私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

このところ読んでいる作家【鎌田慧】

2021-09-26 | コラム
このところ読んでいる作家【鎌田慧】
 このところ、連続して読み進めている作家の本がある。その最近知った著者は鎌田慧(さとし:83才)氏だが、どういう本かというと、いわゆるリポルタージュ(仏語:現地報道だとか探訪を意味する)で、その地で何が実際行われて、何がことの本質かに迫ろうという性格のものだ。

 この中で、やはり鎌田氏の見つめるのは、何を作っているのかと云うより、そこで働く労働者の視点に立って者を見ていると云うことだろう。企業なり組織で働く労働者の立場は、正に軍隊と同じ一方的な上位下達の権威主義化するのは、ある意味で宿命的な問題があるからなのだろう。そこで、ある意味民主的な力を労働者に与えるため、憲法28条で労働者の権利を定め、労働組合法でも、細目の権利を規定し、その労働者の権利行使が、刑法や民法では免責となることを定めている。

 世にはブラック企業と呼ばれるべき、労働基準法(あくまで最低限の基準)を守りもしないで、労働者を人でなく単なる消耗品と考えているとか、実態は反社的な活動を行う企業というのがある。しかし、必ずしもブラック企業でなくても、日本のトップクラスの大企業でも、必ずしも労働者の働きに公平に報いているかとなると疑問だろう。

 近年、日本の大企業は、バブル崩壊後、落ち込んだ業績が回復し、至上最大の業績を上げたという報道がなされるが、その中で、労働者の賃上げがなされたという話しは聞かない。その最大の利益は、企業の内部留保として溜め込まれて、労働者に分配されることはないのだ。

 作者の年齢からも、最近の著述もあるのかも知れないが、主な著作は今から3、40年前の、未だバブル以前の高度経済成長期の企業活動における労働者を眺めたルポが多い。この時代、大企業の生産ラインには、ロボットが入り出した時代だった。このロボットとは、手に相当するアームを持ったロボット然としたものだけでなく、自動機械とかトランスファマシンと云われる様な、人に成り代わり厳しい環境でも、24時間正確に動き続ける産業機械としてのものだった。

 ところが、ある局面で、ロボットや機械が止まり、規則上は専門の担当者以外は入ってはいけないエリアに入り、突然ロボットなり機械が動き出し、人が挟まれて死ぬという様な事故が起こり始めたのだった。会社は、何故規則を破ってロボットエリアに入ったのだと責めるが、担当者にしてみれば毎日の生産台数に追われ、ただただラインの停止を一刻も復旧させたくてという思いが、危険という意識を奪ってしまっていたのだろう。

 また、ロボットなり自動機械が導入以前では、昔の電気製品だとかカメラの組み立て作業など、比較的小型の製品のライン風景には女性作業員の姿が多く見られることを知る。しかし、ロボット化がなされると、女性労働者は、ほとんど一層されていまうのだった。

 この高度成長時代、労働者への圧政と云うべき企業上層部の要求は高まったが、反対に労働組合運動も対抗して高まらざるを得なかったと思える。そんな中、かろうじて労働者は一方的な搾取を受け続けるのではなく、幾らかは権利を奪い返すこともできた時代だった様に思える。

 しかし、時代を経てバブル崩壊以降となると、生産現場ではロボット比率がさらに高まり、非生産部門でも各種目標数値管理だとか必ずし本来の能力にリンクしていない見掛けの数値と対比され、能力給というべき歩合給を取り入れられて来た。そんな中、人を部品や材料の様に、必用な時に必用なだけ、それは正にトヨタの云うジャストインタイムの思想と云ってよい、非正規労働者が単純作業にも認められ、大企業経営者は労働者ではなく部品や材料と同じ感覚で多く導入する様になった。この効果による、正規従業員の圧縮は、労働組合の発言力を弱め、高度経済成長時代より、もっともっと強い企業権力者優位の圧政が当たり前の世になったと感じる。

 現在、マトモな労働組合運動を行っている「関西生コン支部」という労組が、司法を始め、弾圧を受けているが、「関西生コンを支援する会」の役員には、この鎌田慧氏も加わっている。

共同代表:鎌田慧(ルポライター)/佐高信(評論家)/宮里邦雄(弁護士)/海渡雄一(弁護士)/内田雅敏(弁護士)/藤本泰成(フォーラム平和・人権・環境共同代表)/菊池進(全日建委員長)
事務局長:勝島一博(フォーラム平和・人権・環境共同代表)/事務局次長 小谷野毅(全日建書記長)

関西生コンを支援する会
https://www.sienkansai.org/


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。