「噺咲騒子(はなさかざうし)」初日

2010年06月30日 | Weblog


「カケル公演」が18日におわり、翌19日(土)は「噺咲騒子」の初日である。

 わたしは19日朝8時半に、朗たちが宿泊したホテルに行く。練馬区江古田のライブ会場まで、朗の車に同乗させてもらうのだ。

「昨夜は公演がおわり宿舎に帰ってから、キャスト・スタッフのささやかな慰労会をした。話がはずんで午前2時になっていたから少し寝不足かなぁ」と云いながら朗が、ホテルロビーにあらわれた。

 一緒に宿泊したキャスト・スタッフの大部分は、次の仕事に向けてすでに出発したそうだ。

 松戸からの高速道は、渋滞もなくスムーズに進めた。高速を下りてから江古田駅南口へ向かうのに少し迷ったが、なんとか時間内に会場に着くことができた。

「噺咲騒子」の記念すべき初公演は、「伝統芸能と落語の会」と銘打って、「市民ふくしフォーラム」を主宰する、かとうぎ桜子さん(練馬区議会議員)が企画・実行してくれた。


閉会のあいさつ・桜子さん

 かとうぎ桜子さんは、加藤木朗とはいとこの間柄である。

 朗は、高校まで秋田のわらび座にいたから、いとこ同士とはいえ顔を合わせる機会はなかった。
 和力名古屋公演のカセットテープを、桜子さんが見てくれたのは、桜子さんが大学を卒業しNPO法人で働き始め頃である。
 
 桜子さんは、高校生の時からハンセン病の運動にかかわり、大学生の時には、新宿のホームレス男性を追う、ドキュメンタリー「あしがらさん」の上映運動をやった。

 勤め始めたNPO法人を中心に桜子さんが「和力実行委員会」を立ちあげた。和力=加藤木朗とまみえた最初となる。

 桜子さんは、「社会的弱者に社会の光を当て、地域をよくするには政治を変えなくてはならない」と、NPO法人を辞め2007年練馬区議会議員選挙に挑戦し当選した。立候補表明時は26才、選挙が終わったら27才になった。
「たとえ少数意見といわれようとも、わたしは『福祉の現場の声』、『当たり前の一般区民の、小さな小さな生活の中の声』を、制度の中に生かすために議員になったのです」と、当選時に所属していた会派をはなれ、一人会派を立ちあげた。

「市民ふくしフォーラム・イベント」として、福祉・文化・生活分野での講演会や「車いす体験会」などはいうに及ばず、上演・上映など文化イベントも旺盛に開いているのだ。
 
 和力・練馬公演に深く関わってもらっている。

「噺咲騒子」は、市民ふくしフォーラム・イベントとして企画され、記念すべき初日を開けてもらったのである。


 演目表(めくり)

 加藤木朗と柳家さん若(山田耕一郎)、出演者は二人だけである。
カケル公演の合宿の合間に、さん若君が信州の朗宅に二回ほど日を違えて行って、「噺咲騒子」の合宿をやった。どんな作品に仕上がっているのだろうか。

 大道具として高座もつくったそうだが、カケル公演の太鼓・道具がいっぱいで、運搬車に高座用の台は積みきれなかった。
 桜子さんが、高校時代に使っていた木の机を会場に持ちこみ高座にした。

 寄席で囃される「一番太鼓」が幕開けだ。客入りから打ち出しまでの太鼓をさん若が叩きながら軽妙に解説する。
 めくり(演目紹介の紙)の寄席文字と共に、寄席の雰囲気が場内にたてこもる。

 次には、大道芸「コマの芸」であり、いっそう客席と舞台が一体となる。



 つづいては落語である。間抜けな盗人(ぬすっと)を主人公に「鈴ヶ森」の一席で客席はおおいに沸く。
「獅子舞」がつづく。お囃子は小太鼓・鉦・笛を手元に置いたさん若が囃すのかと、お客さんは思っている。なにしろ「一番太鼓」で太鼓を叩きながら寄席太鼓を説明したさん若である。
 太鼓も鉦も笛の音もすべてさん若の音声であり、獅子舞の可愛らしさと共に、その意外性に客席は喜ぶ。
 わたしは、よくぞこれだけの口唱歌(くちしょうが)を覚えられたものよと、感じ入ってしまった。

 次、二席目の落語は「代書屋」であった。落語は最初から演題が決まっているわけではない。
 寄席でもそうだが、お客さんの雰囲気で「なにを話そうか」自由自在に決めるわけだから、めくりには「落語」とだけある。


 小狂言・草餅

 落語が終わり、「山の守り神・権現様」の使いとして、鹿頭にささらを背負って岩手県の「鹿踊り」の装束で朗が登場、「草餅」の始まりである。
狸(さん若)が、馬糞の包みを持って登場。狂言風のやり取りの中で、「臭い餅じゃ、いんや草餅だ」と権現様の使いに馬糞をたべさせる。

 トリは「だんじり囃子」である。大太鼓が朗、鉦をさん若が叩いて大団円をむかえ、80分の演目をおわる。
 
 大道芸・落語・伝統芸能・狂言と日本の庶民が育んだ文化のオンパレードは、修練に裏打ちされた芸として、みなさんに喜んでもらえた。


 アンケートより
○はっきり言って軽い芸ではなく、真剣な芸に観る側は引き締まりました~。この場ではもったいないくらいですね~。日本伝統、古来…改めて良いものだと思いました。太鼓・鉦、なにかを追い出してくれる様でした。これからも浄化して欲しいものです、ありがとうございました。
○和太鼓をこんなに間近で聴くことが出来て、とても感動しました。たたく姿がとてもカッコイイ!落語をきちんと聞いたのは初めてでした。テンポがとても良いですね。
○今日はとても楽しいコンサートで嬉しかったです。コンサートホールとは違った楽しさですね。またの時を楽しみにしております。コラボの仕方で色々な空間が生まれますね。
○すばらしい太鼓と落語をこんなに近くでありがとうございました。これからも、ますますの活動をしてください。小・中学位の時にききたかった思いもします。


※翌20日、朗は「ショートショートフィルムフェスティバル」での和力出演、さん若は別の高座に出演、21日には松戸市恩田第二病院での「噺咲騒子」第二回目の出演があった。
カケル公演と連続して7日間、休みなしでの出演を終えて、朗は走行距離35万㌔を誇る車を運転して信州に向かった。
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カケル松戸公演

2010年06月22日 | Weblog

 松戸・森のホール入口


「カケル」公演が終わった。

 6月15日(火)名古屋市を初日に、16日飯田市、17日伊那市、18日(金)松戸市の連続4日間の巡演だった。
 連続する公演スケジュールの経験は、2008年5月、練馬区「ゆめりあホール」3日間、松戸「森のホール」で翌々日に公演、これも4日間だった。
 今年2月から3月、東ヨーロッパでの和力巡演は19日間だったから、ツアースケジュールは年々ふえている。

 ただ今回のカケル公演は、今までにない苛烈な日程組みであった。

 15日~17日までの3日間は、移動距離が短く済んだ。
 きびしかったのは、17日長野県伊那市公演が午後9時に終了し、翌18日千葉県松戸市での移動公演であった。
 舞台をバラして太鼓・道具類を車に積み込むのは午後10時を過ぎる。

 中央高速道は、首都圏付近で朝方混み合うとの予測があり「夜の内に移動したほうが安全だ」と早々と「ただちに移動」と決まった。
 松戸に着くのは何時になるのだろうか。250㌔を越える距離を走行してくるのだ。
「たぶん、午前2時頃になるだろう」と朗が云う。

 わたしは昔、わらび座の営業をしていた。このような長距離移動の場合は、「乗り日」として1日余裕を持って空けたものである。演技者やスタッフに大きな肉体的負担をかけてしまう。
 
 ましてや今福優さん、木村俊介さん、加藤木朗は、舞台で演技・演奏をした後、荷積みをし、さらに車を自ら運転して移動しなければならない。移動のバスで居眠りすると言うわけにはいかない。たいへんな負担をかけることになる。
 心は痛んだがチケットもチラシも出来上がっているし、予定を変更することはできない。

「昨晩は思いの外はやく到着した。午前1時だった」と、18日朝7時半に朗から電話が入った。

「同じ作品の4日目ということもあり、リハーサル時間を短縮できるので、会場入りを10時半にしたい」と、前日に連絡を受け、森のホールにもそれは連絡しておいたから、わたしもゆっくり会場に向かった。
 天気予報は「終日雨」であったが、午前中は薄日が差して「もしかしたら、降らないかも…」と淡い期待をいだく。


 実行委員手作りの飾り花

 午後2時、実行委員のメンバーが集まり、開場の準備を始める。

 松戸市では「羽化れどき松戸実行委員会」として、1年に一度、和力公演を取り組んでくださっている。
 1月23日(土)に、「森のホール・(小)」で和力公演を会場いっぱいのお客さんを迎えて成功させた。
 このとり組み最中に、6月公演の話が舞い込んだ。

 1月公演が終わってすぐ、休む間もなく次の実行委員会を開くことに、わたしはとても迷った。
 実行委員は、さまざまな分野で中心的に活躍されている方々である。
 再び忙しい渦中にお誘いするのをためらったのだ。

 実行委員会ではない、ある会合で「6月の公演は、和力事務所主催ということも考え…」と、わたしの迷いを口に出した。
「やはりみなさんの力を借りてやりましょうよ」と、即座に迷いを断ち切ってくれたのは、東葛合唱団はるかぜのOさんであった。
 その言葉に励まされ、実行委員会で「ひきつづき6月公演をめざして、継続していただけるか」と提起したところ、快くみなさんの賛同を得たのだ。同じ地域に住む仲間のありがたさを身に染みて感じた。
 ありがたい、ひとりではとても取り組めるものではない。

 開場時間は午後6時半である。午後になって雨が本降りになってきた。午後3時をまわった頃、二人の女性が受付に来た。
「この前、観てとてもよかったから友だちを連れてきた。整理券をもらってよい席を確保したい」と、1番、2番の整理券を受け取って出ていく。


 わたしは、例によって開演した舞台を観ることはできない。受付にがんばってロビーに備え付けられたモニターカメラで舞台の進行をみる。
 客席の拍手・どよめきがうれしい。

 舞台の模様は、間もなく弟の加藤木雅義からDVDが送られてくるのを待つ。直接の舞台の様子には触れられないが、どのような舞台だったかをアンケートでご紹介しよう。


アンケートより~
○ 私も松戸で太鼓を習っておりますが、和力さんの太鼓には圧倒されました。太鼓に対す  る熱い思いや、命を゛カケル”気持ちが伝わってきました。
  また、力強くたたいているのに音が軽く、終わってからはとてもすっきりした気持ちに  なりました。ありがとうございました。(17才、女性)
○ 初めて観ました。心ゆさぶられ、涙があふれ出てくるシーンもありました。感動をあり  がとう。(42才、女性)
○ 最初わたしは緊張感いっぱい(闇の中から始まったせいでしょうか)でしたが、徐々に  リラックスしていく心地よさを感じ、舞台に引き込まれておりました。私も舞台を通し  て(日本舞踊)見てくださる方々に、この様な感動と日本人として、ここに生まれた事  への感謝を呼び起こせるような舞台をさせていただきたいと、魂に火が付いたような思  いです。本当に有り難うございました。(63才、女性)
○ 命をカケタ太鼓の打ち方、ひびき、すてきでした。神楽も迫力満点で、キレのすばらし  さを感じました。今福さんと和力のコラボほんとうによかったです。あいかわらず、小  野さんの三味線、木村さんの笛ほんとうにすてきでした。(65才、男性)


 アンコール・東風

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天理市に居たんだ…

2010年06月16日 | Weblog

梅雨に入った

 奈良県在住のT・Sさんからファクスが入った。
「はて、どなただろう…」と、しばし考えるが思い当たらない。文末に「わらび座合奏団にいたガジロウです」とあり、「あっ」と思い出した。

「久方ぶりに秋田のわらび座を訪問し、コンちゃんのお宅に寄った。わらびっ子だった加藤木朗君たちの活躍などを聞いて懐かしく…」とある。

 コンちゃんは、わらび座保育所の開設者・松本美智枝さんである。
わたしが在籍していた当時のわらび座は、集団・共同生活であったから、座で生まれた子どもは、乳児・幼児・保育園児はもちろん、学童・中学生・高校生は、親の居住区から独立した教育棟で生活していた。

 演技者・照明、音響、大道具など公演班は、巡業に出れば少なくとも2ヶ月は帰らないし、営業は3ヶ月から4ヶ月は家を空ける。
 子どもたちは年令に応じ、保育棟や学童棟で生活していたのである。
その責任者が松本(旧近藤)美智枝さんであり、保母・保父の座員がわらびっ子の面倒をみていた。

 子どもたちは、成長した今でも親しみと敬愛の念をもって「コンおばちゃん」と呼んでいる。

 コンちゃんは、高齢となり座を退職した。座の集落からほぼ1㌔ほどにある、黒倉地域に家を構えている。
コンちゃんのお宅へは、元わらびっ子だけでなく、元座員もよく訪れる。

 わたしも「横山茂コンサート」がわらび劇場で開催されたときに、コンちゃん宅に宿泊させてもらった。
 その前年には、朗一家6人がわらび座を訪問した折にもお世話になっている。

 わらび座には、ホテルとして運用されている立派な宿泊棟がある。しかし元座員や元わらびっ子が座を訪れるときには、座の周りに家を構える座員や元座員のところに、お世話になることが多い。
「こちらに来たら家にお出で」と誘ってくださるのでそれに甘えてしまうのである。
 T・Sさんもコンちゃん宅にお世話になり、元わらびっ子の活躍ぶりを詳しく聞いたのにちがいない。

 その中で、加藤木朗や小野越郎の「和力」の話もあり、さっそくHPを開いてくれたようだ。
「わらび座OBのつどいのブログと写真を懐かしくながめました」、「あと3年で定年をむかえる。生まれ故郷の西馬音内(秋田・羽後町)に帰るか、兄のいる岐阜に行くか、しばらく過ごした東京・金町に行こうか考えている」とあった。

 彼がいま生活している天理市は、わたしがわらび座の営業で働いたことのある地域だ。記憶の奥底に収まっていた天理市の景色がまざまざと思い浮かぶ。
 懐かしい青春時代に引き戻してくれたお便りであった。

 さっそくわたしは次の返信をしたためたのである。


江戸川縁の神社


T・S 様
 お便りを拝受いたしました。付記していただいたニックネームで、ありありと貴君の風貌を思い起こせました。懐かしいです。
「ちょっと思い出せない」と妻は云っていますが…。

 天理市といえばわたしもわらび座の営業で入った所です。ここもなつかしい。

 夕方の何時かになると町中に、鐘だったかチャイムだったかが鳴りひびいて、法被(はっぴ)を着た天理教の人たちが黙祷をしていました。今でもそれは変わっていませんか。

 和力の消息を知っていただいてたいへん光栄です。朗や越郎は、「座の後継者を育てよう」と、座員が希望を託し子どもたちに最良のものを集団が保障してくれたお陰で、伝統芸能界で存在を知られるようになりつつあります。
 
 スタッフとして丸山成美が照明を担当、和力の国内公演だけでなく、海外巡演に同行しています。また山田耕一郎(柳家さん若)が落語家として朗と共演しています。

 わらび座の胞子は、時代と共に全国に逞しく広がっています。

 東京の金町は、わたしの住む松戸とは、川を隔てた隣町になります。下町風情を残したよい町だと思います。江戸川の「矢切の渡し」は健在だし、渥美清の「寅さん」映画でお馴染みの帝釈天も賑わっています。

 またお会いできるのを楽しみにしています。ご連絡ありがとうございました。

                                加藤木 照公


 わが家自慢のアジサイ
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伝統芸のすごさ

2010年06月07日 | Weblog

松戸市坂川の春
 
 今年で第30回目となる恒例「松戸狂言の夕べ(松戸労音)」が、5/26に森のホールで開催された。
~六百年の伝統を持つ、洗練された和楽の世界~と、パンフレットに謳われている。

 チケットが売り出されると、「イの一番」に妻が購入に走るから、毎年よい席に巡り会える。今年は前列から6席目の真ん中で芸を楽しんだ。

 番組は「鐘の音」(太郎冠者・野村萬斎、他)、「六地蔵」(すっぱ・野村万之介、他)であった。
「鐘の音」は、太郎冠者が黄金(かね)の値を聞きにやらされ、鎌倉で鐘の音を聞いて帰ってくる狂言である。

 主(あるじ)に「都の鎌倉に参り、何カ所かを尋ねて黄金の値を聞いてまいれ」と厳命された太郎冠者は、寿福寺・円覚寺・極楽寺・建長寺など、寺々を訪ねて鐘の音に耳を澄ます。
「破れ鐘」のような、あるいは「雷」、はたまた「悠長な音」など、お寺の鐘の音はさまざまに鳴りひびく。

「お役目を果たしたぞ」と太郎冠者は意気揚々と館に帰る。
太郎冠者の帰りを待ち兼ねていた主は、「黄金の値はいかほどであったか」と尋ねる。太郎冠者は聞いて覚えた鐘の音を主の前で再現する。

「そうではない」といら立つ主、「主(ぬし)の云うままに鐘の音を聞き回ったのになにが不足じゃ」と、太郎冠者はさらに鐘の音をくり返す。

 演者の全身が共鳴板となり、4寺の鐘の音がそれぞれの特色をもって響きわたる。鳴り物があるわけではない。
 舞台上には、背景に太い松が大きく描かれ、人物は舞台下手奥の花道から登場、「これはこのあたりに住まいする者にて候」と自己紹介があり、物語がはじまる。

 大がかりな舞台セット、照明や音響で舞台を綾取るわけでない。
演者たちの生身の身体から発する科白、かけ合い、動作が、観客の想像力を掻きたてる。
 
 わたしは狂言に触れあえることが多くなっている。

 年に数回、息子が暮らす信州に出かける。孫と遊ぶのを楽しみにした数少ない訪問機会であるが、狂言のお稽古や、孫たちの実演に行き会うことが今までに何回もあった。

 大蔵流、茂山千三郎師が「長野社中」のお稽古で京都からお出でになる。加藤木朗・陽子夫妻、それに子どもたち4人、家族全員が弟子入りして稽古を付けていただいている。

 晟弥(せいや・次男)が1年生だった5年前の春先には、阿智村・園原で「さくらまつり」が行われ、人間国宝の茂山千作師が、寺院の本堂と、野外の掛け舞台で演じられた。
 演題は覚えていないが、「ワッハッハッハ」と笑い、「ウォツ、ウォツ…」と泣きじゃくる様は、大仰に誇張されているが、なんの不自然さもない。

 歴史を経てつくりあげられた様式の美が極まっていると思った。

 ほとんどなにもない空間で演ずることによって、観客に「館」や「土蔵の扉」が見え、扇子を仰いで「飲み干す酒の雫」までもがまざまざと見えるのだ。鐘の音もあたかも「そのよう」に聞こえる。

 伝統芸のすごさを改めて味わった一夜ではあった。


 坂川の岸辺
 
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