私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

専門家(プロ)の喪失

2023-01-04 | コラム
専門家(プロ)の喪失
 現代社会を概観すると、すべての業種で専門家(いわゆるプロと呼ばれうる者)が喪失していると感じている。
 こういうと、いやいやそんなことはない、どの分野にも専門家はいるのだと抗弁し、自らもそうだと主張する自称プロはいるのだろう。しかし、そんな者は、私から見るとただ金取るだけのプロで、プロでも専門家でもない。そもそも、専門家やプロは、それなりの矜持を持ち、自らの価値を見出せない仕事については、金を取ることを拒絶するだろう。それが、今のプロと称する者は、素人並みの仕事もしくは成果しか出せない場合であっても、まず金の請求だけはするだろう。

 では、そういう専門家とはどういう専門家なのだろうか。冒頭に述べた通りすべての業種で多かれ少なかれ観察できるのだが、非製造業としては裁判官、弁護士、検事、警察、大学教授、医師、あらゆる論評者、ジャーナリスト共だろう。製造業では、素材製造業、あらゆる製品製造業となろう。そもそも、車両など移動体製造業だと、車の基本要素として走る、曲がる、止まるの三要素は欠かせないのだが、現代の車両設計技術者はこれを知らないソフトウェア技術者が多過ぎると感じる。

 本来、車両など高額耐久商品かつその運用が人の生き死に大きく関与する様な製品開発においては、とことんハードウェアとしての資質を鍛え上げ、持って製品の耐久信頼性を確保しつつ、その運用利便性だとかアクティブもしくはパッシブセーフティのために、ソフトウェア制御を取り入れると云うのが本来だったが、どうも最近の車両を観察すると異なる様だ。

 つまり、最初にソフトウェアありきで、生産性とか素材原価コストが許せば、20年、30年前のハードでも問題なしとしている様にも感じられる。実際のところ、この20年くらいで、生産技術からコスト低減へのアプローチは見られたり、金型技術(プレス、ダイキャス、樹脂)の精度設計から、外形デザインの訴求がなされているのだが、外形について云えば、他社のヒット作のモノマネとか亜流、モチーフ取り入れという車両デザイナーの独自性などはほとんど感じない。だから、各車から販売される車両は、遠目で見ると、どこのメーカーなのか、判らないという相似形の車ばかりとなってしまう。

 また、製品には設計製造不良など、製品初期の故障が多くなることは、止むない理由としてあるのだが、そのリコール内容がソフトウェアの改善なのかゴマカシなのかにより済まされる事例は極端に増えているのだが、本質を見る目を持った者からは、これは本来ハードの問題で、ソフトを変更してリコールするのはゴマカシしに過ぎないという判断が出来る事例と云うのが結構ある。そうなるのは当然で、車両のソフトウェア設計者にとっては、走る曲がる止まるなどの自動車工学の基本要素など知らないまま、如何にこのハードを流用したままで、製品開発出来るかという視点でしか、考察していない様に感じられる。

 それと、新車開発とか何事かのプロダクトもしくは作戦には、指揮官たるトップリーダーとして、軍隊で云えば、佐官クラス、一般企業で云えば部長もしくは課長クラス、車両開発で云えば、主査とかCEなるプロジェクトリーダーが存するのだが、これのレベルが低い。昔なら、そこにはその職の矜持があり、自らに取って理想を追求する、他のメーカーで未だやってない新しい提案をするなどの行為が見られたものだが、現在の車両にその様な形跡は見られない。およそ無難な車両を開発し、部品共有とかコスト低減で認められ、その上への上昇するためのステップしか考えていない様にすら想像できる。

語源からみるプロフェッショナルとは?
2019-07-19 | コラム
https://blog.goo.ne.jp/wiseman410/e/24ffdf5b4b5ed733193308b87a384e3c


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