私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

伊豆は宝の山だった

2008-12-28 | 沼津そして伊豆周辺
 かつての日本の宝の山である金山というと、佐渡島だったというイメージですが、私の好きな伊豆半島も、かつては各地に金鉱山が散在していました。

 写真は、帝國産金興業大仁鉱山跡(※下記リンク)というWebのものですが、今から20年位前まで、近くを通る国道から見えていたものでした。廃墟とか廃坑を眺めるというのは、昔から好きでしたので何時かは覗きに行きたいなあと思っていましたら、今はすっかり取り壊されてしまって、若干の跡形を残すのみです。
 この大仁金山の様な金山が、土肥にもありましたし、その他のマンガンだとかの鉱山を含めれば、伊豆半島の中に相当数が存在した様です。そんな多くの鉱山の、現在ではほとんどその活動を止めてしまっています。

 伊豆半島というのは、南北約100キロ近い長さのある半島ですが、その外周を中心に漁港が散在し、熱海、伊東、下田なんていう東側(東京側)の沿岸は観光旅館も多く、高度成長時代は栄えたのですが、それも今は昔の姿となってしまった感じがします。
 この東側沿岸に比べると、反対側となる西側の沿岸は、漁港が散在していますが、東京からの地の利も悪く、昔ながらの風景が残されていて、私には好ましいものと感じられます。

 西側は駿河湾という湾に面するのですが、この湾は駿河トラフという海溝の始点となる湾であり、水深が2000m程もある深い海なのです。東側の相模湾と西側の駿河湾の海を見比べると、その日の天気もあるのでしょうが、駿河湾の方が美しく感じられる様に私には感じます。

帝國産金興業大仁鉱山跡 (1999年1月)
http://www.funkygoods.com/hai/oohito/oohito_a.html


追記
 伊豆に船原ホテルというのがかつてあって(社長が横井英樹)、そこに純金風呂というのがあったそうです。その純金風呂が、ホテルが閉じられた後、いつの間にやらなくなっていたという自研が10年位前にありました。犯人は今も捕まっていませんが、今頃は溶かされて何処かに流通しているのでしょう。


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