野生生物を調査研究する会活動記録

特定非営利活動法人 野生生物を調査研究する会の会員による活動記録です。

スプリング・エフェメラル セツブンソウ

2023-02-09 | 兵庫の自然

セツブンソウ

節分のころに花が咲くのでこの名前があります。キンポウゲ科に属する多年草で日本の固有種です。

その昔、春先関東から西の各地で、一帯を白く彩ったと言われています。近年、自生地が減少し、長野県千曲市を北限として埼玉県小鹿野町や兵庫県丹波市青垣町、広島県庄原市総領町など数えるほどになりました。

「関東地方以西の石灰岩地域」で見られるとセツブンソウをネットで調べると結構出てきます。

気になるのが「石灰岩地域」で見られるところが強調されている点。

ネタもとがおそらく石灰質の土壌で...と書いてあって、それが広がったのしょう。

自生地をみると必ずしも石灰岩地域ではないところも、今回見に行った丹波市もそうです。

牧野の植物図鑑には石灰岩は少しも出てきません。保育社の図鑑も書いてありません。岡山県や滋賀県など石灰岩地帯で見られるところもありますが、牧野が図鑑をつくっていたころは各地で見られたはずです。石灰岩地帯がことさら強調されるところが気になり、「山地の木かげに生える」ところをいったほうがいいと思いますが・・・。

 5枚の花びら(花弁)のように見えるのはがく(がく片)です。花の中を見ると、黄色く先がY字状に 2裂しているものがあります。10 個程みえますが、先は蜜腺となっています。もとは『花弁』で蜜腺にかわったのです。雄しべは多数、葯は青色、雌しべは数本あって,ややくすんだ桃色をしています。蜜腺が,Y 字型をした筒状の器官としてみられます。

冬の終わりから早春のころに、咲き、4月下旬~5月上旬に種子をつけて,地上部がなくなり,種子は蟻が巣に運びます。そのあとのことは、じつはよくわかっていません。種から4年で花を咲かせると言われていますが、種から球根がどうやってでき、花を咲かせるのかなど。

 地理分布も不思議な分布をしています。「北方系」でもなく、「日本海要素」でもなく、西日本型の分布を示す朝鮮半島由来の「満鮮(まんせん)要素」がありますが、九州や四国にないのが気になります。

セツブンソウ属は世界に 9種の小さい属で,ヨーロッパから東アジアにかけて点々と分布します。白花の種と黄花の種があり、白花の種はシベリア南部と,朝鮮半島から沿海州にかけて、あと中国四川省にも少しだけ,分布しています。白い花のセツブンソウは日本にどのようにやってきたのか不思議な植物です。


アマゾン自然学校のテキスト(3)アマゾンの樹木

2023-02-09 | 市民講座

(3)イッペ(イペー)【キバナイペー】)

ブラジルの国花として愛されるイペー。サクラのように花が咲き終ってから葉が出てきます。花色は、主に黄色やピンク、紫色などで、桜の木のように満開時はとても華やかです。原産地はブラジル、アルゼンチンなどの南米地域で花色から黄色系イペーと紅紫色系イペーの大きく二つに分けられます。黄色系は一季咲きで、紅紫色系は二季咲きです。(画像は二季咲き)

日本では沖縄県、鹿児島県、熊本県や福岡県、山口県などで、街路樹や公園、道の駅などに植栽されています。ブラジルからの労働者が多く居住する茨城県や、千葉県、神奈川県、静岡県などでもみられます。

画像はピンクのイペー

アマゾン自然学校でのテキストを見てみよう。

ノウゼンカズラ科タベブイア属に含まれる顕花植物の木であるが、ブラジルに広く分布し、種類も多い。地方によってはパウ・ダルコと呼び、パラ州でもそう呼ばれている。花の色は鮮やかな黄色とピンクが多いが、まれに白い花の種類もある。南ブラジルでも背が高くなる種類はあるが、一般的に低い位置から枝が別れ、6mから10m前後のこんもりした樹冠をつくる。そして、開花時期の美しさは特別なものがあり、景観のアップのために公園や街路に植えられている。パラー州の原始林でみられるイッペ・アマレーロの多くは、学名がTabebuia serrtifolia であり、他の木と競争して伸びることもあり、30m前後の大木となる。開花時期は10月から12月まで。しかし、あらゆるイッペの種類に共通することは、その木質の優秀性にある。枝はむかしインディオが弓に使ったが、堅固で重たく耐久性があるため、小型用材からはさまざまな道具の柄や楽器の一部などがつくられ、中大型用材はドアや天井板、柱などの住宅建築から架橋や船のキールなどの重建築に至る用途のため一級品として重宝される。

幹の甘皮は癌の治療薬として用いられる。


アマゾンでの活動紹介

2023-02-08 | 市民講座

アマゾンツリーを紹介しているのはほかでもない。ブラジルにおいて20年近く活動を行っている。

JICAがおこなったプロジェクト(https://www.jica.go.jp/oda/project/0603456/index.html)で野生生物を調査研究する会のプロジェクトの成果の一つブラジルにおける小農家支援の事業があるが、この小農家にJICAのプロジェクトチームが視察をおこなったとこがこのプロジェクト通信にのっている。

アグロフォレストリーをとおして住民による持続的森林経営の部分が当会が行っているプロジェクトの一つである。

 

アマパ州氾濫原における森林資源の持続的利用計画プロジェクト(2005年11月〜2009年5月)

 

すでに終わっているが、プロジェクトの内容は「アマゾン河の下流部に位置するブラジルのアマパ州の氾濫原地域の住民は、生計の大部分を木材の伐採に依存していますが、木材加工や家具製造技術が低いため、国内の他地域と比較して競争力が低く、生計のために無計画な伐採を行う悪循環につながっていました。この協力では、州政府において森林資源の持続的利用を担当する組織体制の整備や、アグロフォレストリーなど住民による持続的森林経営の実践などを支援しました。これにより、対象地域の森林資源が持続的に活用され、住民の生計の改善に寄与しました。」

(第 14 号 2008 年 11 月 15 日)アグロフォレストリーシステム(SAF)先進地視察研修のところが当会の活動が紹介されています。

「コミュニティー協会活動の見学

10 月 22 日、アノエラ地区のクアルト・リジョン集落を訪問。ちょうどこの日、共同育苗床のムチロン(共同作業)による袋の土詰め作業が 17 人の協会員ほぼ全員の参加で行われていました。協会は、毎週水曜日をムチロンの日と決め、その中で月に一回は日本の NGO「野生生物を調査研究する会」(WRS)からの支援を受け、共同 SAF 畑の手入れや周囲の環境整備を行っています。

育苗床は1万本以上が収容できるくらいの大きさで、よく手入れ整備されており、既に半分くらいの面積にはカカオやアサイーの苗が育っていました。会員は、ムチロンに家族の誰かを参加させるか、欠席する場合は日当一人分を支払うことになっています。協会員の各々が弁当持参で作業に参加しており、仕事に対する熱心さ、会員の結束の強さが伺われました。

次に、アグア・アズール地区にある住民小農協会を訪問。この協会は 1987 年に設立され、実質的に協力する協会員数は60名から 70名程とのこと。主に共同出荷を目的として結束し、生産物を自由市場で販売したり、CAMTAへの登録出荷をしたりするためのトラック運送業務を協会の主な活動とその収入源としています。上記の協会同様、WRS から支援を受け、一部の会員(9名)が「SALADINHA プロジェクト」という共同 SAF 畑を造成しながら将来の協会収入に備えています。毎月最終日曜日を役員と一般会員の集会日としていますが、会長のアントニオ・パウロ・カルバーリョ氏は「協会が持続していくためには、役員の責任感と正直さ、そして会員の強い結束が大事である」と述べていました。

ウビン地区にある小農住民協会は、ドイツ系女性のマルリーゼ・ガウ氏を会長とし、協会員数は7名ほど。それでもEMBRAPA、EMATER、CAMTA などの技術支援やブラジル銀行からの融資を受け、2ha 程の共同農場を会員の共同作業で造成。この農場は、会員各自の作物植え付けのための種苗採取、技術訓練、協会の収入源確保を目的として営まれています。作物は4種類で、ピメンタの間にアサイーとクプアスー、カカオなどが植えられ、よく手入れされていました。共同農場が上手くいっている要因は、会長のリーダーシップによるようです。」

クアルト・リジョン、アグア・アズールのみなさんコロナにまけずがんばっているそうです。


アマゾン自然学校のテキスト(2)

2023-02-08 | 市民講座

アマゾンの自然の一つの特徴は植物の多様性があげられる。

近年の乱開発や乱伐はトメアスーも例外でなく、外見は原生林のように見えても、有用なものが切り出された後の森であったりして、貴重な樹木資源が失われつつある。

アマゾンの森の樹木にはどのようなものがあり、人にどのように利用されるか、ここでは代表的なものだけ紹介する。その2回目、

2.アンジローバ
(1)木材
センダン科の樹木で日当たりを好み、まっすぐに伸び2~30mの高さになる。同じセンダン科のモギノ、セドロなどと同じ材質で、建築や家具に用いると芯喰虫やシロアリがつかない。また、センダン科の特徴として枝ができないため抜け節ができない。加工は楽であり、広い用途があるが、満月に伐採すると防虫力が低下するといわれる。
(2)果実
植付の後10年ほど経つと、球果がなりはじめるが、8~9月と1~2月の年2 回花が咲き、6~7月と2~3月ころに実が熟し、殻から14~5個の種を落とす。
この種には70%もの油を含んでおり、水に蓄えるか、または釜でにたものを取り出して、大箱または室内の土間(セメント張りでもよい)に山盛りして覆いを掛け、15~20日放置しておくと、種が発酵して柔らかくなる。これを取りだし床に並べて毎日一回は粘るようにして揉(も)みつづけると3~4日で油が分離して流れだ始める。この油を容器にいれて沈殿分離するが、上澄み油は打ち身や切り傷にペニシリン以上の効き目がある。沈殿した方の油粕は、乾燥させて燻(いぶす)すと、蚊やマルインなどの虫除けとしの効果が大きい。
この油の用途についてはまだ未知なる部分がおおく、今後の課題を残している。

Andiroba は伝統的に、アマゾンに住む先住民族が肌に塗る染料を作るために使用されてる。ブラジルでは石鹸にも使われてたそうです。その成分の中には、ハエ、蚊、その他の寄生虫を寄せ付けない効果もある。

肌に優しい「アマゾン オイル」は、美容および健康製品の成分としても人気が高まっており、日本でも販売されている。

 

 

 
 
 
 
 

アマゾン自然学校のテキスト(アマゾンの樹木)

2023-02-07 | 市民講座

アマゾンの樹木
本来、人と木の間には、切っても切れない関係がある。まず、建築や道具の製作に関し
て、木は人類に大きく貢献している。木堂住宅はもちろんのこと、レンガやコンクリート
建築物でも、仕上げや内装の各部分に木材が使われることが多いし、生活で用いている家
具はほとんど木材でできている。また、橋や船の建築材にも木材が使われることが多い。
ただし、同じ木といっても、その材質にはそれぞれ特徴があるため、各用途に応じて適切
な木材が選ばれる。
次に木は?果や核果などの実を結んで人に滋養を与えてくれる。また、中には果実のみ
ならず、幹や樹皮から油や薬の成分がとれるものもがある。しかし、もともと樹木は虫や
バクテリア、黴(かび)などの害から自らを守るための成分を樹液や油の形で体に含んで
いるものだが、これらの成分を人が利用する場合は、毒や薬になったり、木材に耐久性を
与えたりする。
さらに、木は人に安らぎや癒しを与えてくれる。木々には人目をひく綺麗な花をさかせ
たり、心地好い香りを漂わせるものがある、そういった木が一本でもあると、辺りの景観
を引立たせたり、群生している場所にたたずんでいると気分が高揚したりする。花をさか
せなくても、木々の緑は人に安らぎを与え、森に入れば、森林浴ではないが、体の隅々ま
で洗われるような清々しい気持ちにあるものである。
アマゾンの自然の一つの特徴は植物の多様性があげられ、本来樹木だけでも実に様々な
種類が存在したものだが、近年の乱開発や乱伐はトメアスーも例外でなく、牧場のために
皆伐採されたところはもちろんのこと、外見は原生林のように見えても、有用なものが切
り出された後の森であったりして、貴重な樹木資源が失われつつある。
しかし、豊富な資源を含む自然の森を保護したり再生に取り組む一部の動きもあること
も確かである。トメアスーでは、アグロフォレストリーの取り組みもその一例である。
アグロフォレストリーは、短期作物から始め、次に中期作物から永年作物へと時系列的
に収穫を行っていきながら、樹木作物を育て、最後に用材として利用する農業システムで
あるが、この畑とて全くの自然生態を比べると、人工的なものであるから、地域に残され
た原生林や再生林は極力そのまま残したいところである。
アマゾンの森の樹木にはどのようなものがあり、人にどのように利用されるか、ここで
は代表的なものだけではあるが、あげてみることにする。


1.アカスタニア・ド・パラ
(1)その不思議な種
 実はブラジルナッツとして有名。

ナッツとして食するこの木の種は、土の中に埋めておいてもなかなか芽を出さず、そ
のうちに蟻やネズミに食べられてしまうため、苗を作るのは容易なことではない。
表面がガサガサした種皮に覆われた一粒のナッツの重さは15g、長さ5cm ほどの大
きさがあり、直径15cm ほどの厚くて堅い球状の殻の中に、このナッツが20粒ほど詰
まって、重さ1kg前後の一個の果実となっている。
この重くて堅い実は、とくに夕方から夜中にかけて落下する性質を持つが、原生林の中
では30~40mの高さから落ちてくるので、木の下にいると危ない。しかし、面白いこ
とに、途中で枝に当たったりしないかぎり、果実は回転することなく落下し、穴のある果
実の先の方を下に、穴はないが柔らかい生り口を上にした姿で、実の三分の一から半分く
らいの部分が土に埋まってしまう。こうなると、穴から水は入らないが、湿気が十分に保
たれる形となり、次第に生り口の部分が腐れて穴があくころになると、芽が5~10本束
になって出てくるが、そのうち外果皮も腐れて小苗となる。そこからが不思議な事だが、
我々が食用とするナッツが次第に肥り始め、木質化しながら幹と根の分かれ目となってい
くのだ。つまり、大木になってもひとまわり太い根元の部分はあくまで一粒のナッツが肥
大してできたものというわけである。
(2)果実の利用
果皮の外側の皮はすぐに腐ってしまうが、堅固な内果皮、つまり殻は細工すると様々な
器に仕上がる。炭にすると普通の焼き方でも白炭のような活性炭ができる。
ナッツは生のままでも食べることができるが、さらに、調理、加工の仕方で、さまざま
な形の食べ物となる。また、実の中心にあるヘソの部分は、乾燥した後、容器にいれ水を
加えて夜露に晒して飲むと肝炎の薬となる。
(3)材木としての利用
 用材としての品質は中程度であるが、木質が美しく、成長も速いため、森林農業の最
終目標作物の一つとして考えることができる。
(4)人に安らぎを与えてくれるパラグリの木
 まっすぐ伸びたパラグリの幹は30~40mの高さに達し、原始林の中にあって一番
上に樹冠を広げる。開花時期になると、直径20~30mにもなる樹冠全体が黄色い花園
と化し、パラグリが集まった辺りは、空から眺めると、まるで楽園をみるごとくなる。一
本を眺めても、なぜかしら犯しがたい自然の趣と神秘をひとに感じさせる不思議な力を持
つでではある。


フキノトウ 春を告げる植物

2023-02-06 | 兵庫の自然

今年は1月20日から二十四節気の「大寒」。二十四節気をさらに3つに分けた七十二侯。七十二候では「欵冬華(ふきのはなさく)」。欵冬(かんとう)は蕗(ふき)のこと。蕗の薹(とう)が出始める季節です。情報を見るとありました。

春の訪れを告げるフキノトウ=神戸市西区押部谷町木見(2023/2/4 19:05神戸新聞NEXT)

小さな春 フキノトウがひょっこり「春っぽい」 2月4日は「立春」=兵庫・丹波篠山市(2023/2/4 10:41丹波新聞社)

小石を押しのけて顔を出したフキノトウ=猪名川町広根(2023/2/3 05:30神戸新聞NEXT)

「ふきのとうの日」というのもあります。「ふきの(2)とう(10)」の語呂合せ。

「フキノトウ」は「フキ」の葉柄部分です。葉が出るよりも先に花茎が伸び、これを「ふきのとう」(蕗の薹)と呼んでいます。「フキ」は日本原産の野菜のひとつで、葉の柄も「きゃらぶき」などの料理として食用にされます。フキはフキノトウ、茎、葉の全てが活用できる植物で、平安時代には栽培が始まっていたといいます。

 

フキの名の由来については色々あります。

気に入っているのが国語学者、金田一春彦氏の話(「ことばの博物館」より)

「「蕗の葉」はかつてはおしりを「拭きの葉」だった」という説。

事実、愛知県では「おしりふきの葉は、軽く乾燥したものを沢山トイレの籠に入れておき使った。葉は採りたてより、少し乾燥したものが破れず目的に適っていた。(石黒の昔の暮らし)http://www.simoyokote.sakura.ne.jp/」のを見つけました。

フキが生活で身近な植物だったので、語源も多いようです。

 

 その愛知県。フキの栽培がおこなわれており、現在流通している品種の約7割が「愛知早生(わせ)ふき」といいます。明治時代、愛知県知多半島のある庄屋さんが自家栽培に成功してから、瞬く間に周辺地域に広まり、現在フキの出荷量は、全国シェアの約40%を占めているそうです。これは雌株だけで雄株ができないとか。

 フキは雌雄異株。雄株の雄花茎は雌株の雌花茎より低く、花が普通、黄色を帯び、雌花茎の花は白色~帯紫色。頭花に花粉を出さないと思われる両性花だけのものや、小数の雌小花が混じるだけのもあります。


ニホンジカとヤマビル

2023-02-05 | 兵庫の自然

ヤマヒル

前回ニホンジカが増え、兵庫県での獣害について述べたが、このニホンジカといっしょにくっついて困った生物がいます。ヤマヒルです。ヤマビルは環形動物門(ミミズやゴカイなどの仲間)のヤマビル科に属す、日本産ヒル類のうち唯一の陸生吸血種である。体長1.5~8cm。3本の黒い縦筋があるのが特徴。シャクトリムシの様に歩き、意外に早く移動する。おしりと口の吸盤は強く、離れにくい。

丹波や但馬の山道をハイキングのときに、痛みもなく、血をすいとられたかたもいるかもしません。

兵庫県でおこなっている小学校の自然学校で児童が血をすわれ、大変だったと聞きました。

一度に吸われる血の量は多く、その後、血が止まりにくいのが。遭遇した児童には不安の原因かとおもいます。

足から体を登っていき、移動が早いので、首筋まで達することもあり、知らない人は上から落下してきたと思われています。パンツや服の隙間から入り込み、口の吸盤で張り付き、吸血するのです。

ヤマビルの活動

ヤマビルが活動するのは、5月~10月

晴天日: 夕方~朝までに活動; 雨天、多湿日: 一日中活動

 登山やハイキングの昔のガイドブックには注意する場所は鈴鹿や京都北部の林の中にヤマビルがいるので注意することがありました。昔のハイカーは喫煙者が多く、吸われたらタバコの火を押し付けるとか、その灰をクズ口にこすりつけると血が止まりやすいと教わったことがありましたが、いまはタバコを吸う人が少なくなり、忌避剤を紹介しています。

 ヤマビルもニホンジカの増加とともに遭遇する地域が増えています。

三重県では「鈴鹿では昭和30年代以前までは稜線から近江側に多かったが、それ以後は伊勢側にも増えました。霊仙、御池、藤原、青川谷あたりまでの石灰岩質(これも古成層質)までに多い。」と呼びかけています。

 近年、北は秋田、山形、南は宮崎、鹿児島の33都府県にまで拡大しています。最近では里山近くの住宅地周辺にまで吸血被害が及んでいます。

 ヤマビルの栄養源が動物の血液なので、ヤマビルの分布拡大は寄主動物(シカやイノシシ)の増加によるものと考えられている。

 DNA 判定による兵庫県におけるヤマビルの吸血動物種の同定結果があります。播磨および但馬地域で採取されたヤマビル 80 個体については、46%の個体からシカの血液が検出され、次いで、イノシシが 22%、人が 17%であったと報告されています(環境文化創造研究所 2005)。

この調査後もヤマビルが見られる範囲が増え、県森林動物研究センターが2019年に調査した県内のヤマビルの分布をみると都市部以外遭遇する可能性があるようです。


兵庫のニホンジカ

2023-02-05 | 兵庫の自然

福島大や奈良教育大などの研究チームが紀伊半島にすむ野生のニホンジカの遺伝子を調べた結果、奈良公園(奈良市)のシカが独自の遺伝子型を保っていることが分かった。2023/1/31)

奈良教育大のホームページから

「⚫ 奈良公園のシカは周辺地域と近縁ではあるものの独自の遺伝子型を持つ集団であること

⚫ 奈良周辺地域のシカ集団は1000年以上消滅状態だったこと

⚫ 奈良公園のシカが1000年以上生き残れたのは人間の保護によると考えられること」

という成果がアメリカ哺乳類学会( The American Society of Mammalogists )の学会誌『Journal of Mammalogy』に発表される。奈良公園のシカは“神のシカ”として大切に大切に守られてきたが、科学的にも特別なシカだということがわかったと奈良県では驚きをもって話題となっています。

 

兵庫県のシカと今回調べられたシカのDNAの違いはまだしらべられていない。

 いま、兵庫県のシカは困りもの。増えすぎたシカは私たちに身近な問題になっています。

「播州清水寺の境内に20種類約100鉢のアジサイが並べられ、青や紫、ピンク色などの花で彩っている。以前は群生するアジサイの名所だったが、近年はシカが開花前に新芽を食べてしまうとみられ、花が激減。」(神戸新聞NEXT2022/6/14)

「猪名川町北部の大野山頂にある大野アルプスランド。(中略)青色や紫色をしたアジサイの観賞を楽しめる。一昨年、シカに新芽を食い荒らされ、花は2割ほどに減ってしまった。」(神戸新聞NEXT2017年07月01日)

 三田市でおこなっている里山活動でも、作業地の周辺でもイノシシおよびシカの活動が活発にみられる。里地が耕作放棄地になっている場所もあり、里地里山保全活動のいったんとして里地もなにかうえようと耕作を数年前からはじめた。柵もあり、シカやイノシシが食べないであろうとバジルをうえたが、パジルはかじられることもなく、次の年は欲張って枝豆をうえたが、これはシカに全部食べられてしまった。

 今年は、寒くてエサがすくなったせいか、村の人が植えていた玉ねぎが全滅したそうです。

山口県では絶滅危惧のニホンジカだったのが、1950年代。今では増えすぎて同じような農業被害が。

今では多くの自治体で増加したニホンジカの個体数管理に取り組んでいます。


昆陽池のカワウ

2023-02-04 | 兵庫の自然

2023年 昆陽池で久しぶりに野鳥観察を行うので下見に

水がずいぶん減り、水鳥の数も少ない様子だ。

「日本列島」の場所のカワウは健在。

「全長81cm。留鳥。全身ほぼ黒色。足にはみずかきがあり、泳ぎ潜水することができます。魚類を中で捕らえ、水面まで運んで飲み込みます。カワウはかつて全国的に分布していた鳥ですが、昭和30年代から40年代にかけての減少。全国で2,000羽程度になり、絶滅を危惧された鳥。しかし、こんにちは数が増えすぎた結果、漁業被害などをおこす問題の鳥になっています。」

質問によく 

1.いつ頃から昆陽池にいるの

2.ずっと昆陽池にいるの

などの質問をうけることがあります。昆陽池でのカワウはよく調査されており、カワウ対策のデータの一つになっています。

当会でも、2001年に野鳥観察を昆陽池で行いました。ことし久しぶりに昆陽池での観察会を予定したので、事前に様子を見に行きました。

予想される質問を想定しながら、カワウについてのメモです。

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1983年には昆陽池には3羽確認。1996年に2巣から繁殖がはじまった。

2000年には巣の数が400以上となり、営巣地の樹木が枯れ始め真っ白に

2002年には擬卵をつかったカワウの繁殖抑制実験がおこなわれ、一定の効果がありました。

昆陽池のカワウの多くは、吐き出した魚(コノシロやボラ)から近海や河口付近の魚をたべて、昆陽池をねぐらにしていました。

2003年から始まった昆陽池の浚渫工事によって、カワウやサギなどが、昆陽池公園北側のふるさと小径で活動をはじめ、公園を利用する人たちににおいや糞の被害がおこりました。当時、糞の掃除は当然ですが傘の貸し出しなどもあったようです。いつ昆陽池にいってもカワウはいるとおもわれますが、けっこう昆陽池から移動していることも分かっています。

昆陽池でカワウの足につけられた標識から、 2011 年まで近畿地方以外で発見されることがなかったようですが、2012 年と 2013年に、広島県、岡山県、神奈川県、東京都から観察の情報が寄せられ、カワウの分散の範囲が広がりました。

カワウに対しては関西広域連合が、対策を行なっています。関西地域全体のカワウ被害を総合的かつ効率的に減らすことはもちろん、カワウを含む豊かな水辺生態系の回復を目指しています。

カワウ以外の野鳥も健在で、オオタカをはじめ多くの鳥にとってはオアシスになっている場所です。

 


クスノキ(2)

2023-02-03 | 兵庫の自然

クスノキから樟脳へ

クスノキの利用として樟脳として江戸時代から利用されていました。

江戸時代から樟脳は薬として鎮痛・消炎・鎮痒作用に使用さました。語源なったカンフルにも使われました。また、衣服などの防虫剤として使用されました。

 どのように樟脳はつくられたのでしょうか。

 クスノキの幹を細かくくだきます。水をいれた大きな鍋で煮ます。蒸発がはじまると水蒸気には樟脳と樟脳油が混ざって管を通っていきます。冷やされて樟脳と樟脳油にわけられます。

1000kgのクスノキから8kgの樟脳と4kgの樟脳油がとれたそうです。樟脳油の方は最初はすてていました。もったいないので、灯油の代替えとして利用も考えられたそうですが、においが問題で利用されませんでした。のちに、樟脳油からも樟脳を分離採取する方法が見つかり、捨て去るところがなくなりました。

ニトロセルロースと樟脳を合成することで世界最初の人工プラスチックであるセルロイドが生まれました。ニトロセルロースとは硝化綿ともよばれ、植物細胞の成分セルロースを硝酸硫酸で処理したもので、塗料や火薬の原料になります。

実はセルロイドは象牙の代替品として開発されました。象牙はそのころ大流行していたビリヤードの玉としてつかわれていましが、玉が不足して代替品が求められたのでした。

セルロイドの発明は実は1868年、明治元年のことです。セルロイドは日本にはべっこうやサンゴの代替品として輸入されました。当時大変高価なものでした。

1910年堺でセルロイド工場が操業をはじめました。大量にセルロイドが生産されることよって価格がさがり、ガラガラや人形などのおもちゃに使われ用途が広がっていきます。

セルロイド工業の発展に伴って天然樟脳が不足してきたとき、1920年代にドイツによって合成樟脳が作られました。化学合成で何でも作ることができるドイツというのが先進国ドイツのイメージです。石油まで作りだした国です。第二次世界大戦を戦ったのはその石油が飛行機や戦車を動かしました。

 合成樟脳ですが、松脂に塩酸を混ぜ合わせて作ることで、樟脳とおなじ効果が生まれました。その後、大量生産されるようになり、日本の天然樟脳との価格競争が始まりました。

ついに、1937(昭和12)年に日本政府は合成樟脳の製造研究をすすめるように樟脳生産会社に命じました。1939(昭和14)年に第2次世界大戦が始まり、ドイツの合成樟脳が手に入らなくなると予想され、世界各国で日本の天然樟脳への需要が高まりましたが、経済封鎖が強化されたため輸出はほぼ全面的に停止する状態となりました。

 そして、日本も太平洋戦争に突入することになります。

ご存じの通り戦局は次第に悪化し、日本の工場は空襲をうけほぼ壊滅状態になって終戦をむかえます。台湾や中国にあった工場も接収され、樟脳生産の復興は多難を極めるものになりました。

1947年にふたたび樟脳の輸出ができるようになりました。しかし、樟脳の6割がセルロイドに使われていたそうですが、アメリカはすでに合成樟脳から作り出していたことと、石油系プラスチックが登場したことよって需要が激減したのです。

しかし、樟脳を作り出した化学工業の技術は医薬品をはじめ塗料をはじめ可塑剤工業として様々な分野に発展して今日を迎えることになります。

 

調べてみて、観察会で樟脳のにおいやでと防虫剤してのことしか話すことがなかったのですが

すこし話すことがふえました。天然樟脳はほとんどお目にかかれない状況ですが、クスノキから樟脳への話でした。