先月上旬の皇居東御苑(江戸城跡)散策で、すっかり城門と石垣に関心が高まってしまい、
先日再訪してきました。
前回行かなかった場所やくぐらなかった門とか、いろいろ未練があったので・・^^;
さてまず城門ですが、江戸城の門は枡形門という形式の門が使われていたそうです。
橋を渡るとまず間口の狭い、一の門・高麗門(こうらいもん)があり、
枡形のちょっとした広場に出るようになっています。
このまま真っ直ぐは進めません。
広場を右に曲がって、二の門・渡櫓門(わたりやぐらもん)をくぐります。
たとえば、大手門。
橋の先にあるのが間口の狭い「高麗門」
脇に高麗門と表示がありました
高麗門内側
扉が重厚です
そして高麗門をくぐると、枡形の広場
枡形の広場を作った目的は、敵が攻めて来た時に勢いを止めるためだったようです。
枡形の広場を右折して渡櫓門(わたりやぐらもん)
大きく頑強な造り。 石垣と の間を渡すように、門の上に櫓が建てられたもの。
この櫓(2階?)から、侵入した敵を弓や鉄砲で 一網打尽に出来るという仕組み。
本来は、お濠にかかる狭い木の橋・高麗門・渡櫓門の3つでひとつのシステムだったようです。
・木の橋は一度に大人数が渡れない&攻めてきたら落とせるようになっている
・高麗門は狭すぎて大勢が通れない
・渡櫓門では上の櫓から弓や鉄砲が打てる
けれどこのシステムは、一度も使われることはなかったらしいです。
なぜなら1868年に徳川慶喜が無血開城を実行するまで、江戸城は外敵の襲撃を全く受けなかったから。
ところで枡形門の場合は、通常は外側の高麗門を一の門、内側の渡櫓門を二の門と
呼ぶことが多いですが、名古屋城の場合は逆だそう。
これは名古屋城では入城よりも出陣を基本に考えたからということです。
なるほど~
ところでこちらは大手門の渡櫓門内側の脇。苔むした石段がありました。
渡櫓へ登るための石段と思われます。これも遺構のひとつですね~^^
長くなるので、ほかの城門のことは次回に書きますね。
後日の城門記事☆
江戸城跡☆城門めぐり~北桔橋門・乾門~
江戸城跡☆城門めぐり~平川門~
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