新松戸の桜3/15
「東葛合唱団はるかぜ」の郷土部が、次のコンサートで「さんさ踊りをやる」と聞いたのは、昨年の末だった。
わたしは、「さんさ踊り」に強い思い入れがある。
高校を卒業して新劇団に入った。在学中に演劇をしていたとか、俳優修行をして自己表現をしたいということではない。
高校を卒業するにあたって進路にまよい試行錯誤していた時期に、劇団「稲の会」と出会った。
稽古場をのぞきに行き、上下関係はなく経験者も新人もみな平等で、力を出し合って作品を創りだしていることに共感しその一員となった。
さまざまなアルバイトをしながら、生活を成り立たせ劇団を維持して数年が過ぎ、わたしが20才になった頃、劇団では創造をめぐって、二つの潮流に分かれた。
わたしは7名の仲間と劇団を離れた。7名では出し合うお金に限りがあるから、稽古場を確保できず、家族持ちが多かったから、それぞれバイト生活が主になってなかなか劇団活動ができなくなった。
そんな折りに「わらび座」を観る機会があったのだ。
劇団仲間と観に行った。民謡だというから退屈な時間を過ごすだろうが、先輩がすすめるので付き合ったのである。
舞台を見てびっくりした。
開幕は「八丈島太鼓」である。緞帳の内からドーンとおもい響きが聞こえ、ゆるゆると幕が上がっていく。太鼓のテンポは早くなり「太鼓叩いてー人様寄せてよーわしも云いたい事があるーよぇー」と、重々しく唄が入る。
闇の中、二人の叩き手がシルエットで浮かび上がり、太鼓のテンポが上がるにつれて、ホリゾント幕は紺碧に彩られ、大海原をあらわす。
つづいて「新地鎌踊り」(佐賀)が軽快に踊られて、「阿波踊り」になる。
「さんさ踊り」(岩手)では圧倒された。胸に太鼓を据え軽快に躍りはねる。女性の踊りも伸びやかだ。
「日本にもこんなに勇壮で軽快な踊りがあったのか」と、目を見張って観た。
「できることなら、さんさを踊ってみたい」と、わらび座に応募して入座したのは23才の時である。
配属された学校公演班は、さんさ踊りが定番のプログラムであったから、ずいぶん躍り込むことができた。
わらび座を辞めて、郷土部の起ち上げに協力し、数年経ちさんさ踊りを練習項目に加えてもらって、はるかぜの何回目かのコンサートで披露することができた。
太鼓を抱えて一踊りすると息も絶え絶え、全身汗みずくで「ハアハア」息を弾ませるのも快感であった。
跳んだり撥ねたり屈んだりを激しくするから、もうこの年になっては出来ないと思っていた。
ところが郷土部講習で、加藤木朗がみなさんに伝授するのを見ていると、息を荒くするほど体力を使わない。
しかし踊りの所作は大きく伸びやかだ。
「さんさ踊りは盆踊りですから、先祖を供養する念仏踊りの一種です。このように踊って両手が合わさり、合掌の形になります」。
「日本の踊りは重力に逆らって飛び上がったりはしません。重心を下にして屈み伸び上がることによって、上下の動きが大きくなるのです」。
4月24日(土)に、信州・阿智村から直行した朗を案内して、根木内東小学校へ向かい、郷土部の「三本柳さんさおどり」講習に付き添ったのだ。
まずは手の動き、そして足さばき、つぎに手足を揃えての動作は、時間がすすむにつれて、スムースになっていく。
20人ほどの郷土部メンバーは、上着を脱いだりはしていたが、汗もかかずに息づかいも平常で4時間の講習をおえた。
わたしは、若いころから熱中して踊った「さんさ踊り」の、ちがった側面をこの稽古現場で見ていて、この芸能の奥深さを更に知ったように思える。