パソコンで古い写真を見ていて、20年程前に東京本社に勤務していた頃のことを思い出してしまいました。当時の長野出張は、長野新幹線開業前で、特急「あさま」(183系?)に乗って、東京から長野まで約3時間の旅であったと記憶します。
旧あさま号は、碓氷峠直前の横川駅に停車すると15分程度停止します。これは、峠の急坂を登るため特急電車の後部に電気機関車を連結し、助勢するためなのです。
その間、乗客はホームに降りて、横川名物の「釜飯」を購入するのが、セレモニーみたいになっていました。私も、毎度の出張でこの「釜飯」を買って食べたものでした。
さて、横川駅を発車して軽井沢駅へ向かう碓氷峠の急坂を電車は歩く様なゆっくりした速度で、喘ぐ様に登って行く様子は、正に碓井峠の急峻さを感じたものでした。
そんな長野への旅も、長野新幹線が開業してからは、1時間ちょっとの旅と大幅に短くなり、喘ぐ様に登った碓井峠の急坂も、ルートは多少違う様ですが、ほとんどがトンネル内を走行しており、乗客に登坂しているなんて意識はまったく感じられません。新幹線は確かに圧倒的に速くて静かな旅を生みだしましたが、昔を知る者にとっては、昔の良さというものが忘れられないのです。
旧あさま号は、碓氷峠直前の横川駅に停車すると15分程度停止します。これは、峠の急坂を登るため特急電車の後部に電気機関車を連結し、助勢するためなのです。
その間、乗客はホームに降りて、横川名物の「釜飯」を購入するのが、セレモニーみたいになっていました。私も、毎度の出張でこの「釜飯」を買って食べたものでした。
さて、横川駅を発車して軽井沢駅へ向かう碓氷峠の急坂を電車は歩く様なゆっくりした速度で、喘ぐ様に登って行く様子は、正に碓井峠の急峻さを感じたものでした。
そんな長野への旅も、長野新幹線が開業してからは、1時間ちょっとの旅と大幅に短くなり、喘ぐ様に登った碓井峠の急坂も、ルートは多少違う様ですが、ほとんどがトンネル内を走行しており、乗客に登坂しているなんて意識はまったく感じられません。新幹線は確かに圧倒的に速くて静かな旅を生みだしましたが、昔を知る者にとっては、昔の良さというものが忘れられないのです。