私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

伊豆・天城トンネルの記憶

2018-01-06 | 沼津そして伊豆周辺
 過去に何度か触れてきた、(旧)天城トンネルのことについて、改めて記してみたい。(旧)天城トンネル(天城隧道)は明治38年(1905年)に完成したというから113年も前となる。国の重要文化財に指定されているが、現在でも何ら許可等なくクルマが通行することができる。数年前に通過し、その直後に記したブログ文(2つ)を再掲してみる。

■100年前の旧天城トンネルのこと 2015-12-27 記述
 今朝は下田へ向かう途上、ハイペースで飛ばして来て余裕もあり 、左へ切れ込んで旧天城トンネルを10年ぶりに通過してきた。途上の道は、昔より荒れており、深い轍が多く、左右へのハンドルコントロールをしながら腹を擦ることもなく到着した。伊豆の踊り子など、数々の作品に登場する100年前のトンネルを久しぶりに見たのだ。

■天城越え  2016-01-03 記述
 つい先日、久しぶりに旧天城トンネルを見学したので、若干講釈を記してみる。

 三島から下田へ至る脇街道(東海道を本道としての脇)を下田街道と呼ぶ。今でいう、国道136号と国道414号がこれに相当する。江戸時代までは全て徒歩で、トンネルもないから天城の山並みを越えていく厳しい道程であった訳だ。明治になり最難関の天城越えを容易にするため隧道が作られたのだが、これが旧天城トンネルで、全長440m余り幅員4m程(側溝含め)の石組みの作りだ。1905年完成と記録されているので、今から114年も前に作られたものなのだ。(国の重用文化財指定)

 トンネル内で停車し内部を撮影したが、石組みからの漏水を防ぐためだろう、モルタルを吹き付けてあるが、トンネル自体の作りはしっかりしたものだ。幅員からは小型乗用車なら行き違いがなんとか可能だが、大型車では無理だろう。クルマの少ない時代だから、大した混乱も生じなかったのだろう。ここから、「伊豆の踊子」(川端康成)や「天城越え」(松本清張)などの名作が生まれたのだと思うと感慨が湧く。

 現在の新天城トンネルは、旧天城トンネルの西側にもっと標高の低いところを貫通しており、全長約800mでセンターラインがある。2000年迄有料道路として運営されていたが、現在は無料で通行できる。



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