私の思いと技術的覚え書き

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再び閉ざされた言語空間を思う

2011-04-07 | コラム
 今回の大手メディアの原発報道を見続け感じることは、やっぱり我が国のジャーナリズムは"閉ざされた言語空間"から抜け出ることができないということです。
 先の大戦での負け戦の際、大本営発表を何ら批判もなく報じ続けたのは戦時非常事態下で止むなかったにしても、現在の日本では憲法においても言論の自由が保障されているはずです。しかし、大手メディアは政府や東電発表を、脳死状態で何ら疑問も呈さず、お抱えの御用学者がさらに補強しつつ報じ続けるだけという状態に疑問を感じます。
 なんで、大手メディアは政府や東電をおもねるのでしょうか? もっと独自取材や御用学者でない学者も入れ、自らが報じるべき内容を吟味できないのでしょうか? これでは、別の問題ですが判事、検察、弁護という法曹界における、なれ合いの構図への疑念と類似するものが、政府、東電、大手メディアの間にあるのかもしれないとも感じます。
 しかし、救いは戦時下や現在の中国などと異なり、ネットメディアとそこに登場するフリーランス・ジャーナリストと(御用学者)でない本当の科学者達からの情報だと感じます。
 昨日も、ネット動画でフリーランス・ジャーナリストの話を聞いていました。曰く、海洋汚染で海外から膨大な賠償請求を受ける可能性もあるだろうと。そして、日本が産する野菜、魚介類そして工業製品までもが、当面の間輸出ができなくなる可能性もあるかもしれないと述べていました。これは、正に、国が滅びるかどうかと云うレベルに至る話だと思いました。

【参考】過去の記事
・閉ざされた言語空間とものを考えない者達
・ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムとは


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