私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

ダイハツにとっては思い出したくないクルマ

2016-11-19 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 1989年7月、ダイハツは新型小型車アプローズを販売開始した。今まで、トヨタの旧型車のインナーパネルなどの流用で、なるべくコスト低減を図りながら、なんとか軽専業メーカーから普通車メーカーへの格上げを目指していたダイハツの意欲的モデルだったのだろう。

 時は、バブル絶頂期であり、我が国の自動車産業はある意味、高次の絶頂期を迎えていた。同時代に発売開始されたクルマとしは、セルシオ、スカイラインR32GTR、NSXなど、国産車の諸性能が世界に互するまでに至ったことを示していた。そんな時代に、新規発売されたのが登録車となるアプローズだったのである。

 排気量は1600cc、一見4ドアセダンだが、後部トランクがリヤウインドを含め一体で開く「スーパーリッド」なる構造を持っていた。(ボデー剛性を低下させるだけで、あまり利便性に意味あるものとも思えないが)

 それまでのダイハツは「シャルマン」という呼び名で、提携先のトヨタの旧型カローラのプラットフォームや内板骨格を流用したクルマを作っていた。このアプローズは100%ダイハツの自社開発だと云う。(しかし一部内板骨格など、カローラなどのパーツの流用はあったのではないかと想像もしている。そうでなければ、幾ら外板パネル程の品質は要求されなくとも、その部品点数において百倍は超える個別内板パネルのすべてを、プレス金型を作り量産することは出来ぬからだ。)

 ところが、発売してほどない11月になり、ガソリンスタンドで給油しようとキャップを開けたらガソリンが噴き出したり、給油中に噴き出し引火して車両火災が生じたりという不具合が立て続けに起こり、欠陥車と扱われることになったのである。理由は、ガソリンタンクのエア抜き構造に問題があり生じたものであった。

 それから、約10年の間、モデルチェンジを行いながら生産は継続された訳だが、総販売台数は知れたもので、とても新車開発の投入コストを回収できるものではなかっただろう。たぶん、今でも居るダイハツ関係者には「思い出したくもないクルマ」だろうし、ダイハツ経営者にこのクルマのことを聞けば、嫌な顔をするに違いない。まあ、過去の日産も新開発して出す車のほとんどが、もくろみを外れて売れず、赤字の垂れ流しを続けた挙句の凋落だった訳だ。新車開発とは数百億の投資掛ける、結構リスクの高い商売なのである。(最近はリスクを最小限にするため共用でき得る部品は無理やりでも共用させるコスト最優先が第一義なのだ)



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