人間危機に対応する時、内に備わった真の実力が発揮されるものだと心得ています。しかし、今次原発事故が生じて以来、早期に問題を解決すべき責任を持つ各組織、および情報を国民に知らしめる責務を持つジャーナリズム達の無責任さばかりが目立つ様に思えてなりません。
これは、東電においての後手後手を踏む泥縄式対応だとか、記者会見でも、質問の返答を留保し後回しにするなどが多すぎ、不信感が深まります。そして、ここでも対策本部のリーダーなりは顔も見せず、その名前をたずねられた際も、答えようとしないなど、逃げ腰であることは見え見えです。
一方、大手ジャーナリズム達ですが、海老蔵事件みたいな下らない事件のことは、もういいだろうと辟易するほど追い掛けます。しかし、今次の東電に対する対応は、これは私の気のせいかもしれませんが妙におもねる様な甘い質問に終始していると感じられます。
さらに、原子力安全・保安院のことですが、原子力発電所を監督すべき役所であるにも関わらず、彼らの会見からは「監督の不行き届きであり、もうしわけなかった」に類似した言葉は私には一切聞いた覚えはありません。
この様に記してくると、各部門の職務に対する無責任さばかりが目立つ様に思えるのです。なお、この要因は各部署のスポークスマンなど末端者の問題ではなく、その部門のリーダーの無責任さや、なれ合い、地位に対する執着などの自己保身などから生じているのではないかと想像されてしまいます。東電、自衛隊、消防隊、警察などは、事故現場で命を賭けて活動しているのに、遠く離れた東京本社で、この様な自己保身の塊と化したリーダーを思うと、まったく幻滅の連鎖が続くのです。
企業や各組織などは、その存在意義として筆頭に掲げるのは「社会に貢献する」ということでしょう。彼ら各部門のリーダーには、この原発事故を最優先で収束させ、社会(国民)に安心してもらいたいと思っているのでしょうか? どうも、最優先は自己保身である様に思えてなりません。
これは、東電においての後手後手を踏む泥縄式対応だとか、記者会見でも、質問の返答を留保し後回しにするなどが多すぎ、不信感が深まります。そして、ここでも対策本部のリーダーなりは顔も見せず、その名前をたずねられた際も、答えようとしないなど、逃げ腰であることは見え見えです。
一方、大手ジャーナリズム達ですが、海老蔵事件みたいな下らない事件のことは、もういいだろうと辟易するほど追い掛けます。しかし、今次の東電に対する対応は、これは私の気のせいかもしれませんが妙におもねる様な甘い質問に終始していると感じられます。
さらに、原子力安全・保安院のことですが、原子力発電所を監督すべき役所であるにも関わらず、彼らの会見からは「監督の不行き届きであり、もうしわけなかった」に類似した言葉は私には一切聞いた覚えはありません。
この様に記してくると、各部門の職務に対する無責任さばかりが目立つ様に思えるのです。なお、この要因は各部署のスポークスマンなど末端者の問題ではなく、その部門のリーダーの無責任さや、なれ合い、地位に対する執着などの自己保身などから生じているのではないかと想像されてしまいます。東電、自衛隊、消防隊、警察などは、事故現場で命を賭けて活動しているのに、遠く離れた東京本社で、この様な自己保身の塊と化したリーダーを思うと、まったく幻滅の連鎖が続くのです。
企業や各組織などは、その存在意義として筆頭に掲げるのは「社会に貢献する」ということでしょう。彼ら各部門のリーダーには、この原発事故を最優先で収束させ、社会(国民)に安心してもらいたいと思っているのでしょうか? どうも、最優先は自己保身である様に思えてなりません。