とかくこの世は  №7

2004年03月08日 | Weblog
世の中は、不思議がいっぱい充ちている。蝉がビュインビュゥイン唸りながら、庭を横切っていく。
「おかしな事もあるもんじゃ」とて、ふと見やると猫が咥えて得意満面で、歩いていく。
まるでスキップをするような浮いた気持ちが、全身にあふれている。
 猫は嬉しくても満面笑顔というわけにはいかないが、歩き方などで何となくその気持ちが分かる。
 そして、その顔つきをよくよく眺めれば、なんと大発見!
「猫の額ほど」といわれて、狭い事の例えでよく引き合いに出されるが、どうしてどうして言われるほど狭くはないぞ。むしろ犬の方が狭いと思う。
 コリー犬なんか、鼻ずらは長く顎はないし、額だってどこにあるやら分からない.皺を寄せて考える風情もなく「わたしゃこの世で、一番高貴なの」みたいに収まっているのは、片腹痛い。人間にだって猫なみの奴はいる。
 わらび座時代、一緒に「第三班」(秋田の山間部をまわっていた、小人数の編成)に、Sちゃんがいた。彼は、臼みたいな顔立ちで、額は極端に狭かった。皺が一本寄ればもうそれで余地がない。
 普通の人類は、眉間に皺を刻むといえば、平均三本から五本と相場は決まっている。彼は、人も良くまた物事を深く考える性質のひとだった。一本の皺を深くふかくきざみこんで、考える。
 あとの三本の皺はどこに!
 それは、深い謎に包まれたままで、未だ解明されてはいない。


また「猿は毛が三本足りない」とて、いかにも人間が賢いようなことがいわれているが、これもおかしい。
 まっとうに抗議できない人達が沢山いる。駅の階段なんかを降りていくと、頭の真ん中辺がすけている人たちが結構いる。
 この人達は、表立って声をあげることができない。抗議することができないから、自ずから口が尖がる。
「おれたちは、三本以上足りないが、猿より劣るというのか」と。だから、これらの人達は、みんな共通している。なんとなく、河童ににている。
 縄文時代以降、海人部(海辺で漁労していた)、川辺部(河のほとりで魚を捕っていた)、山人部、里人部などなど、住む場所によって生活、労働の形態が違っていた。
川辺に住む人「川辺、かわべ」が訛って「かっぱ」となったというのが、古代言語学の定説になっている。(こんな学問の分野なんてあったっけ?)
 この人達は、暑さ厳しいおりにでもカンカン照りの河原で魚を獲らなくては、生活が成り立たない。暑さを凌ぐのに笠を被った。
 被ると熱気が頭中に充満する。そこで笠の真ん中に大きな穴を掘りぬいて空気抜きとした。
 容赦なく日は降り注ぐ。笠の穴から川の水を注ぎながら労働に勤しんだ。長い年月の間に、そこは日に炙られて肌が露出するようになってしまった。いまでいう「職業病」である。
 だから、苛烈な太陽のもとで働くことが、やや少なかった女性にはこの症状は現れにくかった。

 その子孫で名高いのは、九州で語り継がれている「柴天」(しばてん)である。相撲が滅法好きな小童子で、川辺に来る子供たたちをみかけると「相撲しょうばい、しようばい」と誘っては、大汗を掻いてひとしきり楽しむ。
 満足すると、川に潜って魚を沢山獲ってきて「これ持って帰ってけろ」とお土産にくれた。なんとも愉快な河童である。
 もう一方は、江戸の「おいてけ堀」。多分、深川あたりに在ったのだと思う。
 釣り人が、釣った魚を魚篭に入れて帰ろうとすると「おいてけーおいてけー」とくぐもった声で呼びかける。
 やがて長い手が空中から現れて、魚篭の中の魚を鷲掴みにして消えていく。これは多分深川芸者に入れ揚げて、スッテンテンになった子孫に違いなかろう。

コメント
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