ミャンマー語にも日本語と同じように他動詞と自動詞の区別がある。
しかし、日本語のように多くはなく、使い方、使う場面も違っている。
面白いと思うのは、「(ドアを)開ける」「(ドアが)開く」という他動詞、自動詞の区別は日本語、ミャンマー語共にあるが、「ドアを)閉める」「ドアが)閉まる」という区別がミャンマー語にはない。
中級の授業中、「(不注意によって)財布を落とす」という絵カードを見せているとき、生徒たちはいつもいぶかしげな表情をする。
前から気になっていたので、授業の後、生徒たちに聞いてみると、
先生、それは「財布が落ちる」というのが正解ではありませんか?という。
なるほど。
ミャンマー語の表現では、「自分の不注意によって財布を落とす」という表現はないのだ。
「財布を落とす」と他動詞的に言うと、「故意に財布を落とす」という意味になってしまう。
他にも、「壊す」「割る」「なくす」などにも同じことが言える。
日本語では相手から借りた傘を、自分の不注意によってなくした場合、
「すみません、借りた傘をなくしてしまいました。」と他動詞を使って謝る。
もし、自動詞的に、
「借りた傘がなくなってしまいました。」というと、自分には責任、非がないというニュアンスにあり、貸した人は気を悪くするだろう。
逆に、ミャンマー語で他動詞的に表現すると、それは故意によって壊した、割った、なくしたということになってしまい、相手を怒らせてしまう。
日本語教師は現地語の発想と日本語の発想が違うということをいつも念頭に置いて授業をしないと、思ってもいない誤解が生じてしまう。
なかなか言葉というものは奥が深いものだ。
しかし、日本語のように多くはなく、使い方、使う場面も違っている。
面白いと思うのは、「(ドアを)開ける」「(ドアが)開く」という他動詞、自動詞の区別は日本語、ミャンマー語共にあるが、「ドアを)閉める」「ドアが)閉まる」という区別がミャンマー語にはない。
中級の授業中、「(不注意によって)財布を落とす」という絵カードを見せているとき、生徒たちはいつもいぶかしげな表情をする。
前から気になっていたので、授業の後、生徒たちに聞いてみると、
先生、それは「財布が落ちる」というのが正解ではありませんか?という。
なるほど。
ミャンマー語の表現では、「自分の不注意によって財布を落とす」という表現はないのだ。
「財布を落とす」と他動詞的に言うと、「故意に財布を落とす」という意味になってしまう。
他にも、「壊す」「割る」「なくす」などにも同じことが言える。
日本語では相手から借りた傘を、自分の不注意によってなくした場合、
「すみません、借りた傘をなくしてしまいました。」と他動詞を使って謝る。
もし、自動詞的に、
「借りた傘がなくなってしまいました。」というと、自分には責任、非がないというニュアンスにあり、貸した人は気を悪くするだろう。
逆に、ミャンマー語で他動詞的に表現すると、それは故意によって壊した、割った、なくしたということになってしまい、相手を怒らせてしまう。
日本語教師は現地語の発想と日本語の発想が違うということをいつも念頭に置いて授業をしないと、思ってもいない誤解が生じてしまう。
なかなか言葉というものは奥が深いものだ。