10日ほど前のことである。
目覚めると気だるい。起き上がれないほどではないので、手すりをいつもよりしっかり握って階段を降りる。
とりあえず体温を測るとやっぱり熱発していて37度9分。
この熱はなんだろう。まさかコロナではないだろうナ…と一瞬恐怖をおぼえる。
前日は関わっている「福祉作業所」の理事会があり、10人ほどと2時間くらい席を共にしていた。ここでなにかに感染したのだろうか。
あるいは寝ざまが悪くて、掛け布団を剥いで寝入っていたのだろうか。
熱発の原因は分からない。
しかしぼんやりしてはいられないのだ。
訪問猫のシンが縁側にどっしり座って家の中を覗き込んでいるし、家の娘猫たちも「朝めし未だかよう」とわたしを見上げている。朝食をそれぞれに差し上げなければならない。
そして熱があるせいかあまり食べる気はないが、いつも通りの朝食を流し込んだ。
食後は日課通りゴミ出しに行く。そこで異変に気づいた。歩いていて前のめりになりよろけ膝をつきそうになる。一瞬だが意識がとぶような心持にもなる。
家に帰りついて熱を測ると38度5分もあった。
こんな時はどうしたらよかろう。
体調不良になると、いつも妻がてきぱきと処置をしてくれた。「湯冷ましをたくさん飲んで、ほらこの薬を飲んで寝てたほうがいいよ」。
布団を敷き直し、下着を着替えさせ、熱を測り直し布団の縁をトントン叩いて「また後で来るからゆっくりね」。
看護師である妻のしっかりした見守りがあった。
いつでもどこでもなにかあると身近に頼りになる妻がいてくれたものだ。
この熱発は妻だったらどうしてくれただろう。
妻が手がけていた医療品が収納されている引き出しを開ける。
薬袋がいくつかあり、その中に「38度以上の熱のときに服用」と妻が手書きした袋があった。とりあえずはそれを飲む。
そのあとも38度ほどの熱がつづき、しかし夕11時の就寝まえの検温では36度1分に下がったので「薬の効果がでたか」と安堵して寝る。
熱発2日目、寝起きは37度1分でやや高い。それが午後になるとまたもや38度をこえてきた。
どうしたらよかろう。このまま寝込んでしまうのだろうか。
独り身の心細さが募ってくる。
今まで妻と二人して乗り越えて来た生活の場、今は独りぽっちの空間なのだ。
電気をつけずパソコンに向かっていると「こんな暗がりで目を悪くするよ」…灯りをとぼしてくれた。
わたしが文章を書きプリントアップして渡すと、すぐさま読んで不穏なところ、仮名遣いの訂正など、安心できる編集者として委ねることができた。
なにしろ彼女の読書量は桁違い。それのみか観劇・クラッシックから演歌までの音楽鑑賞を楽しみ尽くしていたものだ。
杖を突きはじめる前のことだが、友人と誘い合っての小旅行もひんぱんだった。
発病前には「絵手紙」、「ヨガ」の教室にも通い、週2回のディサービスも心待ちにして行っていた。
自己の内面を高めることを楽しみながら日常的にに手がけていたのだ。
高齢夫婦二人きりの生活であっても、彼女のおかげで外の空気が充満する穏やかな日常であった。
わたしは持病があり毎日一万歩のウォーキングを欠かさない。出がけに「ちょいと出かけるよ」と声掛けする。
「どこへ」との問い。「市中見回りだよ」と云えば「ああ、ごくろうさま」…。帰ってドアーを開けるやいなや「おかえりー」の大きな声には、ねぎらいといたわりが含まれていたように思う。
そんな常日頃の声掛けがなくなっているのに、熱発しても独りぱっち。なんでもなく過ごしてきた日々が貴重なものだった、それがもはやないのだ…。
熱発2日目は、37度台の熱に平熱もときおり混じる。保健師である地域の仲間に連絡、昨日からの経過を伝えた。
受診をつよく勧められ、「食事を摂らないと抵抗力がなくなる。なにか持って行ってあげよう」…とのありがたい仰せ。
それは断り、掛かりつけの診療所に電話。すでに受付時間が過ぎていたので明日を期す。
熱発3日目、起き抜けの体温は36度2分、昼も同程度だったので受診は見送った。
それ以後は平熱で過ごしている。
その話を隣の人にしたら、「うちの子にも熱が出て、なんかが流行っているようですよ。でもなにか困りごとがあったら、すぐに遠慮なく云ってくださいね。できるだけのことはしますから」と気遣ってくれた。
独りぽっちの寂しい日々であるけれど、妻と共に培ってきたご近所・地域の方々との絆に少しばかりの光明を見いだせた2日間であった。