電探とは電波探信儀すなわちレーダーのことです。先の大戦における我が国の敗戦は、ある意味で必然だったのでしょうが、敗因の一つとして、この電探たるレーダー技術の遅れがあったと伝えられます。
先の大戦中の電探ですが、たぶん陸軍用は別なのかもしれませんが、海軍用は当時沼津市に作られた沼津海軍工廠で作られていたそうです。
海軍工廠とは、全国各地に十数カ所が作られ、海軍直轄で各種兵器の製造を行っていた工場です。有名所としては、戦艦大和を造船した呉海軍工廠等があります。
そんな海軍工廠の一つとしての沼津海軍工廠ですが、沼津市の資料館で知る記録によると、沼津駅北部の広大な敷地を占有していたことが判ります。また、記述によれば、設立時に工廠占有地内となってしまう一部地区の住民を強制的に移住させられたことも知れます。
現在、沼津海軍工廠があったと思われる地域を見ても、まったくその様な施設があったと感じさせるものは感じられません。強制移住させられた住民も、元の地に戻れたとこのことで、その他の地域も極普通の市街地が広がっているという感じです。強いて名残として想像すれば、同海軍工廠敷地の西側に当たる地域に、比較的大面積を所有する工場等が存在するところでしょうか。
沼津海軍工廠では、この電探の他、無線機を生産(こちらが主力でしょう)していたとのことです。また、同市内で場所は異なりますが、海軍音響技術研究所という施設があった様です。これは名称からも、いわゆるソナーの研究を行っていたのだと想像されます。
戦後のエレクトロニクス技術の発達と共に、レーダーの性能は向上して来たのだと思います。アンテナがクルクル回転しながら回転しながら周囲をスキャンするレーダーの姿は、現在ではクルーザー等の小型船舶にも装備されているのが見られます。また、平面なレーダーアンテナで一定角度範囲を、物理的動作なしにスキャンするフェーズドアレイレーダーの装備が軍事用には主流になりつつある様です。
クルマの世界でも、レーダー技術により前車との距離を計測し衝突を防止するものが登場しています。しかし、相当にコストを要する様で、装着されるのは高級車だけですし、そのオプション価格も高価なものです。大型貨物車にも追突防止装置として装備車が設定されている様ですが、高価格な故でしょう、実際に装着されている大型貨物車を見たことはありません。この様な安全装備は、運動エネルギーの大きく加害性の高い大型貨物車と乗車人員が多い大型バスで、しかも高速道路走行車にこそ、装 備が求められる様に感じられます。
※写真は沼津市の資料館で見た残された電探の機器の一部です。実運用では、もう1つか2つ位ユニットがあり、そこに表示スコープ(ブラウン管)や各種調整装置が用意され、そして専用アンテナが設置されたのだと想像されます。しかし、この大きさと必用スペースからは、船舶用であればともかく、航空機用では搭載困難と想像されてしまいます。