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 私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

ヒコーキとクルマ

2016-08-13 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 兼ねてより航空機と車は、多くの相関を持つことが知られている。航空機は、軍事技術と共に、ある意味コスト度外視で、その時代の最先端のテクノロジーを注ぎ込み開発される。そして、(戦争終結と共に)その開発リソースはクルマに流れ込んだのだ。

 振り返ってみれば、ヒコーキ屋がクルマ屋に転業した事例は多い。我が国の中島飛行機が、日産(というよりプリンス)、スバル、栃木富士産業(現GKNドライブライン社)へ、三菱重工が三菱自動車、海外でもBMWやダイムラーベンツなど、航空機用エンジン屋が母体だ。

 エンジンなんか、星型エンジンや倒立エンジンなど、必然としてドライサンプ潤滑が必須だし、急旋回や背面飛行など、キャブレターが抱えるフロート液面の基準が保てないという宿命の中から、燃料噴射やシリンダー内の直接噴射が生み出された。また、大出力や希薄な大気の高空での出力を増大するためにスーパーチャージャーやターボチャージャーが生み出されたことは良く知られることだ。機体の設計面でも、モノコックという概念も航空機が源流であろうし、ウイングやグランドエフェクトなど、空力面での関係も深い。制御技術も、マイコン以前のトランジスターロジックの時代から、フライバイワイヤーとして、操縦桿と各柁の制御は行われつつあった。それが、マイクロプロセッサーの発展と共に、おびただしいまでにクルマに搭載されるのが普通の時代になった。現在航空機では当たり前のHUD(ヘッドアップディスプレー)も、既にその一部がクルマに転用されつつある。

 しかし、思うのは、ヒコーキもクルマも設計者(デザイナー)は、ある意味高度なスキルと高い理想を合わせ持った、技術者が必然なんだろうということだ。ここで取り上げられるアナログ者の魅力も、そんな彼らが居たからこそ生まれたのだろうと思っている。その一部が、ゼロ戦を設計した三菱の堀越二郎氏であろうし、中島飛行機からホンダへ移った中村良夫氏などであろう。しかし、現代のマニュアル偏重主義の時代におけるデジタルクルマに、魅力あるものが生まれるか不安を思うのだ。

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