私の思いと技術的覚え書き

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何故保険会社は修理工場と修理費の合意を図るのか

2023-01-25 | 車両修理関連
何故保険会社は修理工場と修理費の合意を図るのか
 過日のこと、ある修理工場向けの保険金支払いを指導すべきことを業務とする組織の方(以下N氏と記す)と、しばし損害保険金に関わる損保と工場間の合意(これを業界内では協定と呼んでいる)を行うことについて、論議を戦わせることになった。

 そもそも、この論議の端緒となったのは、N氏がコンテンツ動画を作成しYoutube動画としてアップしている意見について、私がその内容に「違和感」を感じる等として、どちらかと云えば否定的コメントを記したことがある。その後、私のコメントを見たN氏よりコンタクトがあり、話しをしたいと云う提案を受け、即座に私も同意し、しばし話し合うことになったのだった。

 ここでの話しは、与太話も含め結構な長時間の話しとなったのだが、結局のところ、N氏の主張と私の主張はすれ違ったままで、最後まで合意することはなかったのだった。ここでは、まず話しの主張の核心となる事項を整理すると、N氏の主張は以下の通りだ。

1.保険約款の解釈を巡る意見の相違
➀法律上の損害賠償責任について
 損害保険会社の約款で定める対物賠償責任条項としては、第1条で以下の様に記されている。

 当会社は、被保険自動車の所有、使用または管理に起因して他人の財物を滅失、破損または汚損すること(以下「対物事故」といいます。)により、被保険者が法律上の損害賠償責任を負担することによって被る損害に対して、この賠償責任条項および一般条項に従い、保険金を支払います。

 この約款について、N氏とは法律上の損害賞責任とは民法709条および同715条のことを指すのは、互いに認め合えるところだ。なお、民法715条は、雇用主に責任がおよぶ場合もあると云うことで、損害賠償論としては、民法709条を意識していれば通常は足りる。

民法 709条
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

民法 715条
 ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。
使用者に代わって事業を監督する者も、前項の責任を負う。
前二項の規定は、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない。

②財物の解釈について
 次に「財物」のところで、N氏から私にこれは具体的に何を指すのか問われ、一般的には修理費相当額(全損でない場合)とか代車費とかでしょうねと私は答えたのだ。ところがN氏曰くこれは「財産権」を指すのだという説明がなされたのだが、一般論としては頷けるのだが、改めて財産権という文言の意味を調べつつ、約款解説についてを久々に再読してみた。

 まず、財産権だが、Netで調べてみると、以下の様に記されている。
 財産権:私権のうち権利の内容が財産的価値を有するもの。 所有権・抵当権などの物権、金銭債権・賃借権などの債権、工業所有権(産業財産権)・著作権などの知的財産権がこれに属する。

 一方、約款解説では財物について、以下の様に解説している。
 財物とは字句どおり有体物を指す。従って、他人の所有する有体物の滅失、破損、汚損を伴わない事故を発生して被保険者が賠償責任を負担したとしても、その損害に対しては保険金は支払われない。例えば、被保険自動車が駐車場出入り口で故障により動けなくなったため、駐車場から営業損害の賠償請求を受け、それを損害賠償したとしても、他人の財物を滅失、破損、汚損した訳ではないので、対物賠償保険は支払われない。

 また、先の財産権の意味でいう私権として、所有権や抵当権などの物件は該当するだろうが、金銭債権、賃借権などの債権、工業所有権、著作権などの知的財産権は対物賠償に含まれないのは当然ではなかろうか。と云うことで、N氏の主張する財物=財産権という解釈は失当だと判じられる。

③保険金の支払いについて
 ここが最大の意見の相違点なのだが、約款にはただ保険金を払うとしか記していないのだが、N氏の解釈はそれは、損害賠償請求権者(車両の所有者)もしくは保険契約者であって、何れにしても修理工場とは解釈できないという点であるというところだ。この続きは、事項で詳細に記したい。

2.保険会社と修理工場は債権債務関係のない関係である
➀債権債務関係について
 N氏の主張の論点は、保険会社は多くの場合、修理工場に支払っている事実を認めるが、それは慣習的なものであり、法的は保険会社と修理工場の間には債権債務の関係がないので、逆に云うと工場は保険会社に請求権を持たない。これが、保険会社が協定できなないなどと最後通牒を出し、工場を圧政して来た根源なのだというのだが・・・。

 私は、圧政して来たかは素直に同意まではしかねるが、中には強引な場合もあり得るだろうと述べた。その前提で、そうは云いながらも、全損とか特段の理由がない場合は工場に支払いをして来たし、払えない場合も、ただ協定できないなどと不十分な説明で済ませてきたつもりは毛頭ない。とことん説明責任を果たしつつ、妥協点を見つける努力はして来たと思っていると述べるのだが、N氏はそういう保険会社はないと断言するのだった。

②N氏の理想の保険金支払とはどうであるべきかを問う
 話しが平行線となったこともあり、ここで私からN氏に対し、理想の保険金は誰に支払うべきかを質してみた。その結果、私は驚くしかなかったのだが、損害賠償請求権者もしくは契約者だと答えるではないか。そんなことして、果たして工場は修理費が確実に回収できるのかとたずねない訳には行かないのだが・・・。
 N氏がこの様に説明する背景には、先の債権債務関係はないし、そもそも修理工場には保険会社に請求権もない訳で、協定できないなどと恫喝受ける理不尽な対応されるなら、強いて協定もする必用もないと言い切るのだった。
 つまり、N氏の思いは、修理工場は何れにしても修理委託者(通常損害賠償請求権者もしくは契約者)に請求し、保険会社は債権債務関係にある者同士として、払う払わないを論争すればいいというのがN氏の思いの様だ。

③以上を受けた私の説明
 まず、保険会社が工場ではなく損害賠償請求権者とか契約者に払う場合もあるが、それは全損もしくは修理を実施しないという場合であること。私の過去の経験でも、実際に修理を実施していて、その様な賠償請求権者とか契約者から自分のところへ支払ってくれと要請を受けた場合の経験がある。しかし、その様な場合は、直ちに該当工場へ連絡し、その様な要請を受けたが承知しているか、もしくは承知できるかをまず確認の上で、その様な支払いを行って来たと述べた。

④次に述べたのは、修理施工者としてどうやっても説明責任は付いて廻ること
 N氏の主張からは、すべての案件ではないが保険会社と話し合うだけムダな場合もあり、そういう場合は保険会社は関係ないのだから、直接請求権者に請求しつつ修理料金も資本主義の原理から自由だというのだが・・・。私はそれは違うだろうと思わざるを得ないのだが、最後までN氏の考えは変わらなかった。そこで、そういう争いになれば、料金の妥当性を立証するためには、訴訟なりのステージに移行し、保険会社と修理工場とが争うことになるしかないでしょと答えざるを得なかった。

⑤保険金を賠償請求権者とか契約者に直接払いした場合に想定できること
 私はN氏に対し、仮にその様な保険金を賠償請求権者もしくは契約者に支払うルール付けにしたと仮定し、その場合に予想されることとして、実質の修理工場の手取りと云うか修理費相場価は低下すると思うと私は述べた。それは、顧客はある意味勝手で、もっと安くやれないかとか、未修理など場合によっては他の工場へと流れるケースもあり得るだろう。よほど、修理工場が納車時に留置権を行使するなどしない限り、中には保険金だけもらって、ドロンというケースだって想定されるのではないかとも発言したが、そういう心配はご無用の如き返事であった。

3.まとめ
 N氏と話していて感じるところだが、法律論も勉強なされており、非常に頭の良い方だと思う。しかし、その考え方に果たして付いてこれる修理工場は何処までいるのかと考えたき、私はなかなかそこまで付いて来る工場は少ないだろうと思えた。
 そこで、牽制的な思いもあり、その論理で行くと、まず保険会社と指数および修理単価協定しているディーラーだとか指定工場となっている工場とか、それら工場の下請の立場である工場は、絶体ムリでしょうと述べた。これについては、N氏は、それはその通りと述べるのだったが、その他のかしこい工場はN氏の考えに賛同してくれる方もいるんだという物言いなのだった。

 私は思うのだが、今回のN氏と同様の思いを主張してきた事例が過去に幾つか歴史として起きて来たことを聞き知っている。それらは、例えば独自の工数だとか独自の工賃単価を主張して、多くの損保を敵に回し、端的に云えば支払いを止められ、事実上廃業にまで追い込まれた、もしくは以前より小規模な工場として生き残っていると云うのが現実だろうと思っている。
 私は、元損保の調査員だが、当時から修理費とは、損保の1人よがりのものであってはならないし、一般社会通念上とか、合理的、理論的に認められるべきは認めるという謙虚な姿勢が、損保は営利を追求する企業ではあるものの、保険という性格上のこともあり公益性を無視することはできないのだと意識して来た。

 確かに現状の損保とか調査員(アジャスター)は、組織の上意下達の中で、ムリを強いている面もあるのが現実だろうと思うが、N氏は損保に説明責任はないと切り捨てるが、私は損保には大企業かつ公益性を求められる保険会社だからこそ、高い説明責任が絶体あるし、国家の権限などない民間企業にあっては、云いぱなし、放置などは許されざる行為だと思っているのだが、ここまで話しても合意点が見出せなかった残念な打ち合わせとなったという思いだ。


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