猪名川下流の魚たち1(「生きている猪名川改訂版」より
猪名川の下流は都市部を流れる都市河川です。川幅も広くなり河川敷は運動公園などに利用されている部分もあります。水の流れも緩やかになり、瀬や淵があります。
5月といえば端午の節句。こどもの日です。江戸時代に庶民の間に広まった風習の一つに端午の節句に男の子の成長を祝って揚げれらる鯉のぼりがあります。『健やかな成長と立身出世を願う』という意味でこいのぼりを揚げるという、日本独自のものです。
こいのぼりの歌で「やねよりたかい こいのぼり/おおきいまごいは おとうさん/ちいさいひごいは こどもたち/・・・」と歌われるように、黒の鯉はお父さん、赤の鯉はお母さん、青の鯉は子どもと、鯉のぼりを家族と考えるようになったのは明治時代以降だそうです。
- 鯉のぼりの由来
武家政治のころ、男児の成長を祝って屋外に旗指し物や幟を立てたことが起源で、江戸中期に町人たちが家紋などの図柄の代わりに鯉の吹き流しを飾るようになったのが始まりです。当時は和紙でできていましたが、大正時代に本絹に、昭和 30 年代以降に化学繊維が使われるようになりました。
最近は少子化のせいでしょうか、写真のような大きなこいのぼりあげているのを見かけることも少なくなりました。
コイ(コイ科)
全長約50cm。口ひげが2対あります。流れのゆるやかな場所で、特に深いところを好みます。雑食性で、ユスリカ幼虫、イトミミズ、水草などを食べています。コイの原産国は中央アジアだといわれています。古くから世界各地に移植され、アリストテレスの記述の中にコイがでてくるそうです。日本には中国経由で入ってきました。それが日本各地の河川や湖沼に広まりました。元来、暖かい水を好むので、雪解け水が流れ込むような渓流や湖には生息することができません。
- コイは多種類?
元来は黒褐色のコイが原種なのですが、突然変異体を作りやすい性質を持っているため、古くから観賞用に品種改良が重ねられてきました。黒い色素のない「緋鯉]もその1つです。また、大正博覧会(大正3年)に越後の山古志村から出展された「錦鯉]が注目を集め、それ以降様々な品種が日本に広まりました。また、ヨーロッパでは鱗の数が1列、3列しかないコイが生まれ、「ドイツゴイ」という名でも日本に輸入されています
- コイの超能力?
<コイ>の滝登り
中国の黄河の上流に三門峡という滝があり、ほかのどんな魚も登ることができなかったのに、コイだけが登ることができ、そのコイは竜になることができた……]という「登竜門]伝説でコイの滝登りは有名です。立身出世のシンボルとして、数々の掛け軸にもコイの滝登りが描かれています。しかし実際は急流は苦手で、流れの緩やかな淀みに生息し体長が1mを越すものもおり、そのような大きな体ではとうてい滝登りはできません。
- コインまげ
「コイの放たれた人工池を清掃すると曲がったコインが見つかる」という話を聞いたことがあります。
コインそのものは、人が願掛けのつもりで投げ入れたのでしょうが、それを曲げたのはコイの仕業と考えられます。コイの咽頭の入り□に3列になった「咽頭歯」という丈夫な歯があり、その歯で貝などをつぶして食べることができます。おそらくその出でコインをかんだのでしょうが、用心深く餌釣りが難しいコイが、金属のコインに興味を示すのが不思議です。