私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

日本は旧ソ連と同じ社会構造

2018-11-02 | コラム
 朝日やNHKみたいな大手マスコミの自虐史観や偏向報道に欺されるつもりは毛頭ない。しかし、ジャパンイズNo1と云われた黄金の80年代を経て、失われた10年とか20年とか叫ばれつつ現代を迎えているのだが、あまりにも社会的な問題があらゆる企業や組織体で生じ過ぎていると感じる。その問題とは、製品品質の偽装であったり、粉飾決算であったり、東電福島原発事故の地震や津波の危険を指摘されていたのに、問題を先送りしていたという不作為などだろう。この東電の問題では、管轄する官庁である経産省傘下の原子力保安院も、問題を承知しつつ黙認していたということが、事故の9ヶ月後に公開された国会事故調でも、明確に指摘されている。

 そんな中、今日知る新たな呆れるべきというか嘆く以下の2つの事件が報道されている。
①JALの英国発羽田便の副パイロットが飲酒の規定量の9倍の数値が検出(道交法では呼気中0.15mg以上で酒気帯びと判断されるから、仮にこれを準用すると1.35mgというレベルか?)され、英国警察に逮捕拘禁され調査中だという。なお、この件、それ以前のJAL側の点検では問題なしとして搭乗する直前に発見されたということだ。正に、常識外れの危険なことだし、日本の国際的な信頼を失墜させる破廉恥事件だろう。

②大きく報道されている台湾高速鉄道の脱線転覆事故だが、製造元の日本車輌が安全装置(ATP)の設計ミスがあり、スイッチを切った時に指令センターに表示される機能が働いていなかったとの昨日報道である。これなどは、例え設計ミスもあろうとも、クルマ程度の比較的小型の大量生産品の場合は完成検査(これを狡したのが日産とスバル)を行い出荷すれば終いだが、鉄道にしても大型機械製品など少量一品製品の場合、納入設置し全機能を検査するのが当然のことであろう。例えば、民需船舶は当然のこと防衛艦艇においても、公試と呼ばれる性能や機能の検査が、運用者と製造者の立ち会いの元で行われると承知している。それが、なんで発見できなかったのかということが大問題だろうと思う。これが直ちに事故原因には直結する問題ではなかろうが、交通事故などと同様に相互に責任があったという問題になるのではないだろうか。

 ①の問題についてはなんとかという国土交通大臣が、お決まりの如く「より厳格な検査態勢を云々」と、例のごとく述べているが、ハッキリ云ってこういうろくに勉強もせず官僚も統制できない政治屋崩れが何を云っても意味はないだろう。要は、実際の行政権限を有している官僚が問題なのだ。国土交通省で云えば筆頭の事務次官およびそれぞれ担当部門の局長に権限は帰するのだ。過去の三菱のリコール隠し、燃費偽装、日産の完成検査不適切など、何れの問題でも「厳重注意」で済まされている。その理由は、取り締まるべき該当法令がなかったなどと述べている訳だが、納得感のない弁明にしか聞こえない。これが、自動車整備指定工場とか道路運送業が何か不手際を起こせばどうなるだろうか。直ちに指定取り消し、検査員の刑事告訴、営業車の運行停止や営業許可取り消しという処分が行われているのだ。だいたい、この辺りのモラルを示す言辞として、ノブレス・オブリージュ(仏)というのが古くからフランス(欧州)で語り伝えられてきた。意味は、高貴な(社会的地位の高いもしくは影響力の大きい)者ほど社会の規範となるべき姿であるべきだという考え方で法ではないが倫理を示すものだ。

 しかし嘆くのは、これらの大企業とか大組織や官僚組織には、社是とか役割、そして最近のカタカナ用語ではコーポレッドポリシーとかガバナンスとの表題で立派なことが記されている訳だが、ぜんぜん異なるじゃないかというものばかりだ。話しは飛ぶが、かつて社会党に石井紘基という国会議員がいたが、暗殺されてしまったのだが、今でもYouTubeなどで、その活動の一端を知ることができる。そんな中知るのだが、この石井氏ソビエト大学に6年留学をして政治学などを勉強したそうだ。本人が述懐しているが、その留学中にソ連と日本はまったく同じ構造ではないかということに気づいたというのだ。すなわち、政府官僚による計画経済とか、汚職や天下り先の確保などのことを指すのだろう。今、我が町でも起案から30年を経て、総額1千億とも2千億とも聞く、鉄道高架事業が数々の反対意見がある中で進められつつある。今、東京以外の地方都市は、人口や産業の減少や高齢化という問題に悩んでいるが、人口約20万余の我が町も同様だ。しかも、東北震災の大津波の凄まじばかりの映像ショックにより、海岸線総延長が50キロを超える我が町は、海沿いの土地価格の下落に続く下落でも売れない状態になっている。仮に30年前の起案時の計画が正しいとしても(そうは思えないが)、時代は急激に変化したし、これからもっと加速度的に変化する様相(自動運転車、EVカー、ライドシェアなど)が見え始めている。30年前に作られた計画に固執して、何ら時代に合わせた大局的な見直しもせず、着々と計画を推し進める。そして、完成後には老朽マンションの大規模修繕費と同様に、未来永劫にコスト負担を強いて行く。しかも、高齢化と人口減少、クルマの保有台数も減る中での話しだ。同様のことが、全国の高速道路や様々な箱物行政として、さももっともらしく官僚主導で営利をむさぼる関連業界(主に土建屋、産廃屋など)と共に続けられているのだ。そして、ソ連、アルゼンチン、次は中国かという具合に破局に向かうのだろう。私は、そこまで生きていることはなかろうが、今を生きる者として、ささやかながら未来への責任を感じるところだ。

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