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 私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

大久保の鼻の由来

2018-08-11 | 沼津そして伊豆周辺
 沼津市街から国道414号を南下すると御用邸辺りから獅子浜までは、ややカーブがあるとはいえ、概ね直線である。しかし、地図にも表記される「大久保の鼻に」に至ると大きく180度ターンして江浦湾に至る。この大久保の鼻だが、昭和初期の古地図を見ると、ここに大久保山という小山(wikでは140mと記してあるが古地図では188mと表記)があったことが判る。古地図にも大久保ノ鼻と表記されているから、この山が岬状に飛び出している形状から鼻と云われる様になったと想像が付く。

 この大久保の鼻を通る道は、かつては県道で、その幅員は1.5車線という程度のものであったことが、所々に残る旧道だとか旧トンネルの幅から判る。そして、かつての大久保山は形成された岩質などから、度々崖崩れを起こし、都度県道が通行止めになるなどの災害を生じ、地元の者から「与太山」と蔑称されていたとも記されていた。

 昭和40年代の高度成長期、地元の与太山災害をなんとかしたいという思いと、各地(県内東名高速や東京湾など)の埋立工事用に埋立土砂を欲する企業(松庫工業(株))の思惑が一致して、大久保山の解体撤去工事が始まったのだった。この工事の際、撤去土砂を道路を越えて船積みするために、跨線橋が作られている。

 大久保山の撤去工事は、標高20m~30程の時点で終了となり、その跡地には市の南部浄化センターや消防静浦分署、太陽光パネルなどが設置されている様だ。それでも、残された1/3位は手付かずとなっているが、何か計画があるのだろうか。

 ところで、この大久保の鼻を通ったことある方なら、道路の海側に明らかに廃墟化した3階建てアパート風の建物があることに気付くだろう。このアパートも、細かい経緯は不明だが、大久保山除去工事に関わり「江浦緊急避難用住宅」として工事業者が用立てたものの様だ。

追記
 この大久保山の撤去容積が概要を算出してみた。形状を単純な円錐形とし(実際は隣の山との地続きで異なるが・・・)、地図から計測した底辺直径を400m、高さを140m全高から20m減の120mとすると、総容積15,072,000㎥となる。これに土質は岩石で湿り気もありとして比重1.5を乗じると22,608,000トンだから10トンダンプで200万台分という途方もない分量だ!








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