野生生物を調査研究する会活動記録

特定非営利活動法人 野生生物を調査研究する会の会員による活動記録です。

クスノキと樟脳 食草も

2023-02-02 | 兵庫の自然

クスノキの話が続きます。

クスノキ クスノキを食草に

クスノキの葉をたべる幼虫アオスジアゲハ。アオスジアゲハはクスノキを食草としていますので、クスノキの分布が四国や九州地方なので南方系のチョウです。しかし、温暖化の影響か、国内では現在、秋田県・岩手県の南部まで分布を広げているようです。日本自然保護協会の報告では秋田県境に近い青森県の沿岸地域で本種が確認されたと報告があります。街なかに街路樹として植栽されるクスノキやタブノキがよくあるので、都市部でも普通にみられます。

クスノキですが、「樟脳はクスノキの枝葉を水蒸気蒸留すると大量に得られることから、昔は「防虫剤」として、またかゆみ止めや湿布薬などの医薬品とし広く使われていた。」と樟脳のことがふれられています。

樟脳についていまどのくらいわかっています?

ということで 

 樟脳の歴史について調べてみました。

薩摩藩では江戸時代初期から樟脳を作っていました。そのころ、ヨーロッパに「サツマカンフル」の名前で強心剤として輸出していたとか。

薩摩産の樟脳製造法は、 朝鮮出兵( 文禄慶長の役,1592 − 98)のとき日本にやってきた朝鮮陶工の鄭宗官によって伝えられたといわれています。その製造方法は、江戸時代はクスノキの木片を釜で煎じて蒸留し、釜のふたについた露から樟脳を取したとか。

寛永14年(1637年)から15年(1638年)ごろには長崎出島から輸出されていたようです。

日本山海名物図会に樟脳製法が載っていました。

朝鮮半島の前はどこで?

はい、中国で行われていました。9世紀には中国で作られていたらしく、マルコポーロも1290年に泉州(福建省)で樟脳を製造するクスノキに興味を持ったとの記述があります。

 マルコがクスノキに注目したのは、ヨーロッパにはカムホラとしてボルネオおよびパラス産の天然のものである「竜脳」と、日本産の人工品を「樟脳」と区別されて、チフスや解熱薬や消毒薬などいろいろな疾病に利用していたようです。日本の樟脳はヨーロッパのアムステルダムで精製(再製)され、薬の効果をあげる方法は門外秘密にされていました。

 日本でも精製して和竜脳として流通していました。

 明治になって樟脳は工業製品として発展していくのですが、これは次回

 

 

 

 

 

 

 


クスノキ(1)

2023-02-02 | 兵庫の自然

生きているシリーズ「生きている武庫川」「生きている猪名川」で兵庫県の木クスノキを紹介した

今回は、より詳しく紹介する。

兵庫の木 クスノキ

クスノキの葉や枝のにおは「樟脳(しょうのう)」の匂いといっても、若い人はわからなくなってしまいました。ナフタレン(ナフタリン)として防虫剤や防腐剤として使っていましたといってもやっぱりわからないでしょう。

観察会では実際に葉をもんでもらって嗅いでもらいます。スーってする清涼感のある香りがしますよといって嗅いでもらうとわかってもらえます。

 

名前の由来は、葉をちぎると樟脳のにおいから「臭し(くすし)木」とか「薬(くすり)の木」からきています。耐水性にも優れているため、古代から船材としても利用され、遺跡から丸木舟が出土しています。(船にはクスノキのほかにカヤ、クリ、ホオノキ、スギなどがつかわれいたようです。一番古い丸太舟は7500年前のムクノキでつくられたものがみつかっています。)

奈良時代に作られた法隆寺の仏像がクスノキで作られています。

 

分布は、日本、中国の揚子江より南(しかし、東南アジアにはない)、台湾および韓国の済州島にあります。 日本では、関東より西の太平洋側で、和歌山、高知、福岡、佐賀、宮崎、鹿児島などで見られます。

 

明治以降 クスノキは樟脳を取ることが目的で、里山に盛んに植えられましたが、戦後は成長の早いスギやヒノキに変わってしましました。里山ばかりではなく文部省といっしょになって学校の周りにも植えたと記録に残っています。

 

樟脳は何に使ったのかというと、カンフル剤という言葉を聞いたことがあるでしょう。このカンフルは樟脳のことで血行促進作用、消炎作用があり、盛んに日本で作られていました。防虫剤だけなく薬として利用されていたのです。1930年代、日本は世界の生産量の40%を生産していたそうです。現在ではカンフルは化学合成でつくられるので、クスノキから作るっているのは福岡県や宮崎県だけになりました。(販売のページがあるのでさがしてみてください)