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1999年東名高速大型車に追突炎上の悲劇

2021-07-26 | 事故と事件
1999年東名高速大型車に追突炎上の悲劇
 下記の動画は東名高速・世田谷付近で生じた1999年の11月28日の追突事故だ。この事故で、助手席の夫は大火傷、後席の姉妹は焼死しているそうだ。追突した大型トラックの運転手は飲酒運転だが、この事故の刑事裁判の判決は、たったの禁固4年だ。現在なら、飲酒運転での死亡事故は危険運転致死で最高刑14年の懲役(労務を伴う)と強化されている。

 この追突された乗用車だが、明確ではないがクレスタ(GX51)かマークⅡ(GX70)辺りではないだろうか。追突車が大型トラックということもあり、後部の着力点が比較的高く、後部ドアどころか移動して前部ドアともオーバーラップすることで、全部ドアも開かなくなってしまった様だ。動画の中で火災が酷くなる中、サイドガラスから女性運転車が脱出したのには驚いた。そして、子供がまだいると悲壮な叫びを上げている。これが、交通事故の悲劇の一つなのだと改めて思わされる。

 ところで、本事故の火災は、乗用車の後部が大きく圧壊されたことで、燃料タンクから漏れ出たガソリンになんらかの火元から着火したものと想像される。ここで、筆者も長年、事故車両の観察と、構造研究を業とした中で知る、FR系乗用車の燃料タンクの装着位置の変遷を別添図にまとめてみた。

 そもそも、最初は車両後部の床下に装着される車両が多く、しかも給油口がリヤナンバープレートやガーニッシュの裏に設置されているクルマが多かった。この車両後部の燃料給油口はあまりに危ないと、事後は車体の側部に付けられる様になった。

 その後も燃料タンクはトランク床下に装着は続くが、1990年代の後半辺りから、もっと前方のリヤシートの床面下に装着される様になり現在に至っている。何故、そもそも現在のリヤシート下面という、後部追突に備え、より車体の深部に早期に付けなかったかだが、FR車の場合プロペラシャフトを通すための空間が必要となるため、燃料タンクを鞍型という変形タンクを用いなければならないという問題が大きな要素だったと想像される。つまり、燃料が減って来た場合に、垂れ下がった左右の部位の液面を揃える機構だとか、タンクの加工費もコストを要するということだろう。

 このトランク下とリヤシート下のそれぞれの燃料タンク位置の変更により、車体後部の縦の潰れ剛性および変形特性は大きく異なる。すなわち、トランク下燃料タンクの場合は、燃料タンク部位の変形を抑えるため剛性を高くし、衝撃吸収は、その前部で行う思惑で設計されている。つまり、この衝撃吸収部位が変形すると、車体後端が下がる様な変形を起こしている事で、見積の際に見極めが付くものだ。

 一方、リヤシート下部に装着された場合は、車体後部のトランク部位の縦の潰れ剛性を圧倒的に低くできることで、大きく変形させることでより効果的な衝撃吸収を図って設計されている。

 なお、車種として現在でも多く残存しているスカイラインGT-Rシリーズで云えば、R32はトランク下の燃料タンクで、R33、R34(これは基本的プラットホームは同一)は、リヤシート下部の鞍型燃料タンクとなっている。当然、R35も同じくだ。 


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Youtube 幼い姉妹の命を奪った飲酒事故 炎上映像が21年後に伝えるもの…危険運転はなぜ無くならないのか
2020/11/28(1999年の11月28日)
https://www.youtube.com/watch?v=1bh2mGCHqCw&t=34s


東名高速飲酒運転事故 wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%90%8D%E9%AB%98%E9%80%9F%E9%A3%B2%E9%85%92%E9%81%8B%E8%BB%A2%E4%BA%8B%E6%95%85


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