クスノキから樟脳へ
クスノキの利用として樟脳として江戸時代から利用されていました。
江戸時代から樟脳は薬として鎮痛・消炎・鎮痒作用に使用さました。語源なったカンフルにも使われました。また、衣服などの防虫剤として使用されました。
どのように樟脳はつくられたのでしょうか。
クスノキの幹を細かくくだきます。水をいれた大きな鍋で煮ます。蒸発がはじまると水蒸気には樟脳と樟脳油が混ざって管を通っていきます。冷やされて樟脳と樟脳油にわけられます。
1000kgのクスノキから8kgの樟脳と4kgの樟脳油がとれたそうです。樟脳油の方は最初はすてていました。もったいないので、灯油の代替えとして利用も考えられたそうですが、においが問題で利用されませんでした。のちに、樟脳油からも樟脳を分離採取する方法が見つかり、捨て去るところがなくなりました。
ニトロセルロースと樟脳を合成することで世界最初の人工プラスチックであるセルロイドが生まれました。ニトロセルロースとは硝化綿ともよばれ、植物細胞の成分セルロースを硝酸硫酸で処理したもので、塗料や火薬の原料になります。
実はセルロイドは象牙の代替品として開発されました。象牙はそのころ大流行していたビリヤードの玉としてつかわれていましが、玉が不足して代替品が求められたのでした。
セルロイドの発明は実は1868年、明治元年のことです。セルロイドは日本にはべっこうやサンゴの代替品として輸入されました。当時大変高価なものでした。
1910年堺でセルロイド工場が操業をはじめました。大量にセルロイドが生産されることよって価格がさがり、ガラガラや人形などのおもちゃに使われ用途が広がっていきます。
セルロイド工業の発展に伴って天然樟脳が不足してきたとき、1920年代にドイツによって合成樟脳が作られました。化学合成で何でも作ることができるドイツというのが先進国ドイツのイメージです。石油まで作りだした国です。第二次世界大戦を戦ったのはその石油が飛行機や戦車を動かしました。
合成樟脳ですが、松脂に塩酸を混ぜ合わせて作ることで、樟脳とおなじ効果が生まれました。その後、大量生産されるようになり、日本の天然樟脳との価格競争が始まりました。
ついに、1937(昭和12)年に日本政府は合成樟脳の製造研究をすすめるように樟脳生産会社に命じました。1939(昭和14)年に第2次世界大戦が始まり、ドイツの合成樟脳が手に入らなくなると予想され、世界各国で日本の天然樟脳への需要が高まりましたが、経済封鎖が強化されたため輸出はほぼ全面的に停止する状態となりました。
そして、日本も太平洋戦争に突入することになります。
ご存じの通り戦局は次第に悪化し、日本の工場は空襲をうけほぼ壊滅状態になって終戦をむかえます。台湾や中国にあった工場も接収され、樟脳生産の復興は多難を極めるものになりました。
1947年にふたたび樟脳の輸出ができるようになりました。しかし、樟脳の6割がセルロイドに使われていたそうですが、アメリカはすでに合成樟脳から作り出していたことと、石油系プラスチックが登場したことよって需要が激減したのです。
しかし、樟脳を作り出した化学工業の技術は医薬品をはじめ塗料をはじめ可塑剤工業として様々な分野に発展して今日を迎えることになります。
調べてみて、観察会で樟脳のにおいやでと防虫剤してのことしか話すことがなかったのですが
すこし話すことがふえました。天然樟脳はほとんどお目にかかれない状況ですが、クスノキから樟脳への話でした。
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