夢みる話し【第三者機関による工数策定の模索】
事故車復元に関わる工数もしくは標準作業時間については、日本の場合「指数」の普及が確たる数値はともかく、国産車においてはほぼ8、90%は普及しているのが現状ではないかという思いを持つ。その中で、予て「指数」と実作業時間には乖離があるのではないかという意見を聞くこともある。何故そこまで「指数」の普及が寡占化したのかと云えば、事故車修理費に関わる損保の関与が7、80%と云われる現状があり、早くから欧米諸国の実情を掴んでいた損保が、自研センターを設立したりアジャスター制度を養成したりと、組織的に修理業界をリードしてきたことにあると感じるところだ。
不肖、拙人も約10年前まで某損保において通算20有余年損害調査員(アジャスター)として活動しつつ、その普及活動の一翼を担って来たことは事実としてある。そういう中において、社会的な公共性が求められる損害保険という仕組みにおいて、指数に関わる説明責任を十分果たして来たかと問われれば、それは決して料金請求者側(債権者)側の要請に料金支払い者側(債務者)として十分沿えていなかったと告白せざるを得ないのかもしれない。ただ、担当者の抗弁とはなるのだが、担当者として疑問を感じ自研センターに問い合わせを繰り返して来たが、その返答は必ずも担当者の疑問を払拭できる場合ばかりではなかったということがある。
現在の指数は基表という仕組みで、実作業前提でなくいわば卓上計算で構築積算されているのだが、ある一時損保サイドにも説明責任を果たすべきと云う意見もあった故と思われるのだが、基表の一部を公開し始めた一時(約1~2年間)があったのだった。ところが、H6年(1994年)10月の公取警告を受けて、爾来指数の数値は科学的な時間を云うが、中身についてはいわゆる知的資産もしくは企業秘密という中において、一切報知なされることはなくなってしまったという歴史があるのだ。
しかし、歴史とは皮肉なもので、この公取警告を遡る1990年より1992年までの2年間で、都合10数回の指数検証というべき、指数が実作業時間に一致するかの検証会が、当時の日車協と損保協会との間で繰り返されたことを知る者は、この損保および修理業界でも知る者は少ないだろう。
ところが、この検証会のまとめはなされず霧散してしまったという歴史を経るのである。これは、折からのバブル崩壊のあおりもあったであろうが、主に米国などで進められていた損保指定工場の動きが修理業界でもやや大手の工場(これは日車協でも執行部など幹部連が多い)を吹き抜け、業界を動揺させたことがあったと想像するところだ。
その後、先に述べた公取警告を受けて、対応単価の恣意的な序列化には一定のクサビが打ち込まれることになったのだが、爾来20年以上に渡り日本全体が低成長デフレ経済下で消費者物価指数としてその値は極めて微少な値に留まったことから、対応単価の値上げはほとんどなされなくなったという歴史を辿るのである。ところが、消費者物価の総合値としては微少な値動きだったのだが、修理工場側で使用する半製品たる材料費とか、この次期ますます車両に採用が著しくなった樹脂部品の使用率は高まったのだが、この廃棄物は産業廃棄物として有価物とはならず、その廃棄費用に著しい値上げがなされる様になったのだった。バブル崩壊以後、多くの企業において、企業存続を原価低減により生き残りを掛けざるを得なくなったのだが、修理業界としても同様で、工員人件費の圧縮を図らねばならなくなった。
現在、整備および板金という修理業界において、工員の人不足が叫ばれているのだが、日整連の整備白書を見ても判る通り、ディーラー以外工場では工員平均年齢が、現在(R4年)現在で51才と高齢化しているが、このことは若い新人を取得するのが難しくなっていることを示すものだ。同整備白書では、ディーラー以外の整備工場の平均年収は370万円、平均年齢は先に述べた通り51才だが、このことはコンビニ店員の給与はもう少し低いのかもしれないが、それにしても入社して1週間も務めれば、ベテラン店員のパフォーマンス対比で90%程度となるのに対し、修理や板金の技能者は、それなりの専門学校を卒業した前提でも、少なくとも数年の実務委経験がなければ、ベテランのパフォーマンスの80%に届くかどうかという技能が要求される。しかも、最後の巧みと呼べる技能者になれるかどうかは、本人の執着とか素養に左右され、およそコンビニ店員の様に業務は定型化できないとか、個別修理毎の難易度とか、個別ユーザーの要求度が違うなど、およそマスプロダクション、もしくはマスサービスという概念とは異なるという特有の特性を持つのだ。
こういう現象を知る拙人としては、これだけ寡占化した指数をなから使用を当たり前として受け入れている修理業界を見ていて、理不尽さが垣間見える指数値を、説明責任を通して自浄化できないものかと思考していたところだ。一方、米国とか欧州など、各国にはそれぞれ独自の指数に相当する工数策定機関があり、それらが日本の様に寡占化まですることなく、複数の工数策定機関があり存在していることを知る。欧州など、多くは日本の自研センターの様な損保が構築した機関もあるが、それも国が多いだけに、多種類が併存しており、それが地続きのEU諸国として併存している。また、米国などはミッチェル社とモーター社の二社がある様だが、これは一民間企業体であり、直接には損保経営ではない。
実のところ、日本にも指数以外に工数というものは幾らかあり、一つは日整連の点数表というものがあるが、これは主にメカニカル作業の工数に相当するもので、これを事故車復元修理に使うことは困難と云うことがある。そして、大型車の事故車修理を行っているところしか知られていないが、全大協(全国大型車自動車整備工場経営協議会)工数というのがあり、大型車には指数がないこともあり、損保はこの全大協工数をなから認めているのだ。
という前提で、拙人は予て指数の妥当性を是正するために、損保に説明責任を要請し、そのことを持って損保協会から自研センターにも影響力を行使していく要があるべきと考えていたところであるが、そもそも米国とか全大協の如く、別の工数策定機関があっても良いだろうと思い極めるのだ。このことの意味は、まず諸悪の権化というべき寡占化を廃すと云うところにある。工数は法令ではないのであって、科学性、客観性、合理性などから来る妥当性がありさえすれば、決して1本にまとめる必用はないと思えるのだ。これは、ある意味独裁主義と民主主義の違いともいえ、世の多様性を認める社会にあってはあって当然のことだと思うところなのだ。
こういう意見を出すと、そんな新たな工数策定機関を作る資金は何処が捻出するのかと訝る方も多いだろう。私も、当初はそう思う一人だった。ところが、ある意味、日整連の点数表をどうやって作っているのかを思考すると、ある意味それ程大規模な機関が必用でないことが伺われるのだ。と云うのは、日整連というのは、全国92千工場を参加に要す大組織ではあるものの、その本社は東京港区六本木ヒルズ森タワー17階に住所を持つのだが、そこはオフィスビルであって、日整連として独自のリサーチ工場など有していない。それでも、おそらくの想像だが、努める大学もしくは整備専門校卒の若い勤務員達が、点数表を作っているのが現実の姿だと認識できるのだ。
また、現在の板金工場の中には、指数の非合理性を痛感しつつ、何とか独自の工数表を構築し、損保に認めさすことを夢みている方もいると思う。そして、現在のIT環境という通信環境のことを思うのだ。つまり、全国のそれなりの有志がリサーチ工場の部位別のリサーチ担当となり、メタデータを本部に収集する役目を負う。本部は、それは今後の集約化とういうかシステム化に試行錯誤は要するだろうが、おそらく10名以内の人員で、しかも本部は決して地価の高い大都市である必用もなく、ほどほどの地で良いと思えるが、できれば検証用の実験工場程度は持てれば良いだろう。組織は、できれば非営利法人としてか一般社団法人としても利益を前提としない企業理念とする。これを前提にして、現在の指数で行われている基表と類似の、構造調査による実作業を伴わない標準時間工数を策定して行く。
なお、本システムが起動に乗って動き始めたところで、メタデータ提供企業については、その労力に報いるデータ提供料をリターンしつつつ参加データ提供工場を増やす施策を行う。また、工数提供後、一般工場も含め問題点の指摘を受け付け、工数検証を行いつつ是正する是正機能も持たせる。さらに、現在の指数の提供後のデータ検証の不可能性を最大の問題として意識しつつ、透明化に努め、持って車両ユーザーその他利用者の理解促進を図る。
この第2の指数というべき工数(名称未定)がある程度普及して行ったとすれば、損保の独りよがりの寡占化は防止でき、持って業界の自浄作用に強く働くことができるだろう。
追記
現指数は先に述べている様に寡占化は著しく、多くのコンピューター見積ソフトに組み込まれているという問題があるが、既存コンピューターシステムは、システムの改修により新工数テーブルを別に追加することで、既存見積項目については、1タッチで切り替え可能に技術的にはさほどの手間を要せずできる。なお、新工数は、例えば既存指数で、取替となる作業は原則として構成部品の総てを取り換える前提で構築されていると見えるが、OH工数というのをボルト系部品には取り入れる構想だ。
事故車復元に関わる工数もしくは標準作業時間については、日本の場合「指数」の普及が確たる数値はともかく、国産車においてはほぼ8、90%は普及しているのが現状ではないかという思いを持つ。その中で、予て「指数」と実作業時間には乖離があるのではないかという意見を聞くこともある。何故そこまで「指数」の普及が寡占化したのかと云えば、事故車修理費に関わる損保の関与が7、80%と云われる現状があり、早くから欧米諸国の実情を掴んでいた損保が、自研センターを設立したりアジャスター制度を養成したりと、組織的に修理業界をリードしてきたことにあると感じるところだ。
不肖、拙人も約10年前まで某損保において通算20有余年損害調査員(アジャスター)として活動しつつ、その普及活動の一翼を担って来たことは事実としてある。そういう中において、社会的な公共性が求められる損害保険という仕組みにおいて、指数に関わる説明責任を十分果たして来たかと問われれば、それは決して料金請求者側(債権者)側の要請に料金支払い者側(債務者)として十分沿えていなかったと告白せざるを得ないのかもしれない。ただ、担当者の抗弁とはなるのだが、担当者として疑問を感じ自研センターに問い合わせを繰り返して来たが、その返答は必ずも担当者の疑問を払拭できる場合ばかりではなかったということがある。
現在の指数は基表という仕組みで、実作業前提でなくいわば卓上計算で構築積算されているのだが、ある一時損保サイドにも説明責任を果たすべきと云う意見もあった故と思われるのだが、基表の一部を公開し始めた一時(約1~2年間)があったのだった。ところが、H6年(1994年)10月の公取警告を受けて、爾来指数の数値は科学的な時間を云うが、中身についてはいわゆる知的資産もしくは企業秘密という中において、一切報知なされることはなくなってしまったという歴史があるのだ。
しかし、歴史とは皮肉なもので、この公取警告を遡る1990年より1992年までの2年間で、都合10数回の指数検証というべき、指数が実作業時間に一致するかの検証会が、当時の日車協と損保協会との間で繰り返されたことを知る者は、この損保および修理業界でも知る者は少ないだろう。
ところが、この検証会のまとめはなされず霧散してしまったという歴史を経るのである。これは、折からのバブル崩壊のあおりもあったであろうが、主に米国などで進められていた損保指定工場の動きが修理業界でもやや大手の工場(これは日車協でも執行部など幹部連が多い)を吹き抜け、業界を動揺させたことがあったと想像するところだ。
その後、先に述べた公取警告を受けて、対応単価の恣意的な序列化には一定のクサビが打ち込まれることになったのだが、爾来20年以上に渡り日本全体が低成長デフレ経済下で消費者物価指数としてその値は極めて微少な値に留まったことから、対応単価の値上げはほとんどなされなくなったという歴史を辿るのである。ところが、消費者物価の総合値としては微少な値動きだったのだが、修理工場側で使用する半製品たる材料費とか、この次期ますます車両に採用が著しくなった樹脂部品の使用率は高まったのだが、この廃棄物は産業廃棄物として有価物とはならず、その廃棄費用に著しい値上げがなされる様になったのだった。バブル崩壊以後、多くの企業において、企業存続を原価低減により生き残りを掛けざるを得なくなったのだが、修理業界としても同様で、工員人件費の圧縮を図らねばならなくなった。
現在、整備および板金という修理業界において、工員の人不足が叫ばれているのだが、日整連の整備白書を見ても判る通り、ディーラー以外工場では工員平均年齢が、現在(R4年)現在で51才と高齢化しているが、このことは若い新人を取得するのが難しくなっていることを示すものだ。同整備白書では、ディーラー以外の整備工場の平均年収は370万円、平均年齢は先に述べた通り51才だが、このことはコンビニ店員の給与はもう少し低いのかもしれないが、それにしても入社して1週間も務めれば、ベテラン店員のパフォーマンス対比で90%程度となるのに対し、修理や板金の技能者は、それなりの専門学校を卒業した前提でも、少なくとも数年の実務委経験がなければ、ベテランのパフォーマンスの80%に届くかどうかという技能が要求される。しかも、最後の巧みと呼べる技能者になれるかどうかは、本人の執着とか素養に左右され、およそコンビニ店員の様に業務は定型化できないとか、個別修理毎の難易度とか、個別ユーザーの要求度が違うなど、およそマスプロダクション、もしくはマスサービスという概念とは異なるという特有の特性を持つのだ。
こういう現象を知る拙人としては、これだけ寡占化した指数をなから使用を当たり前として受け入れている修理業界を見ていて、理不尽さが垣間見える指数値を、説明責任を通して自浄化できないものかと思考していたところだ。一方、米国とか欧州など、各国にはそれぞれ独自の指数に相当する工数策定機関があり、それらが日本の様に寡占化まですることなく、複数の工数策定機関があり存在していることを知る。欧州など、多くは日本の自研センターの様な損保が構築した機関もあるが、それも国が多いだけに、多種類が併存しており、それが地続きのEU諸国として併存している。また、米国などはミッチェル社とモーター社の二社がある様だが、これは一民間企業体であり、直接には損保経営ではない。
実のところ、日本にも指数以外に工数というものは幾らかあり、一つは日整連の点数表というものがあるが、これは主にメカニカル作業の工数に相当するもので、これを事故車復元修理に使うことは困難と云うことがある。そして、大型車の事故車修理を行っているところしか知られていないが、全大協(全国大型車自動車整備工場経営協議会)工数というのがあり、大型車には指数がないこともあり、損保はこの全大協工数をなから認めているのだ。
という前提で、拙人は予て指数の妥当性を是正するために、損保に説明責任を要請し、そのことを持って損保協会から自研センターにも影響力を行使していく要があるべきと考えていたところであるが、そもそも米国とか全大協の如く、別の工数策定機関があっても良いだろうと思い極めるのだ。このことの意味は、まず諸悪の権化というべき寡占化を廃すと云うところにある。工数は法令ではないのであって、科学性、客観性、合理性などから来る妥当性がありさえすれば、決して1本にまとめる必用はないと思えるのだ。これは、ある意味独裁主義と民主主義の違いともいえ、世の多様性を認める社会にあってはあって当然のことだと思うところなのだ。
こういう意見を出すと、そんな新たな工数策定機関を作る資金は何処が捻出するのかと訝る方も多いだろう。私も、当初はそう思う一人だった。ところが、ある意味、日整連の点数表をどうやって作っているのかを思考すると、ある意味それ程大規模な機関が必用でないことが伺われるのだ。と云うのは、日整連というのは、全国92千工場を参加に要す大組織ではあるものの、その本社は東京港区六本木ヒルズ森タワー17階に住所を持つのだが、そこはオフィスビルであって、日整連として独自のリサーチ工場など有していない。それでも、おそらくの想像だが、努める大学もしくは整備専門校卒の若い勤務員達が、点数表を作っているのが現実の姿だと認識できるのだ。
また、現在の板金工場の中には、指数の非合理性を痛感しつつ、何とか独自の工数表を構築し、損保に認めさすことを夢みている方もいると思う。そして、現在のIT環境という通信環境のことを思うのだ。つまり、全国のそれなりの有志がリサーチ工場の部位別のリサーチ担当となり、メタデータを本部に収集する役目を負う。本部は、それは今後の集約化とういうかシステム化に試行錯誤は要するだろうが、おそらく10名以内の人員で、しかも本部は決して地価の高い大都市である必用もなく、ほどほどの地で良いと思えるが、できれば検証用の実験工場程度は持てれば良いだろう。組織は、できれば非営利法人としてか一般社団法人としても利益を前提としない企業理念とする。これを前提にして、現在の指数で行われている基表と類似の、構造調査による実作業を伴わない標準時間工数を策定して行く。
なお、本システムが起動に乗って動き始めたところで、メタデータ提供企業については、その労力に報いるデータ提供料をリターンしつつつ参加データ提供工場を増やす施策を行う。また、工数提供後、一般工場も含め問題点の指摘を受け付け、工数検証を行いつつ是正する是正機能も持たせる。さらに、現在の指数の提供後のデータ検証の不可能性を最大の問題として意識しつつ、透明化に努め、持って車両ユーザーその他利用者の理解促進を図る。
この第2の指数というべき工数(名称未定)がある程度普及して行ったとすれば、損保の独りよがりの寡占化は防止でき、持って業界の自浄作用に強く働くことができるだろう。
追記
現指数は先に述べている様に寡占化は著しく、多くのコンピューター見積ソフトに組み込まれているという問題があるが、既存コンピューターシステムは、システムの改修により新工数テーブルを別に追加することで、既存見積項目については、1タッチで切り替え可能に技術的にはさほどの手間を要せずできる。なお、新工数は、例えば既存指数で、取替となる作業は原則として構成部品の総てを取り換える前提で構築されていると見えるが、OH工数というのをボルト系部品には取り入れる構想だ。