思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

「24時間チャリティラン・ウォーク」に参加してみた

2008-03-03 21:00:06 | 徒歩

1日午後から2日午後にかけて、踏破距離100km超のウルトラマラソンを年に数回主催している「海宝ロードランニング」の春の恒例行事の、「24時間チャリティラン・ウォーク」に参加してみた。場所は東京都江東区の船の科学館。僕は小学生頃はボーイスカウト活動の一環として毎年行っていたくらいに(もちろん、台場が現在のようにまったく開発されていない、主な公共交通も竹芝桟橋からの船しかなかった頃から)慣れ親しんでいる場所なのよね。

ただ海宝ロードの場合は、地平線会議でも度々お世話になっているこの主宰者の海宝道義(かいほう・みちよし)さんが、その呼び方は「ウルトラマラソン」という競争意識の高い感じではなく周りの景色や人との触れ合いも楽しむ旅の要素を盛り込んで「遠足」と書いて「とおあし」と読ませるような柔らかい雰囲気の大会に仕上げている。
今回の催しもそれとチャリティの要素を掛け合わせて開催していることに僕は2年前から興味があった。昨年同時期はうっかり沖縄県に書店営業に行ってしまったので、ようやく今回が初参加となった。

この催しでは、「6時間個人の部」、「12時間個人の部」、「24時間個人の部」、「24時間リレーの部」の4種目があり、本来は今回初参加なので軽めの6時間からやるべきところを「24時間個人の部」に参加した。今後のフルマラソンやウルトラマラソンへの参加を見据えて、体重85kg超の肥満児である自分が現状でどのくらい進めるものなのか、走り・歩きによる体力的精神的な限界はどのあたりにあるのか、を確認したかったというか自分で人体実験したかったのだ。

全種目合わせて400名以上の参加者が登録され、まずは1日15時に12時間以外の3種目の参加者がスタート。天気は晴れで、まずは参加者はおおむね様子見という感じで軽めに船の科学館の周りの公園内に設定されている1周1.5kmの周回コースを周る。ただ一部では初っぱなから記録狙いでガツガツ行く人もいて、走り始めて1時間もしないうちに周回遅れにされる場面が多々発生したが、他人は他人、自分は自分、まだまだ先は長いもんね、と焦らずにゆっくり行く。

まず10km(6周と1km)の記録は(以下、自分の腕時計で計測したおおまかな時間)1時間13分0秒となり、これまでのマラソン大会に参加したときよりはまだ先のことを考えて抑えめに行ったため、遅くなった。でも先月は体調不良で練習がほとんどできず、結局は3日前に5km走っただけでこの本番を迎えてしまったわりには意外に好調で、自分でも驚く。
先月はほとんど走っていないけれども、標高1600m以上の登山を2回、標高50m未満の登山というか山歩(さんぽ)を2回こなしているのだが、それが良い練習になっているからなのかな?

僕の場合は走り始め、特に5kmくらいまでにまず左足首が必ず痛くなるのだが、でもそれを我慢してやりすごすとふつうに走れるようになり、10kmも走ればまあ慣れてくる。
その後も一応は歩くことなくゆるゆる進み、ハーフ(約21.1km、14周と100m)の距離に達すると記録は2時間29分50秒となった。辛うじて2時間30分を下回り、おお、意外にやるではないか、と自分のことなのに驚く。
近々ハーフマラソンにも出走しようと考えているのだが、ハーフは制限時間が大会によってまちまちでどの大会なら制限に引っかからずに走れるのかが悩みどころだったのだが、なんとか制限3時間ではなく2時間30分の大会も狙えるのかな、とめどが立ち、今後の大会参加への意欲は増した。

ハーフの距離まででなかなかの結果が出たので、日没も迎えているしここでやっとひと息ついていいかな、と歩きも入れるようになり、この時間から毎周回出くわすエイドにも興味が湧いてきた。海宝ロードの催しはエイドの飲食物の種類が豊富だという噂は聞いていたので、周回を重ねるごとに何が出るかな~、と常に気になる。まずは水分とバナナやクッキーのような軽めのものを腹が減ったら適宜いただく。

暗くなって風もやや強まって、周りの参加者は控え室に戻って防寒のための上着を着込んだりするなか、僕はとりあえずはフルマラソンの距離に到達するまでは上半身は長袖と半袖のシャツ2枚、下半身は下からブリーフ、ユニクロのタイツ、短パン、の順に重ね着して、いつも走っている格好でなんとか我慢しながら、ペースは序盤よりは幾分遅くなりながらもさらに周回を重ねる。
ちなみに、今回のためにPHSやデジカメの替え電池や(花粉症対策の)目薬などの小物を入れるためのミズノの走り用ウエストポーチも東京都・神保町のヴィクトリア本店で2日前に買っていて、その着け心地も良好であった。やはり専用の道具は良いね。

そういえば、参加者の出で立ちを見ると大半が下半身は走り用のタイツを穿いていて(短パンやジャージは少数派なのね)、近年はやはり走りの分野でもタイツマン・タイツウーマンが確実に増殖しているのだな、と走りながら改めて実感する。しかもみなさんCW-XやSKINSの高級なやつばかりで、僕の昨夏にワゴンセールで1000円で買って、走り以外にも最近は登山でもスノーボードでもどこに行くにもほとんど穿いているユニクロタイツという安物? で済ませているのが少々恥ずかしくなる。

そんな貧乏性からくる軽い劣等感を抱きながらも、でも今回はまずはフルマラソンの距離を目標にしていた。先月の東京マラソン2008を沿道で生で観ていても思ったが、42.195kmという距離は自分にとっては実際どんなもんなんだろう、というのを早く実感したかったので、その距離が見えてくる頃にはラストスパートではないが結構頑張った。で結局、約42.2km(28周と200m)の記録は5時間45分0秒となった。
これ、事前予想では6時間30分から7時間はかかるだろうとかなり下方に予想していたので、意外にまともに走れるではないか、東京マラソンの制限7時間なんて余裕で達成できるぞ、とまたもや驚く。

まあ今回の周回コースとハーフ・フルマラソンに多い一方通行のコースでは起伏や天候もかなり異なるだろうから、ずっと同じペースで行けるとは限らないが(でもこの周回コースも細かい上り下りが結構ある)、でもそれを込みで考えても思ったよりも進めるもんなんだなあ、と自分で自分を褒めたくなる。
記録的には、先の東京マラソンに出走した僕と似た体型の松村邦洋やカンニング竹山、それに僕よりも間違いなく細いし軽くて有利な日本テレビのアナウンサー数人にも勝っているし、とこの結果には上機嫌である。

だがそのとりあえずの目標を達成し、時間が22時をすぎて50km(33周と500m)を7時間37分30秒で通過した頃には脱力してほとんど走れなくなり、日付が2日に変わるともう眠くなってくる。その頃には寝ぼけながら歩き、ちょっとした段差や縁石に足先をガンッと数回ぶつけたり、時折木の枝が飛び出ているところに突っ込んでイテテ、と顔を痛めたりもして、へろへろの状態になってくる。
幸いにもそのくらいの時間になると控室で仮眠する人が増えてコースに出ている人はスタート時の3分の1以下になり、僕のその無様な姿を目撃する人も減って助かったけど。でもこれがもし公道での催しだったらこのふらつき具合はやばいよな。今後ウルトラマラソンに出走するときはそれが心配。

そこで、その頃から数周おきに屋外のエイド脇や暖かい控え室の外の廊下でごろんと鮪のように横になって1回あたり20分前後の仮眠をとることにした。控え室に置いた荷物のなかに念のため寝袋も用意しておいたが、一度それに入ると朝まで起き上がれなくなりそうなので、できるだけ眠らずに走り・歩き通したかった今回はそれは非常時のために封印して、ちょこっと休む程度に留めておいた。
結局、2日0~7時のあいだに5回に分けて寝て、睡眠時間は合計で1時間30分くらいとなった。ホントは完徹で行ければいいなあとも思ったが、基本的に寝るのが大好きな僕としてはそうもいかない。

そんな感じで騙し騙し進み、エイドでは炊き立てごはんを使ったおにぎり、おでん、にゅうめん、スープ類のような温かい食べ物や飲み物も出るたびにそつなくいただき、ほかにも菓子パンやグレープフルーツやかりんとうやなどの小物もだいたい2周おきに食べて、空腹と体温低下を防ぐためにもとにかく随時何か食べて(深夜だと飲むのも水ではなくお湯ばかり。コーヒーもあったが僕は行動中にそれを飲むのはやや苦手なのでそれは摂らなかった)、自分のペースで少しずつ距離を延ばしていった。

で、7時前にゆりかもめの線路越しにようやく日の出を迎えると、それまでの寒さからやっと解放される、太陽が昇るってありがたい、スバラシイ、ということに改めて身に沁みながら感謝しつつ、ゆるゆる歩く。この頃には太ももが痛くなってきてほとんど歩きになり、おおまかには3周歩いて2周走る、というペースになっていた。

太陽の位置が徐々に上がり、1日21時からスタートした12時間の参加者が2日9時に走り・歩き終えるのをうらやましく見ながら進む。再び晴れてだんだん暖かくなるとまた眠くなってくる。
ちなみに、周回というか記録の取り方は昨年までは1周するごとに輪ゴムをもらって腕に巻いて何周したかが目に見えてわかる方式だったそうだが、今年から参加者のゼッケンにICチップを付けて記録を計測していて進歩して(たぶん07年秋に出走した埼玉県・毛呂山鎌北湖マラソンでも採用していたATHLETE TAGと同じものだと思う)、スタートから3時間経過するごとに控室の入口に全員の記録がすぐに貼り出されていた。
記録を時折確認して、自分はどのくらい進んだか、周りの参加者はどのくらい進んでいるのか、と見比べたり一喜一憂したりするのも3時間ごとの楽しみにしながら、それを励みに進む。

そして、11時すぎになんとか100km(66周と1km)を突破し、記録は20時間21分30秒と散々な結果になってきたけれどもなんとか節目を迎えることができた(でもこんなヘタレ記録では制限時間14時間とか16時間とかのウルトラマラソンや遠足の参加は厳しいですな)。自分でも100kmを超えられるとは思わなかったので、泣くほどではないがでもこのくらい進めるのかー、と嬉しくなる。思わず年に1回出るかどうかのガッツポーズが出た。

ただ、周りを見るとこの頃になるとすでに150kmや200kmを超えている海宝ロードの催しの常連の方々もいて、そのハイペースぶりに脱帽する。100kmなんて記録はこの長距離の分野ではまだまだペーペー、中の下くらいのレベルなのである。走ってアメリカ横断を2回やっている海宝さんをはじめ、スパルタスロンやサハラマラソンなどの国外の比較的条件の厳しい大会もふつうに完走するくらいのランナーたちがごろごろ集まるくらいの催しだからなあ。

でも100km超えに気を良くした僕としてはさらに欲が出て、ここからならばゆっくりでも走り続ければなんとか120kmは超えられるのではないか、と思うようになってきて、いっちょそれを狙ってみるか、とさらにやる気が出てきた。そろそろエイドではアイスクリームが出るくらいに暖かくなってきたので、着込んでいた上着を脱ぎ、1日のスタート時と同じ格好に変身してからそれに挑む。

そうなると時間的にゴールが見えてきたこともあってかなぜか眠気は吹っ飛び、この頃になると太ももの痛みの騙し方にも慣れてきてタイミングを見計らっては再びいくらか走れるようになり、コース中にあるふたつのトイレへ用を足しに入るタイミングも歩く時間帯と重ねられるようにしようなどと計算しながら進み、12時台と13時台はそんなに歩かずに行けた。
精神的には、今は○周目であと何周で何kmだ、などと細かい計算も頭の片隅でまだできる余裕があるくらいのふつうの状態なのだが、身体だけはかなりハイな状態になり、1日のスタート時とほぼ同じペースで進めた。まだ自分の身体にそんな力が残っているのか、と自分でも不思議に思う。

ほかの参加者は暖かくなってくると談笑しながら歩いて記録はもういいや、という開き直りの様子が多く見られるなか、僕は120km超えという新たな目標を目指して、その歩いている人たちをバンバン追い抜きながら進む。
実はほかにも野宿仲間や地平線会議の知り合いもちらほら参加していたのだが、その人たちと挨拶したり談笑したりすることもなく人付き合いは一切捨てて、せっかくここまで来たのだから記録狙いで行くか、と自分の世界に没頭した。

1日15時のスタートから24時間経過の2日15時直前に周回数は81周となったが、記録は24時間をすぎた最初の周回まで取るということで、さらにもう1周する。ここまでは走った場合には1周あたり12~13分ペースで来ていたが、最後はやはりラストスパートだっ、と俄然力が入り、最後の周回は10分を切るペースで進み、すでに走り終わった参加者に拍手で迎えられながらゴールラインを駆け抜けた。
最終的な記録は24時間5分6秒で82周、つまり距離で言うと123.0kmを踏破したことになる。

最後にひとつ嬉しかったのが記録云々よりも、今回は人付き合いは意識してやらなかったのだがこの最後の周回になって「まだそんなに走れるの!」とか「お疲れさん」などとほかの参加者から声をかけられたりして、同じ時間同じ種目に参加し続けた者同士の一体感のようなものを最後の最後に感じることができたこと。
今後こういった催しに参加するときはもう少し人付き合いにも力を入れるべきだよな、と今回は自分の世界に浸りきったことをやや反省しながら、次回への改善点として心に留めておいた。

全体的に事前予想よりも結構順調に進めたので、おそらく400名超の全参加者のなかで最も重いであろう肥満児にしてはこの記録はなかなか良いほうではないか、と有頂天になる。
これまでの走行距離10km程度のマラソン・ロードレース大会の出走後に出ていた股関節の痛みは今回はまったく出なかったし、靴ずれも事前に100円ショップで買ったマメ防止用パッドで予防したおかけで1個もできなかったのも幸いして、まだ歩くだけなら時間が許せば10kmや20kmは行けるかも、というくらいの精神的・身体的な余裕もあった。長距離のほうが向いているのかな?

ただしそれと引き換えに、参加中はなんとか堪えることができたが終了後に脱力してからは、全身、特に背中と太ももの筋肉痛が酷くて(僕にも一応は筋肉なるものは付いているのだ)、2日の帰路の鉄道駅での階段昇降が大変だった。年配の方の高齢による動きの鈍さも、このときばかりはよくわかる。

今回の参加で100km超の距離を行くことがどういうことなのかはよくわかり、自分の限界はまだもう少し先にあってまだいくらか無理ができることもわかったので、今回はそれらの収穫があったこともあって満足している。今回の体験によって今後の人力移動の旅の幅も少し広がる気がする。
だから来年は船の科学館に再訪するかどうかはわからないが、でもまあ気が向いたらまたこの催しに、もしくはほかの100km遠足(宮古島やしまなみ海道などで毎年開催している)に参加してみようかな、とスタート前よりは遠足への参加を前向きに考えるようになった(あとは参加費の高さが問題)。肥満児でも意外にやればできるものだ。

でも目下の目標はフルマラソンの完走かな。とりあえず年内はそれを目指して走り続けることにする。全国の走っているふつうの体型・体重のみなさん、ハンデ(脂肪)をたくさん背負っている肥満児の僕に記録で負けているようではダメですよ。奮起してもっと練習しましょう。僕も練習しますわ。



この催しのゼッケンはこんな感じ。白色の「24時間個人の部」は140人以上の参加があった。なぜこんな若い番号になったかというと、実は今回の参加申し込みが始まった昨年12月にすぐさま申し込んでいて(先着順)、というくらいに今回の参加に意欲を燃やしていたのよね。昨夏から走り始めたのは実は東京マラソンよりもこれを重視して準備してきたからだったりする。



1日15時のスタート直前の様子。ふつうの走る格好をする人が多いなか、一部ではちょっとした仮装やかぶりものをする人もいた。でも長時間やり続けるとなると大変ですな。



周回コースのちょうど中間くらいの地点。写真奥の東京湾方面に向かって緩やかに下り。この公園は昨年6月にもミニコミ誌『野宿野郎』の催しで一度訪れているが、近年の台場の開発によってこのようないかにも東京的な公園ができていて、ひと昔前とはえらい景観の違いで驚く。



コースからの日没(天王洲のほうかな)はこんな感じ。



2日3時のエイド。こんな深夜になると参加者も大半が仮眠で控室に引っ込んで激減するので、食べ物飲み物はいろいろ狙いやすい。と言いつつも僕はすべての時間帯にわたってバナナと菓子パンばかり食べていたけど。疲れているときはやはり普段食べ慣れているものにどうしても手が出てしまうのよね。



同じく3時台のコースの一部。照明も場所によっては充実しているが、そうでもないところもある。日没から日の出までの約11時間はこのくらい暗いなかで走る・歩くことになる。



エイドで5時すぎに出たにゅうめん。夜は風が強まって着込んでいてもえらく寒かったので、このような暖かいものが出てくるととても助かる。



スタート兼ゴール兼記録計測ラインはこんな感じ。ここを82回通ったということね。20時間も参加し続けているともうここの越え方やコースの起伏や曲がるときにどちらの足から先に出したほうが通りやすいなどの細かいことにも慣れてきて、自分の庭にいるような感覚に陥る。



みっつ上の写真近くの場所の日中の様子。南方に羽田空港が近いので、1日23時~2日6時以外の時間はなにかしらの飛行機が離発着する様子が見られる。考えることがなくなってくると、この時間に運航しているのは新千歳便か那覇便だよな、とかいうくだらないことを想像してみたりもする。



2日15時に終了した直後の、まあこれは競技ではないので表彰式代わりに主宰者の海宝さん(青色のジャージ)が催しを総括しているときにお礼をもらっていたりするところ。噂どおりに終始ほんわかした良い雰囲気で、バリバリの競技も見方によっては楽しいけれども優劣を競わないこういう催しもまた良いものですな。楽しかった。


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2 コメント

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常連の人々は、もはや神 (アフロあきら)
2008-03-04 15:21:34
冷やかしに行こうと思ったけど、仕事が立て込むと野宿の翌朝の仕事がとても辛くなるので行けなかったアフロあきらです

123kmは本当にすごいですよ。常連の人々は、もはや超人、神だから世界が違います。普通の人だったら70kmぐらい、がんばっても100kmで燃え尽きてしまうのが普通じゃないでしょうか。

東マラのときは、パレード気分で歓声もあるからパワーも出てくる、馬力もでてきそうだけど、24時間周回するとなると、何日も断食したり瞑想したりする「修行」のようなストイックな境地で悟りが開けるかもしれませぬ。

私の友達(世界一周ライダー)も、帰国後は体力を使う二輪としてMTB林道100kmレースに参加していますが、MTBレースだとMTBの他にもトランポする車が必要になるから、その面ではマラソン、遠足はお金がかからなくシンプルだから、我々にはお似合いですなあ。
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でもそうでもなくて (わたる)
2008-03-05 17:25:47
神はちょっと言いすぎかもしれないけど、たしかに同じ人にバンバン周回遅れにされると、うーむ、この人たちは普段何を食べて生きているのだろうか? と呆気に取られることはよくありました。

お金がかからない、というのは今回は実はそうでもなくて、これの参加費は1万2000円だったのです。
だから、たしかにこういった催しというか旅みたいなものを「野宿野郎杯」のようなカタチで独自開催? して突き詰めるのもアリかな、とは改めて思いました。
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