今回のイベントについて,taniyanより先に記事をUPするのは僭越の極みなのだけれど,個人的な切り口で個人的なお話だけをUPします。
今の自分がいるのは「こっち側」。
taniyan,トッチ,ノブさん,そしてサポートして下さった皆さんがいるのが「そっち側」。
50歳を過ぎて格闘技から引退した時も,バイクを降りた時も,もう身体がもたないという自覚があったから,引退したことそれ自体に悔いはありませんでした。つまり納得して「そっち側」から「こっち側」へと来たわけです。
それに比べて最近の俺は何なんだ?という情けない懐疑が自分に対してあります。
「音楽やりたいなら練習すればいいじゃん。好きならば練習するのが当たり前。」
音楽に限らずいろんな面で,その「当たり前」ができなくなってきている自分をですね,客観視した上で再度走り出すためには,「そっち側」にいる人たちの放つオーラみたいなものを「こっち側」にいて感じる必要がある,と思った。だから会場には行かずに後で話を聞こう,ブログを見よう。
当日朝まで行かないつもりでいたから,唐突に「やっぱ行く」と言った俺を止めようとした女房の判断に,だから誤りはないのです。
そして。
会場で,自分が弾かない,弾けないギターを,強風で飛ばされないように抱えつつ,無意識裡に「来年弾く曲」を考えている自分を発見しました。
これは新鮮な驚きでした。ほんの少しなのかもしれないけれど,まだ残ってる力があるんだな。
わがままな自分の行動に,1曲分枠を設けてくれたtaniyanの,メンバーの,そして聴いて下さったみなさんの優しさは沁みたぞ。(Take)
別件ですが,hiroponをカタカナと書くと,戦後混乱期に流行した薬みたいで非常に怪しい。
閑話休題
俺の結婚式でギター弾いてくれたのはhiropon君だったじゃん。司会もakkiiと2人で快く引き受けてくれたし。
そういうことのあれこれが,ず~っと今まで続いてるんだね,きっと。
こっち側にいるTake、それもいいじゃん(^^)そっち側にいてもこっち側にいても、TakeはTakeだから♪
うん,いいね。「どっちでもいいじゃん」。
この記事をUPすることにはためらいがあったのだけれど,「どっちでもいい」という立ち位置を示してもらえたことに感謝感謝だな。
taniyanにはまた一つ借りができちゃったね。
ただ、今回に関してはtakeに新しい発見があり、「来年弾く曲」を考えてくれて、次回の参加に前向きにってくれたのなら来てもらった甲斐があったというものです。
もうこの年になると単純にイヤなものはイヤ。
楽しい事を求めて生きたいと思う。
(実際なかなかそうはいかないけどね。)