私の思いと技術的覚え書き

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加藤智大事件

2023-02-16 | コラム
加藤智大事件
 昨夜、ある本を読んでいて加藤智大(かとうともひろ:1982/9/28-2022/7/26死刑執行)のことを、幾らか知り、案外私の知る世界とか居住地との接点も知りつつ驚きもあり、改めてこの覚え書きを記す。

 云わずと知れたこの加藤智大は、2008年6月8日(智大25才時)12:30過ぎ、秋葉原の歩行者天国にレンタカーの2トントラックで赤信号を無視して突っ込み、横断歩行中の歩行者5名を跳ね飛ばし、その後手当たり次第に付近の歩行者17名に所持していたタガーナイフで切り付け殺傷した。被害者は死亡7名、負傷者7名という。

 この加藤智大だが、青森県生まれ、父母と3才下の弟(事件後6年を経て28で自死)の4名家族で育った。母親はかなり教育熱心で智大は青森県で進学率トップの県立青森高校を卒業する。本人希望なのか母親希望なのか、本来は国立北海道大学を目指していた様だが断念、何故か中日本短期大学(岐阜:以下中日本自短)の自動車整備課へ入学したという。

 ここまで知り、この中日本自短だが、過去のディーラー勤務時代とか損保調査員時代から、ここ卒の人物を10名程度は知るが、こういうと何か見下げた様で高閲だが、およそその教育程度など特に高いとは感じられず、まあ中の下というレベル感を持つところだ。ところが、ここで、この加藤智大は中日本自短を卒業するも、整備士の免許を取得せずに卒業している様だ。これは、彼が学力的に劣っていたというより、そもそも自動車整備をやりたいとは思ってもいなかったのだろうと想像する。

 その後、仙台などで派遣社員として勤務後、その後同じく派遣で埼玉上尾の自動車工場(となるとUDトラックスだろう)へ勤務。その後青森の実家へ戻り、青森の運送会社へ正社員として勤務するも1年弱で退職する。

 その後、秋葉原事件の1年ほど前、やはり派遣で当時の関東自動車工業(裾野市:同社はトヨタ自動車東日本として合併し本社を宮城県黒川郡大衡村(おおひらむら)に移転、裾野の同地はトヨタの未来実験都市ウーブンシティを建設中)に勤務する。事件直前に関東自工より6月末で、派遣終了を打診されていたという。

 秋葉原事件の前日沼津市のレンタカー会社より2トントラックのレンタカーを予約し事件の日に秋葉原に向かう。同事件の挙行前、数十分付近を走行しつつ逡巡したが、とうとう犯行を実行するに至る。

 ここまで、知りつつ、中日本自短だとか関東自工、そして沼津市のレンタカー会社(犯行車はエルフというのでニッポンレンタカーか?)と、比較的私の見知る学校とか地で過ごしていたことを知り驚くと共に、歴史でしる過去の凶行事件として「津山30人殺し」(1938年5月21日)として有名な犯行者である都井睦雄(といむつお)のことを思い浮かべていた。もっとも、都井の場合は、犯行後に犯行にも使用した猟銃で自らの心臓を撃ち抜き自死しているのであるが。この時、都井は21才であった。

 ここまでの、加藤智弘の凶行を知っても、正直何故、ここまでの凶行に及んだのかその理由が判らない。本人は、スマホの掲示版に頻繁に書き込んでいたと云うし、知力とか能力が劣ることもなかった様だが、端的に記せば世に対する不満とか満たされない思いというのが常にあった様だ。時に彼女ができない理由として自らの顔を卑下することが再三あったと云うが、それ程の美男子という訳でもないが、一般的に見れば特に卑下するものがあったとは思えない。

 以上のことを知り思うのだが、この加藤智大だが、世に不満を持ち一大凶行事件を起こし、それで死刑になるのを覚悟というより望んでいたというところだろうが、最後の死まで自ら絶てないで依存したというところに、教養のなさがある様に思える。彼が、暇さえあればスマホに自らの思いを書き込んでいたと云うが、そういうことでは、教養な広く世の考え方とか偉人の思いを感じ取れることもなかったろうと思える。しかし、思うのだが、この事件を見ても、死刑という残虐な国家の刑罰が、何ら犯罪の抑制機能など持っていないことが判る。何しろ、この様に犯人は自ら不満を持ち、その解消のために自ら死ぬこともできなくて、死刑を望んで犯行を起こしたとすれば、死刑制度自体が、犯罪の抑止どころか、犯罪の起因にさえなっていると云うところだ。こういう輩は、無期懲役で、自ら犯した犯罪がどれだけ罪深いものだったかを、多くの本で気付かせてやり、本人の悔悟の念を悟らせる方が必用ではないのだろうか。その様な点では、津山30人殺しの都井の方が、圧倒的に格上だと思う次第なのだ。


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