
10月中頃、わたしが所有する「軽自動車」と「自動二輪」がほぼ同時に不具合に見舞われた。
この出来事を通じて、わたしは「自分の先もあまり長くない」ことをつくづく実感したのである。
軽自動車を駆ってガソリンスタンドで給油した。
「サービス期間だから」と「軽自動車」のボンネットを開け点検してもらう。「バッテリー検査で『要交換』と出た」。これから寒くなる、バッテリー切れなどでエンコするのも嫌だから交換に同意した。
「バッテリーは強力で、4年間の保証がついている」と従業員は誇らしげに云う。
わたしは「4年間」という言葉にショックを受けた。「車はすでに14万㌔走行している。この先4年持つだろうか…」。
それにもまして4年先にわたしは82才になる。82才まで今の状態を保ち、車を運転できる日常を送っていられるのだろうか……。
突如そんな疑念をもち自分自身を見つめ直す心もちとなったのだ。

わたしは今まで、年令には無頓着で過ごしてきた。
「届け出書」や「アンケート」などで「年令欄」があるといつも戸惑ってしまう。生年月日は確定しているからスムーズに書けるのだが、年令は毎年一才づつ加算されるので覚えきれないのだ。
「75才は過ぎているけど、76もしかしたら77だったかなぁ」と、指折り数えて辻褄をあわせてきた。
昨年「喜寿」迎えたから今年は78才であるのは確かだ。確かなことであるがわたしは「後期高齢者」であるのを自覚せず、「今日も何事なく過ごし明日もそうだろう。そしてそれはずーっと続いて行くもの」として、その先に立ちはだかる「老い」について、あまり思い至らないで過ごしていたのだ。
高齢者の交通事故が頻発し、社会問題となり「後期高齢者」の「運転免許証」返納が奨励されている。
しかしわたしは今しばらくの間、車の運転が欠かせない。
5年ほど前から、週に二回、東京にある「ディサービス」事業所に通っている。介護職員として朝8時半から夕5時まで勤務する。
介護職員として利用者さんにいろいろなお世話をするが、主な仕事は利用者さんを車に乗せての送り迎えにある。
少ない年金なので、ここでのバイト代は家計に、そしてなにより扶養家族の家猫2匹、訪問猫4匹の食事代・おやつ代・猫砂・偶に行く病院代などを賄っている大切な収入源なのだ。
免許証の「返納」などできやしない事情がこのようにある。
この年令になっても、人の命を預かる運転をつづけられているのは、わたしは毎日のように車、バイクを乗り回しているにもかかわらず、違反・事故がない「ゴールド免許」であること。
そして「後期高齢者」に義務付けられた3年に一度、免許更新時に行われる「高齢者講習会」でいつもいい成績であることに因るのだ。
今年春の「後期高齢者講習」においては、認知症検査96点、実技検定「問題なし、30代・40代の技能に匹敵」との判定が出た。
しかしいくら運転技能が適正であるにしても、人様を乗せて走るのは80才までだろう…。

日をおかず自動二輪が不調になった。
この自動二輪は、1993年わたしが54才のときに購入した「ホンダレブル(250cc)」である。
わたしは「普通自動車免許証」を30代に取得していたが、自動二輪に乗りたくて堪らなかった。「外気に触れ疾走したい」との願望は高校生のときからあった。
54才になって「教習料金」を捻出する目途も立ち教習所に通いだした。
実技の初日、指導教官は「あなたは小型免許(125ccまで)にしなさい」と、執拗にすすめる。
わたしは「いや中型免許(400ccまで)を受ける」と、粘り強く断りつづけた。
一緒に教習を受ける面々は、中年のわたしを除いては20代の男女ばかりだから、教官は「年令が高いし、無理のないところで」と、親切心ですすめてくれたのだろう。
わたしが「『中型』で…」と我を張るものだから、最初の課題を与えた。最初の課題は、400ccの自動二輪車を横たえて引き起こす作業である。
若ものたちは難なく引き起こしていく。わたしの番になった。わたしも無理なく引き起こすことに成功した。
教官はここであきらめたのだろう、「小型に」ということは云わなくなった。ただしわたしたちが乗る教習車は、最新の機種からやや古びた機種まであり、教官の指示で生徒は乗る機種を指示されるのだが、わたしは最後まで古びた機種を与えられていたのが悔しい思い出としてある。
検定試験は一発合格であった。
免許取りたての頃には、ツーリングに何回となく参加、遠乗りを楽しんだ。
わたしと後半生ほぼ25年間を共に過ごした「ホンダレブル」とのお別れが近い。
「よいエンジンの車に当たった」とバイク屋に褒められ、バイクの走行寿命をはるかに超す77,000キロになっても、心臓部分のエンジン音は快調に駆動している。
しかし、タンクの油漏れ、排気筒の脱落など近年は疲労が表に出るようになってきていた。前輪タイヤは替えたばかりなのだが、フットブレーキが壊れ「年式が古いので部品が見つからない」と修理屋に宣告された。いよいよ「脚」が弱りきって「手術不能」となったのだ。
愛車と別れる決心がついた際、代わりになる「原付バイク」を購入することを一時考えた。
しかし、この先4年保証のバッテリーが付いた軽乗用車がある。あまり乗っていない自転車もあるから、バイクは再び持つことはないと判断した。
バイクが撤去されれば、今は駐車場を借りて車を置いているが、家の庭に駐車できる。月々の駐車料が倹約できるのだ。
わたしがバイト出来なくなるのも「先が見えている」のだから、そういうことも見据えて「出を制する」ことになる。
「老い」を見据えて、身のまわりを軽くしていくことをつくづく考えさせられた10月の日々であった。