思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

「野田知佑ハモニカライブ7」に行ってきた  

2006-06-11 21:30:13 | 他人の旅話
2006年6月10日夕方、東京都台東区・上野公園水上音楽堂の「野田知佑ハモニカライブ7」の第2部の光景。舞台中央に座っているのが、辰野勇(左)と野田知佑(右。ハモニカ演奏中)。日本の野遊び業界の重鎮であるこのふたりを、肩書きを付記せずに名前だけを記して何をやってきた人たちかを知っている人って、全国にどのくらいいるのだろう?


昨日10日、東京都台東区・上野公園の水上音楽堂で行なわれた「野田知佑ハモニカライブ7 それいけ、吉野川。」に行ってきた。今年で7回目の開催だが、僕は初参加。
元々は徳島県・吉野川を守る市民運動を応援する目的で、東京近郊の人にも吉野川のことを知ってもらおうと2000年からこの催しが始まったことは知っていたが、毎年休日出勤や旅でタイミングが合わず、断念していた。が、今年こそは、と強い気持ちで行った。

催しは、第1部が野田知佑(カヌーイスト)、姫野雅義(吉野川シンポジウム実行委員会・代表世話人)、村上稔(徳島市議会議員)の3者による最近の吉野川に関するトーク。
吉野川下流に約250年前に造られた、先人の知恵が活かされた石積みの「第十堰」を壊して、吉野川の河口に新たに可動堰を造るという旧建設省の計画があり、2000年にその建設の是非を問う住民投票で94%の住民が反対の意思表示をして(洪水は第十堰の維持だけで防げる)、事業計画は白紙撤回された。
が、それから6年後の先月に、国土交通省四国地方整備局から「吉野川水系河川整備計画」の今後の進め方が発表され、今年から再び具体的に検討されることになった。
流域住民の意見を聞く場は開くけれども、それを反映させる仕組み(流域委員会)がなく、第十堰のことを先送りして新たな策を検討するという、可動堰の建設計画がまだ生き残っていることを示唆しているとの報告があった。
しかも、市議の村上さんからも、2000年に特に盛り上がった市民活動が数年経って下火になるところを狙って再び可動堰の計画を持ち上げようという事業推進派の不穏? な雰囲気が最近の議会内にもある、という話があった。計画は白紙になった、というだけで、中止というか破棄されたわけではなく、今後も姫野さんを中心に市民活動は手を緩めることなく継続していかなければ事業計画、つまり税金の無駄遣いは食い止められんのか、と改めて認識した。

あと、野田さんが校長を務めていて雑誌『BE-PAL』などでもよく書いている、「川の学校 川ガキ養成講座」も継続していて、(現在国や自治体を動かしている)40~50代の自然オンチの“大人”なんかはもう相手にせずに、純真な子どもたちを川で遊ばせて、小さいうちから自然の良さや大切さや厳しさを体得させるほうが将来の自然の在り方を考えるうえで有益だ、という話も生で改めて聞いた。
人間なんかよりも大昔からある自然環境の維持よりも、既得権益の保持や利潤の追求に突っ走り、「川に入ってはいけません!」というような看板を川岸に立てて、川は危ない場所だと勝手に決めつけて子どもを川から遠ざけたりする愚行によって(事故が起こったときの責任を負いたくないからこうする)、自然の価値がわからない自然オンチが増殖するのは残念なことだ。
それを食い止めるために、毎年夏の吉野川での1週間のキャンプで“川の英才教育”を施して自然感覚の鋭い人材を育成する、という試みは今後も続けていってほしいと願う。自分のやりたいことも押し殺して勉強したり、仮想空間のゲームで高得点を出したりするよりも、現実世界で川で魚を素手で捕まえたり愛でたり、焚き火を食事が作れるくらいに自在に扱えたり、ナイフで木片や鉛筆を削れたりする人のほうが数段カッコイイと思うけどなあ(一応僕も上記の3点はできるし、というか、できないほうが地球に生きるうえでは真っ当な実体験が少ない不幸な人だな、と思っているクチ)。

あと、野田さんが若い頃に全国の川を巡ったなかで最も思い出のある川が吉野川で、当時の10~20m先の魚も見えるくらいに川の水がきれいな状態であり続ければ(上流にある早明浦ダムがなければ)、吉野川は間違いなく世界遺産なのに、としきりに悔しがっていたのが印象的だった。

そういう堅めの話のあとの第2部では、野田知佑のハモニカと辰野勇(モンベル社長)の横笛の演奏が繰り広げられた。
「五木の子守唄」のように日本の唄は哀しいものが多いから、やっているうちにだんだん暗い気分になってくる、と言っていたが(カナダ・ユーコン川の集落近くのキャンプ地で吹いていても、それを聴く地元の人からもそう感じられるとか)、それも日本の国民性が表れていて、聴くほうとしてはそんなに悪くはないと思う。
川旅や川で演奏した話を交えながらふたり合わせて10曲ほど演奏し、最後は「ふるさと」の演奏に合わせての200人ほどの聴衆の合唱で締めくくった。

会場では野田さんの著書や四国名産の食べ物や飲み物も販売されていた。最近人気で品薄状態が続く四万十川産の栗焼酎「ダバダ火振」も割引販売していたが、それでも僕には高価で手が出なかった。残念。
催しの終了後は野田さんのサイン会もあり、僕もその列に並んで久々に野田さんのサインをもらい、握手もしてもらい(ともに約10年ぶり2回目)、今後の旅に向けての活力を得た。
現在野田さんが住む徳島県の旧日和佐町(現美波町)も一度は行かなきゃならんよなあ、と2、3年前から考えていたので、久々に野田さんと対面してちょっとやる気が出てきた。四国は2002年2月に吉野川第十堰を見に行って以来ご無沙汰なので、近いうちにぜひ、と意を新たにした。
ちなみに、第十堰というのは先人が堰を10個造ったということではなく、吉野川下流でこの堰を造ったらたまたま「第十」という珍しい地名のところだったため、そこから名付けたということ。ここもぜひ再訪したいものだ。まだ見に行ったことがない方は一度は行ったほうがよいと思う。可動堰を新造するという計画がいかにバカげた机上の空論かということがよくわかるから。山梨県・笛吹川の「信玄堤」のように、先人の知恵の偉大さがわかる造りであるよ。

まあそんなこんなで、とても有意義な催しであった。入場料の1800円も最初は高いかと思ったが(1500円で入る方法もある)、これや物販の売り上げが吉野川を守る活動に役立てられるのであれば、決して高くはない。
来年以降も予定を調整してできるだけ行けるようにしよう。


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