昨年の街歩き記録に戻ります。
2019年9月。
同じフォルダに桃のサンドウィッチの画像があるので、それを食べに行った帰りだと思われます^^;
昔、本郷の元実家にはお風呂かなくて、
いつも行く菊水湯が休みの金曜日だけ、白山通りにあった「日成湯」という銭湯に通っていました。
※今はありません。
その時、よく前を通った清和公園。
7年前の記事「本郷散歩~緑たっぷり~」にも書きましたが、
樋口一葉旧居跡の近くで、一葉も妹と虫の声を聞きにここをよく訪れていたようで、日記にそのことが書かれているそうです。
台地の斜面に沿って作られているため、二段になっています。
昭和初期、この公園の真ん前に建てられた「清和寮」(平成7年取り壊し・現在は本郷四丁目アパート2)という独身寮があったため、清和公園と名付けられたということです。
「清和寮」があった頃、本郷に住んでいましたが学生だったし覚えてない・・
ここらへんはかつて右京山と呼ばれていました。(今でも通称として呼ぶ)
江戸時代に高崎藩主・松平右京亮(うきょうのすけ)の中屋敷があったからだそう。
明治維新後は放置され原っぱになりましたが、大正から昭和16年くらいまでは軍の本郷連隊司令部があったらしいです。
その右京山に、大正時代に開発された旧東京市真砂町住宅がありました。
東京市が関東大震災後の大正12〜14年にこの地の右京山を開発して46棟75戸の住宅を建設したものだとのこと。
画像2軒のギャンブレル屋根の住宅は、第2期の大正12年7月の完成。
このような洋風の一戸建て住宅は、道路を挟んで東側に3戸、西側に5戸が建てられたそうです。
現存するのは、そのうちの2戸のみ。
とても状態がよく、知らなければ大正時代に建てられたとは思いもよりません。
大事にお住まいのようです。それにしてもオシャレな玄関。
白のストライプでオレンジの妻面がかわいい。
もう1軒は少し下った向かい側に。
赤いギャンブレル屋根が素敵な住宅。妻面のハーフティンバー風が異国の意匠っぽい。
持ち送りが大小あってかわいい。
玄関の屋根は、はかま腰屋根というそうです。
塀にある木戸もいいですね~
丘の上にも第3期(大正14年)の素敵な住宅がありましたが、いつのまにかなくなっていました。
1枚だけ撮影し、どこかに画像があるはすですが見付かりません><
ちなみに、このような腰折れ屋根はマンサード屋根とかギャンブレル屋根とか言われますが厳密には
マンサード屋根→勾配が寄棟屋根のように四方向に伸びている腰折れ屋根。
ギャンブレル屋根→勾配が外側に向かって二段階になっている腰折れ屋根。
屋根的に、マンサードが寄棟構造でギャンブレルが切妻構造、と思えばよいようです。
マンサード屋根
ギャンブレル屋根
※画像はコチラからお借りしました。勉強になります!
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