅に部下を招いての接待をしていた様ですから、今もKに仲人を頼んで、後悔している方も結構いるのではないだろうか。
さらに、後日談となるが、Kが懲戒解雇後の数年経た頃だったと思う。Kはある交通事故で死亡するに至ったのであった。私に事故の詳細を知るところではありませんが、どうやら乗用車を運転していたKの右横にオートバイがまともに衝突した事故であった様だ。それとこれは噂だが、Kは飲酒状態であったとも聞く。
話は変わるが、組合活動とマネージャー職(管理職)の登用には、何らかの相関関係がある様に感じているのは私ばかりではないと思う。ここでは、私が独断として考える相関関係を解説してみたい。
まず、親会社の組合活動と出世の関係は、明かな正の相関関係を持っていると判断して良いと思う。一方、子会社である損害調査会社では、正と負のそれぞれの相関関係を持っていることが伺える。
正の相関関係を持った者は、前に記したQとか、今回のKなのだろうと思う。また、それ以外でも、組合活動を会社にとって大過なく過ごした者(つまり云うべきことを云わない者)の中から、最小年次のマネージャー職が登用されている訳だ。
負の相関関係を持った者というのは、会社にとってそれなりにダメージを与えた(つまり組合員の利益を向上させた)者となるが、これら方は定年までマネージャーに登用されなかったり、登用されたとしても、定年を数年前にしてやっと登用されているというのが実情なのだ。
私も損保調査員の職を離れ、10年余の月日が流れたが、世の世情は、何処の企業を見廻しても、労働組合はあれども形骸化し、ただあると云うのが実態ではなかろうか。希にストを行っている組合活動の報道で知るが、そういうマトモな組合は極めて少ない世情となってしまったが、このことは労働民主主義にとって、もっと云えば民主主義そのものにとっての危機だと私は感じているところだ。
その様な意味で、最近の本ブログで何度か記した関西生コン支部という組合が、司法(警察、検察、裁判所)ぐるみで弾圧されているのを知る時、この国は危険な領域に入ろうとしているとの危機感は高まるのだ。
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出世するアジャスター像を思う
2008-10-31 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
https://blog.goo.ne.jp/wiseman410/e/29ba69018d4584fb07769ed9689d9882