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【書評】日米開戦の正体(孫崎享:著)

2020-06-12 | 論評、書評、映画評など
 著者の孫崎享(うける)氏は、元外交官、各国大使を経て、国際情報局長を経た方だ。ツイッターでも毎日多くの気になる論評を繰り返され、信じられる元官僚の一人と信じている。そんな著者の「日本開戦の正体」を感心深く手にしたのだが、総ページ500程のボリュームのこともあり、かなり飛ばし読みした感もあるが、それでも長年の読書術?もあり要点は押さえたつもりだ。これは、その覚え書きとして書き留める。

 以下、この本以前のこととなるが、対米戦の開始から敗戦、現在までの流れを前提として記す。
 1941年12月のハワイ・パールハーバー奇襲攻撃により対米戦争の突入した。その後、1945年8月の敗戦に至って日本は徹底的に破壊され尽くし、米国の占領下で言論検閲や焚書狩りの期間を経て、1951年のサンフランシスコ講和条約により我が国の国権は一応回復された。実は、この講和条約は華やかなオペラハウスで行われたが、同日夜プレシディオ国立公園内のしがない下士官(下級将校)用クラブで、密かに日米安全保障条約が締結された。講和条約で独立国として認められたのに、一方日米安保では日本各地に米軍の基地を提供することを強要するという条約だ。安全保障条約と名打っているが、何時も日本の危機を守ってくれる条文ではない。あくまで、米軍が必用と認めた時との注釈付きの条文で、日本を守ると云うより、米国のアジアでの派遣を最前線で先取する基地を日本に確保するというのが米国の本意だろう。爾来70年、改訂は行われつつも、この基本理念は一切の変更はない。

 ここから本の主題となる、何故日本は当時でもGNPでも工業力でも自国の10倍以上あるという米国に自ら戦端を開いたのかというのが本書の主題だ。このことは、拙人も過去から様々な書籍で、米国の様々な謀略、挑発、戦略に操られ、早く攻撃しろ、さすれば米国世論を背に大義を持って開戦ができ、ぶっ潰してやるという当時のルーズベルト大統領の思惑通りの術中に填まったというのがその理解だったのだが、さらに深掘りしているのが本書のエッセンスだ。

 そこには、軍部の独走だとか、暗殺事件による言論封殺、天皇すら内乱や身の危険を感じつつ、意見を押し留め同意せざるを獲なかったという具合で、事態は悪い方向へ、つまり米国の望む方向へと向かう様子が克明に記されている。

 ここで、著者は真珠湾への道の出発を、日露戦争(1904-1905)にあるとしているのが目新しく感じる。ご存じ日露戦争は日本が完勝し、ポーツマス条約(米ルーズベルトの斡旋で開催された日ロ間の講和条約)にて終結する。この講和内容の一部として満州関連の条件としては、「日露両軍は鉄道警備を除いて満州から撤退する。」というものであった。しかし、その後、日本は全満州を傀儡政権を作り占有してしまうことになる。そして、そのことに反発する中国との紛争が絶えないことになる。どうやら、この辺りから、米国は眉を潜め、日本を対敵国の一つと定め将来を見定めていた様だ。

 この日本が満州国を支配下に置いていく流れの中で、強く異議を唱えていたのが伊藤博文だった様だ。しかし伊藤は1909年ハルピン駅で朝鮮人・案重根に暗殺されてしまう。しかし、この暗殺だだ、どうやら満州を日本のものにすべしとの勢力が使った単なる刺客であったと云うのが著者の見立てだ。だから、そもそも論だが、ここで伊藤が生きていれば、満州を日本が手に入れることもなく、日米開戦もなかっただろうといういうのが一つの歴史のifとなる。

 著者は、その後も岐路となった事件を幾つも記しているのだが、飛ばしているので記憶も定かでなく大幅に省略する。大東亜(太平洋)戦争の敗戦後、様々な言論人が、それぞれ意見を述べているが、この本以前にも一杯聞いており、軍部の独走、マスメディアの煽り、そもそも日本に何も非などなくアメリカの謀略に引っ掛かっただけというのまである。拙人も一時期、アメリカ謀略論、すなわちアメリカ憎しと考えていたところがある。たしかにアメリカはしたたかで、踊らされた部分は多分にある訳だが、誰が考えても10倍以上の工業力ある国と戦争して、勝てると思う方がおかしい。それと、日本軍部などは、初戦に勝って、それなりのダメーを与えれば、早期講和に持ち込めると安易というか独善的としか云いようのない思いにすがっていた様だ。しかし、何れにしても何故に開戦にまで至ったのかというところが大きな謎として残る。そこには軍部だとか時の権力者の、邪魔者は消せ(暗殺)とか、配置転換して遠ざけるとか、様々な力学が働いた様だ。しかし、ここが日本人の弱点ともなろうが、朝河貫一(歴史学者)は、以下の様に延べたという。「もし日本人が真の民主主義を願うなら、とりわけ民主主義の政治形態は、市民一人一人が良心に対する危機感を強くし、個人的な責任を果たすことである。」と。

 最近、何処かの何時も威張り散らすしか脳がない財務大臣が、「日本の今次病変の被害が低いのは民度が高いから」などと非科学的な、しかも廻りの国を侮蔑する様な発言を行い他国にまで顰蹙を与えた。この民度とは、生活程度とを指しが厳密な解釈は定まっていない様だが、もし民主主義に対する倫理感だと仮定すれば、到底高いものだと思えない。今も香港で米国で、市民が権力に立ち向かっているパワーを見る。天安門であれだけ盛り上がったのを中国政府は万単位で虐殺して、今は64天安門は禁句だそうだ。それでも、市民は何度でも繰り返すパワーを持っており、虐殺を繰り返すのも何れ限界が来るだろう。今回の香港デモも、習近平は戦車で踏み潰すのは簡単だが、国際的な非難と自国民の非難から内乱まで至ることを思慮しつつ自重せざるを獲なかったのだろう。そもそも、中国の王朝は起こっては消えを繰り返して来たのは、常に圧政を受けた民衆蜂起の連鎖であったろう。

 著者は最後に以下を述べ締めくくっている。戦後、外務省に勤め、1984年に複眼的に情報を分析するという思想で外務省国際情報局で課長、局長として勤め、「自分が正しいことを述べる」でやって来た。しかし、時が移り今は外務省も変わった。「自分が正しいことを述べる」と制裁を受ける時代になってしまった。これは外務省だけの問題でなく日本全体を覆い始めている。どうして、戦後の経験を経て、正しいことを述べられた国を、今日本は捨てようとしているのか、どうしたら正しいことを述べる社会を復活させ維持することができるのか。皆が考える必用があると強く思う。


追記
 自分の経験に照らし、正しいことを述べられなくなった時代の岐路は、1990-2000年前後にあったと思える。いわゆるバブル崩壊後の中で、年功序列賃金の廃止、歪められた能力給の取り入れ、派遣労働や契約社員の増加などにより、労働者の団結弱体と分断で、経営者側の発言力が一方的に増した。いわゆる民主主義が崩壊し、経営者に正しいことを述べ、それが正に確信を突くと、配置転換、退職勧奨などで排除しつつ恐怖政治を繰り広げる時代になったのだろう。

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