思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

真夏の「遍路」は要注意

2008-07-31 07:31:31 | 徒歩

またもや出し忘れの話だが、17日に日本百観音霊場のひとつである埼玉県・秩父地方の札所を1日のみ巡ってきた。

今年は、秩父では三十四ヶ所ある札所の総開帳の年。厳密には、12年に一度の午(うま)年総開帳の中間の年の「中開帳(なかがいちょう)」というものだそうだが、それでも御本尊は午年同様にしっかり観られるし、その手から手綱を引き出して堂外の角塔婆にまで出した「お手綱」を触りながら参拝すれば、通常は秘仏扱いで御本尊が観られない年よりも御利益も多くなりそうだ。
秩父札所では今年の3月18日~7月18日がその期間だったのだが、この終了間際になっても仕事やらなんやらでなかなかまとめて行く時間が作れずに行かずじまいだったので、なんとか終了前日に5つの札所のみ観に行ってみた(一番・四萬部寺、五番・語歌堂、十番・大慈寺、十三番・慈眼寺、十五番・少林寺のみ)。

まとめて行く、というのは、僕は地元にこんな有名な札所が昔からあるにもかかわらずこの秩父札所を「歩いて巡る」という意味での「遍路」したことがなくて、うーむ、そろそろ行っておかなきゃなあ、とは数年前から頭の片隅で常々思っていた(近い場所はいつでも行けるから、というよくある慢心による先送り状態)。
この札所のうちのいくつかを個別に参拝したことはあるが、全行程100km前後の巡礼道を歩いて通し打ちで、というのはまだ未経験。日帰りで複数回巡礼するのでは往復の交通費がもったいないしご利益も薄れる気がするので、もし巡るとしたら4、5日かけて全行程を一気に行くべきだ、という人力派ならではの強いこだわりもあったから、これまで行かずじまいだったということもあるけど。

それに、僕は四国八十八ヶ所や坂東・西国の各三十三ヶ所も含めて「遍路」については、ご利益云々を授かるとかいう特典? も今の自分にはまだ必要ないだろうし(大病を患ったりすればまた心境は変わるんだろうけど)、近年特に四国遍路が各種媒体の影響もあって過熱気味なので周りの行動に便乗するみたいな独創性のない旅のカタチになり、昔から決まりきった巡礼道を歩くのはあらかじめ敷かれたレールの上を惰性で行く感じで旅の自由度が低くなることを元々毛嫌いしていることもあって、これまでどの地域でも札所巡りという行為は敬遠してきた。

だが、2年前にミニコミ誌『野宿野郎』の2号で四国遍路の特集を読んで以降、一般的には願掛けとか自分探しとかいう大きな意味を持たせながら行くことが多い札所巡りにあって、それとは別に単純に歩きたい! というたいしたことはない自己満足の強い動機から「遍路」に向かう若者? も結構いることを知り、そうか、寺巡りやおおざっぱに考えるとスタンプラリーに似てなくもない納経帳づくりよりも、歩いて旅することを主眼に取り組むのも面白そうだな、と、巡礼道と周辺環境を“歩き旅の舞台”と見立てて興味を抱くようになった。昔からある自然と各寺の建立以降の地元民の暮らしは、どのくらい調和が取れているのか、とか。

各種媒体では、ほかの巡礼者との出会い・触れ合いや地元の方の「接待」がよく取り沙汰されがちだが、そこよりもまずは人類の原始的な「歩く」という行為を再考・追求するうえで歴史のある札所巡りはかなり重要な事項ですな、とは先日少し歩いてみても思った。そう思い始めると、規定路線? の巡礼道も歩き旅の初心者向けには絶好のコースでないか、ある程度の経験者にとってもそれを基本にほかの楽しみ方(脇道とか地産地消の食とか野宿とか)を自分なりに頭を使って見出せばより面白い旅になるのではないか、と前向きに捉えられるようにもなってきた。

しかし先日のは、梅雨の合間の晴れで日中の気温は35度近いとても暑い時期だからということもあったからなのか、歩きながらほかの参拝者を見るとクルマやオートバイで参拝に訪れる人が多く、やはり札所巡りは歩いて行なうべきなのでは? とこれには少々違和感を抱いた。僕は特に四国の札所巡りでよくある観光バスやタクシーで“反人力”で巡る、というのは卑怯で無意味な方法では? と普段からいぶかしく思っているクチ。
それに、各札所で納経帳に朱印してもらうのに300円かかるため、納経帳を“完成”させることに結構こだわる場合、四国であればそれだけで2万7000円以上出費するというのがなんか腑に落ちない(ひっきりなしに訪れる参拝者相手に、連日何十枚何百枚もそれを書き続けるのは意外に重労働だということはわからなくはないけど)。札所巡りが好き、それに命を懸けている、というくらいに思い入れのある方からはお叱りを受けそうな言い分だが、僕は札所巡りについては正直そのマイナスの見方が今も強い。貧乏性としては、だったら白装束・納経なしで単純に「旅」として巡ってもいいよな、ともつい思ってしまう(「遍路」経験者からの、罰当たり? とかいう異論反論もお待ちしております)。

この暑い時期では当然陽射しがきつくてぐったりしやすくなり、僕も先日歩いたときも普段はあまり被らない帽子が手放せなかったし、水分は10km強歩いただけなのに2リットル以上摂ってしまった。途中で買い食いしたアイスクリームもより旨く感じた。これが四国の1300km以上の長丁場となるともっと大変だろうなあ。1日歩いただけでもそんなぐだぐだな感じだったから、真夏の「遍路」はたしかにきついかもしれない。特に年配の方には。だから特に真夏に実際に巡ってみたらみたで、かなりの達成感があるだろうことはなんとなくわかるけど。
「遍路」はやはり春と秋の比較的涼しい時期に行なうべきかな。僕が今度、秩父で巡礼するときはもっと涼しい時期に行こう、と決めた。なんだかんだ言っても「人力」を吹聴する旅人としては「遍路」には当然、興味はある。

ちなみに、写真は一番札所の四萬部寺(しまぶじ)。ここも動力利用であれば簡単に行けるが(西武秩父線・西武秩父駅から路線バスでも行ける)、スタート地点からすでに徒歩で到達を目指すくらいのこだわりがあっても良いと思う。昔の巡礼者はそうしていただろうし。だから僕もここは(今年から駅名が改称された)秩父鉄道・和銅黒谷駅から徒歩で行ってみた。そのくらいとことんこだわったほうが御利益はよりありそうだと思うけどなあ。


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