私の思いと技術的覚え書き

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【過去の紀行文】久方ぶりの東京見物紀行 2004年1月17日記述

2004-01-17 | 過去の紀行文
 今日は、朝から雪が降るあいにくの天気です。道路や鉄道等の交通機関も乱れがちな様子ですが、これがウィークデーでなくて良かったと思います。本当は今日は伊豆で宿泊込みの送別会を計画しており、午後には出かけるつもりでしたが、この荒天で中止となりました。そんなこともあり、先週土曜日(10日)に久しぶりに東京をぶらりとする小さな旅をしたことを、つれづれなるままに記してみたいと思います。

◆旧新橋停車場と汐留界隈
 まず訪れたのは新橋の「旧新橋停車場」です。明治4年に日本で初めて新橋から横浜間に鉄道が開通したときの駅です。当時の建物と同位置に当時のイメージを残して再建したのだそうです。ここから、大久保利通等の著名人が横浜の港へ向けて旅立ったのだなあと想像します。しかし、廻りを屏風の様な高層ビルが林立しているのが目に入ると、どうにも当時の状景は蘇って来ないというのが正直なところでした。

◆船の科学館(北朝鮮工作船と羊蹄丸)
 次は、「ゆりかもめ」に乗って「船の科学館」へ向かいました。この「ゆりかもめ」は開通日に乗車した記憶がありますが、インターネットで調べたら開通日はH7年11月1日ですから、既にあれから8年も経ったのかと驚きます。「船の科学館」へ行く目的は、例の北朝鮮工作船を見たいというものです。この工作船が公開された当時は、相当な人出で見学に1時間以上の待ち等の状況であったとかいいます。しかし、今や見学者も少なくなっている様で、待ち時間もなくゆっくりと見学できました。  錆びだらけの貧弱な工作船では、例の後部の観音扉が開く構造に目が行きます。それにしても後部の開口部から覗く船体の内側には、特に丈夫そうな竜骨も見えず、外板の板厚の薄さと合わせ、これで十分な船体強度が確保出来ているのかしらと余計な心配をしてしまいます。しかし、エンジン4基とスクリューの4つを装備し、時速にすれば55km/h以上の高速が出ると推定されるとの解説を読むにつけ驚きます。また、船体上部の甲板が、明らかに外側に膨らんでいるのが観察され、自爆した際の爆発力の凄さを実感させるものでした。この様な船を陳列することには、要国防論的なプロパガンダの意味があるのでしょうが、改めてその必要性を感じるのです。
 次に青函連絡船「羊蹄丸」を覗いてみました。船体後部が大きな上開きのハッチ構造ですが、その下部に線路が3列見えます。ここから列車を3列に分けて乗せたのだと判ります。羊蹄丸の中には、昭和30年代の冬の青森駅界隈を、実物大のジオラマ化したパビリオンとなっており、なかなか楽しめました。北海道の方等、かの昔この連絡船に乗ったことがある方に取って、強い郷愁を誘う船であると思います。

◆お台場界隈
 次に訪れたのは、お台場の自由の女神です。実物より相当大きさは小さい様ですが、レインボーブリッジを背景になかなか面白い景色を写真に納めました。お台場では、妻の希望で「デックスお台場」という所へ行ってみました。ここには「台場一丁目商店街」という昭和30年代の商店街を再現した店舗フロアがあり、そこそこ楽しめました。それにしても、先の羊蹄丸内のジオラマもそうですが、昭和30年代の風景が今の流行の様です。想像するに、貧しかったけれど高度成長期だっただけに夢と希望が持てた時代で、それが魅力と郷愁を誘うのかもしれません。

◆上野界隈  今度は上野へ向かいました。上野駅に隣接して上野公園がありますが、ここの西郷隆盛像を見るのが主目的です。昨年読んだ「翔ぶが如く」(司馬遼太郎)で西郷隆盛の末期の姿に接し、西郷さんに会いたいと思ったのです。その前に食事をしましたが、西郷像のすぐ下に位置する西郷会館というビルの2階にある「聚楽」というレストランで食事をしました。昭和30年代頃に建てられたこのビルも、近く取り壊されて再建されるとのことです。
 食事後は西郷会館の階段を上り、西郷像のすぐ前に出ました。銅像横の由来記によれば、明治維新を成し遂げた西郷さんですが、明治10年の西南の役で賊軍となってしまいましたが、明治22年には名誉回復が図られ、明治30年にこの像が竣工されたと記されていました。  そんなこんなと上野公園をぶらぶらと散策しましたが、広場に大勢が整然と前を向いて座り込んで集まっているので何事かと近づくと、ホームレスの方が炊き出しを待っている姿なのでした。気を取り尚おして、久方ぶりに科学博物館に入館して見ました。東京勤務時代のまだ息子が小さい頃には、何度か訪問しているお気に入りの博物館です。昭和5年に竣工したという本館入り口ホールで上を見上げた時の見事な造形には、何度見ても感心してしまいます。残念ながら新館はリニューアル中で見学は出来ず、早々に退館しました。その後はアメ横商店街の雑踏の中を御徒町駅まで歩き、帰宅の途についたのでした。

◆?ビルのこと  東京駅から新幹線に乗りましたが、進行方向右側に陣取り発車後程なくして新橋駅前を通過します。その時、私に取っても思い出深い「?ビル」を窓越しにカメラに納めました。思えば10年近く前にこのビルの7階で何年かを過ごし、このビルから通過する新幹線や広大な汐留の跡地を眺めた頃のことが思い出されます。しかし当時の汐留跡地は、線路を剥いだ広大な敷地の他は何もなく、それから暫くして「ゆりかめもめ」の建設が始まったのですが、現在では多数の高層ビルが林立し、この古いビルから眺める風景も一変してしまっています。  と、いうことで、東京見物の小さな旅が終わりましたが、東京はまだまだ行ってみたい魅力的な地が多くあります。次回は。湯島にある旧岩崎邸当たりを廻ってみたい等と思っています。 送信日時: 2004年1月17日 土曜日 15:45(写真10枚)










01 工作船の後部ハッチより内部を見た写真 この中に、より小型のボートが格納されていた様子です。... 04/01/17
02 工作船の上部甲板 自爆で鋼板全体がが膨らんでいます。... 04/01/17
03 青函連絡船「羊蹄丸」・艦首部分 04/01/17
04 青函連絡船「羊蹄丸」・艦尾部分 鉄道が乗るように3本の線路が見えます。... 04/01/17
05 羊蹄丸内部のジオラマ 昭和30年代の冬の青森駅界隈をモチーフとしたもの。... 04/01/17
06 お台場の自由の女神とレインボーブリッジ 04/01/17
07 上野の西郷隆盛像 04/01/17
08 上野の「聚楽」というレストラン付近 04/01/17
09 科学博物館の入り口ホールから上部を眺めた写真。 04/01/17
10 東京勤務で何年か過ごした?ビル 03/01/10


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